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イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

別れのチリコンカーン

2011-06-30 00:25:40 | 海外ドラマ

アーティストや芸人さん俳優さん、映画監督や作家さんなど、多少なりと思い入れ、好意的関心のあった有名人の訃報に接してこのブログでとりあげるたび、「この前亡くなったアノ人、そのまた前に鬼籍に入ったアノ人のときはスルーで、今般のこの人については書くのか、それでいいのか」「この人よりアノ人の存在が自分の中で軽かったわけじゃないのに」「たまたまアノときはほかにもっと熱い話題があったとか、それ以前にPCに向かってる時間がなかったとか、理由をつけて軽んじてなかったか」と、心中ウゴメク一抹の忸怩があるのですが、こないだ我が国の名優で文化人の、児玉清さんと長門裕之さんについては書いたし、その前には田中好子さんと田中実さんのときも書いたし、別にいいよね。

ピーター・フォークさんが亡くなりましたピーター・フォークさんが亡くなりましたピーター・フォークさんが亡くなりました。大事なことだから三度言った。いや書いた。ふぅー。

いちハリウッド映画俳優、映画人としてのフォークさんの熱烈なファンというわけではないのですが、1970年代、と言うより昭和40年代後半から放送が始まった『刑事コロンボ』は、月河にとって特別中の特別なTVドラマでした。

人形劇『チロリン村』『ひょうたん島』やアニメ版『鉄腕アトム』がTV視聴デビューだった世代ですから、もちろんあらかじめ「TVはおもしろいもの、楽しい、飽きないもの」でしたが、『刑事コロンボ』で、ちょっぴりだけ大袈裟に言えば生まれて初めて「TVドラマすごい」と思えたのです。とりわけ「アメリカのドラマはすごい」。

それ以前、『コンバット』『ローハイド』『逃亡者』、ちょっと後の『プロ・スパイ』『鬼警部アイアンサイド』辺りも、実家家族や親戚のおじさんお兄ちゃんの随伴視聴で結構見てはいました。特に『コンバット』は「アメリカの戦争ものは“勝つ”とわかってるからいいんだよな」と、太平洋戦争従軍経験のある伯父がノリノリだったのが印象的。

それにしても『コロンボ』は別格、まさにスペシャルでした。昭和40年代~50年代初期に隆盛だった日本のホームドラマ、ファミリードラマ、学園青春ドラマのたぐいにほとんどノータッチで終わったのも、『コロンボ』で、洋画ならぬ洋ドラのすごさを知ってしまったのが最大の原因かもしれません。それくらい『コロンボ』は自分の中で影響力の大きい作品でした。

何が別格だったって、「犯人も手口も動機も最初からわかっていて、あとはバレて捕まるだけなのに、どうしてこんなにおもしろいんだろう」と、その点が何より衝撃でした。克次……じゃなくて活字ミステリ(←大詰め『霧に棲む悪魔』が脳内浸食してきてしまった)の世界に“倒叙(とうじょ)もの”というジャンルがあることは知っていましたが、映像でドラマとして見せられて、ここまで引き込まれるとは思ってもみなかった。

しかも、犯人はおおかた、同情すべき事情を抱えた気の毒な善人などではなく、頭の切れる、計算高いヤツで、動機も利己的なら手口は計画的。会社経営者、重役、財団代表といった富豪、医師や作家など成功した知的職業、華やかな芸能人やマスコミ人、警察署長や退役軍人、政治家など、庶民視聴者からしたらいい気な“偉いさん”であることも多い。

それなのに、フォークさん演じるコロンボが捜査に乗り出してきてあれこれ目をつけ嗅ぎ回り、一歩また一歩“コイツしかない”と網をせばめていく過程で、一度ならず犯人側の心理になり「あ、そこ気づかれたらヤバー」「次にあそこのアレがばれたら終わりじゃんどうするよ」とあせったりハラハラしたりするのです。

コロンボに本格的に食いつかれる前から、計画通り99パーセント遂行したけど、残り1パーがどうだったろう、見落としていた綻びがあるのではないかと、表面は偉いさん然とした堂々たる振る舞いを続けながらも、内心隠した怯えや不安、墓穴を拡げるわざとらしい虚勢、逮捕量刑されれば失うに違いない社会的地位や贅沢な暮らしへの執着、一抹の後悔と呵責の念。フォークさんのコロンボが、決して敏腕鬼刑事然とハードにクールにてきぱきとではなく、あるときには飄々と、あるときには小姑っぽく、概してユーモラスに行動するから、水面下でひそかに葛藤する犯人の後ろ暗い心理が、演出面でさほど強調されなくても、否応なく浮かび上がる。

観客が最初から最後まで捜査摘発サイドに同化して「早く気づけ、突きとめろ」「がんばれ、あの憎っくき悪党を早く捕まえろ」と思い入れ“応援”“しなくてもいい”絶妙のキャラにコロンボが、風采といい言動挙措といい造形され、フォークさんによって演技されていることが大きいのですが、月河が「ドラマは悪役だ」と強烈に実感し、いまでも信念のようにそう肝に銘じ続ける契機にもなった作品でした。

カッコいいヒーローのカッコいい活躍など要らない、と言うより、ヒーローをカッコよくあらしめるのは、悪役敵役の強さ凄さ、輝き以外にありようがないのです。しょぼくて魅力のない敵役をいくら快刀乱麻バッサバッサ倒してもひとっつもカッコよく見えない。

偉くて金持ちで、リュウとしたいでたちでカリスマ性あふれる犯人が、優れた頭脳を縦横に駆使して知略の限りを尽くし企てた犯罪を、普通なら見逃す些細なアイテムや言辞の端っこから、ある意味ちまちまと、しかし結局は大胆豪快に突き崩し白日のもとにさらしていくからこそカッコいい……のだけれど、理屈としてはカッコよくて当然のはずのそのヒーローが、ヴィジュアル的にはカッコいいの対極にある、煙草臭そうな古コート着た短躯のおっさん、という図式もなんともスマートでクレバー。

昭和40年代後半のこの時期、「子供なんだから夜は風呂入って寝ろ」をやっと卒業させてもらえた年頃で、『コロンボ』に出会っていなかったら、ウン十年後、スーパー戦隊も仮面ライダーも『相棒』も、『鬼平犯科帳』も『剣客商売』も、あるいは『霧に棲む~』に代表される昼帯ドラマも、現在観ているような角度からの味読、享受のしかたは確実にしていなかったでしょう。

『コロンボ』はTVドラマ、映像作品にとどまらず、小説など文学作品に接する際にも、まずは何がさておき“精彩ある悪”を探す、こんにちの月河の原点を築いてくれたのです。ピーター・フォークさん享年83歳。合掌。

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脇愛々

2011-06-05 00:22:23 | 海外ドラマ

韓国時代劇も今般の『善徳女王』で、ドアタマからの継続視聴は3作めなのですが、NHK総合で放送中の『イ・サン』が本国での本放送2007年、同じくBSプレミアムの『同伊(トンイ)』2010年、『善徳』が09年と、結構接近した時期の制作なので、ヅラやメイクやキャラに惑わされないよう気をつけて注視していると、役者さんがかなりかぶっていて、“隠れんぼ探し”みたいでおもしろいですね。

とりあえず『イ・サン』の11歳世孫さまが、『善徳』で少年ピダムになり、「おぉ世孫さま背が伸びたな、頭身も小さくなったな、子役卒業まであと少しだ」なんて思っていたら、あのくりくりおメメでキャッキャ笑いながら、毒盛って大量虐殺してしまったのにはたまげた。きっと同国ではもっとうんと幼いときからご活躍の名子役さんで、“ピュア”“ひたむき”の裏返しの空恐ろしさ表現を期待してのピダム役起用だったのでしょうね。

いまのところ、我が国の名子役さんにありがちな、横に膨張したりはしないで“原形”をとどめたままタテ方向に成長中のようで、ひとまず安心。幅広い演技経験を活かして、素敵な大人の俳優さんになってまたどこかで会えるといいですね。でも競争社会・韓国の芸能界は李朝や新羅の王宮内部以上に魑魅魍魎がバッコしてて生き残りが難しそう。各番組公式の、キャスト紹介など見ると、メインどころの俳優さんはたいてい大学の映画科や演劇科、舞台芸術学科などの出身。競争社会は学歴社会でもある様子。大学出てないと、あるいは出ててもランク低い大学だと、いい仕事が来なかったりするのかしら。チビ世孫さまも、学校ちゃんと行けたのかな。

年かさの脇役さんたちだとなおいっそうかぶり具合は大きそうで、『イ・サン』でソンヨンにエロ視線注いでた(青年世孫さまの機転で逸らされた)清国大使の人は、『善徳』ではミシル璽主(せじゅ)の戒厳令お触れ紙にびびる都ソラボルの平民役で、残念ながらちょっぴりの出番でした。丸剃り襟足お下げの弁髪アタマがあまりにも似合う、海坊主チックなルックスのかたなので、ハチマキや頭巾など被り物があるとずいぶんイメージが変わる。

『イ・サン』と言えば、朝貢船から白布を盗み出す儲け話をテスにそそのかして、後から首出し生き埋めにされた(タルホ伯父さんがテスを諌めてくれて助かった)運び屋の人が、『善徳』のミシル陣営の小モノ重鎮=心配性を笑ってごまかすアホ息子ハジョン殿だったような気がするなあ。よく見ると結構ハンサムなのに、なぜか“情けない顔させたら休戦ライン以南で№1”みたいなところもあり。

忘れちゃならない、『善徳』では第1話のみの登場ですぐに崩御されてしまいましたが、「我亡き後はミシルを刺殺せよ」の密勅を遺すことで、結果的には最終話まですべての人物の人生に光も影をも落とし続けた真興(チヌン)大帝役の人は、『イ・サン』の英祖(ヨンジョ)さまでもあり。てことは『同伊(トンイ)』でトンイがこれから身ごもる息子でもあるわけなのだ。うーん。いまはむしろトンイのほうが娘か孫娘に見えるが。これはまあ無理スジの無理読み。

この初老俳優さん、先日放送の『イ・ビョンフン監督の世界』では銀行頭取みたいな背広姿で「監督は眠らない人」なんてインタヴューにこたえていたりして、ひと頃の渥美国泰さんや北村和夫さんのように、政治家や財界人や教授など“偉くて頭がよくてハラにイチモツある人”役ならどの局のどのドラマでもお任せというポジションの人なのかもしれません。

ちょっと前までは北村総一朗さんなんかもこの路線を得意にしていましたが、スリーアミーゴス以降だいぶ変わった。チヌン大帝ももっと軽い現代ものドラマなどでいろいろやっているのかも。マヌケ社長役なんて見てみたいような見たくないような。

『イ・サン』の、テスの“アレ”無しタルホ伯父さんは、『同伊(トンイ)』の掌楽院の、自分では演奏しない、中間管理職っちゅうかマネージャーさんのような役もやっています。“目だけテリー伊藤の桜井センリ”みたいな感じで、こちらはすぐわかった。

日本でも、古くは東宝映画の大村千吉さんや沢村いき雄さんのように、クレジットのどこかに必ずいる脇役専門俳優さんがいたし、近年は矢島健一さん、中丸新将さん、大杉漣さん、平泉征さん、金田明夫さん、勝部演之(のぶゆき)さん…など、主役ではないが軽い役ではない、主役より目立っちゃいけないがなぜか目が行ってしまう、微妙な位置で、“この人が脇を押さえているからちゃんとしたドラマですよ”のメルクマールになるような俳優さんが一定数、しっかりおられる。

土壌的にTVドラマ“密度”の高い韓国ドラマ界。こういう立ち位置担当層もさぞかし分厚いのでしょうね。百済(ペクチェ)軍の“赤死病の仮面”みたいな遊軍のように、2隊いるかもしれない(@『善徳』)。

…あの種明かしは見え見え過ぎたね。

作品を追うごとに“あの顔見っけ”も楽しいでしょうが、とにかく前にもここで書いたように、キムチ仕込みの韓国ドラマ、1作、1話が濃いからなあ。戦闘シーンも流血シーンも。剣はがっちゃんがっちゃんぶつかり合うし、血糊は首からもクチからもドバドバ噴き出す。音楽も常に、過剰すれすれに重く、同じ曲の同じ小節が1話の中で何度も何度もリフレインするので、いやが上にも濃度アップ。

CMなしのぶっ通し60分余、特にDVD1巻分の2話連続視聴したりなんかすると、しばらく立ち上がる気力も出ない。このマイブーム、いつまで続く、と言うより、いつまで体力がもつことやら。

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走ったことが無い

2011-05-18 00:38:46 | 海外ドラマ

15日(日)に第5話まで進んだNHK総合『イ・サン』

世孫(せそん)さま一気に成熟し過ぎ。前週4話の終盤、友ソンヨンとテスの呼ぶ声を夢で聞いているうちにドラマ時制は一気に9年経過。物語の始まった西暦1762年時点のあのお目々くりくりした子役さんが、いきなり、二児のパパぐらいでもおかしくないド大人になってしまいました。

 史実的には李朝第22代国王イ・サン=李祘=正祖(チョンジョ)は1752年生まれ。現代日本に直すと、小34のボウズが大学1年生、もしくは予備校生になったぐらいをイメージすればいいのでしょうかね。もっと文学的にざっくりと、“父恋しい盛りのいたいけなおさな子が、青臭いけれどもたくましい若者に成長”ということで片付けて前に進みましょうかハイ。何しろ全77話あるのです。

 史実の李祘=正祖の出生、即位から治世末年までを軽く調べるとちょっとドラマの先を観る気が失せてくる暗澹さなので、我が国・日本の大河ドラマ視聴の際おちいりがちな“答え合わせ”モードに走らず、あくまで“史実に材をとったエンタメTVドラマ”としてお手並み拝見といきましょう。

…しかし、フィクションにしても暗澹としないエンドに持っていけるのかな、この王さまのこの生涯で。

 あのくりくりおメメが妙に切れ長になったなとか、アゴもやけに横に発達したなとかもさくっとスルーで。ここ何週か韓国史劇ドラマを観ていると、主役・準主役級の俳優さんは男女ともに、日本人にとても近い、日本人俳優の中に入っても見分けがつかないくらいの顔立ちの人が多く、パッと見で速攻あの国の民族の人とわかる顔立ちの俳優さんは、たいてい端役というかモブ、さもなければ老け役だったりするのがおもしろい。ひょっとすると、日本人が、白人系のハーフっぽい彫りの深い顔立ちにあこがれるのと同じようなノリで、あの国の皆さんも“日本人顔カッコいい、あんな顔になりたい”と思っているのかもしれません。五十歩百歩だと思いますけどね。ご近所だし。

 さてまたさらに軽く調べると、『イ・サン』の現・王さま=9年後時制でもややおヒゲの白いものが増えた程度で矍鑠たる英祖(ヨンジョ)さまは、『同伊(トンイ)』のヒロイン・トンイがこれから側室となって産むお世継ぎにあたるらしい。第21代英祖1694年生まれ。『イ・サン』時制では、えーと、1771年になっているわけだから、77歳におなりですか。ふむふむ。つまり、『同伊』は『イ・サン』の、80年ぐらい前の事象を採り上げているわけですな。

 『同伊』の現・王さま=粛宗(スクチョン)さまは、15日放送の第6話では思いっきり笑かしてくれました。おしのび直々捜査に立ち寄った小屋の中で、ドラマらしく簡単に護衛兵士たちと離れて単身になり、これまたドラマらしくタイムリーに刺客に奇襲されピンチ。さらにドラマらしく物陰に隠れていた、未来の後宮トンイに窮地を救われ、怪しい奴らのひそむ家に忍び込んで、と言うか忍び込まされて、ますますピンチ。こういう、“臆面もなくドラマドラマしている”のも、韓国時代劇の微笑ましく心地よいところ。

このスクチョン役、数年前NHKで放送されて人気だった『宮廷女官 チャングムの誓い』で、ヒロイン・長今(チャングム)の運命の男性役も演っていた俳優さんだそうで、それを月河に教えてくれた高齢家族は「チャングムのダンナがこんなドジになった」と泣き笑いしてました。月河は『チャングム』は高齢組の随伴の、そのまたチラ見程度でしたが、この俳優さんはスクチョンみたいな、“おっとり澄ましておマヌケ”なキャラのほうが合うと思うなあ。ちょっとお若い頃、孝夫を名乗っていた頃の片岡仁左衛門さんにも似ている。スクチョンさま、目下、南人派が勢力拡大のため宮中に送り込んだオクチョン=チャン尚宮がお気に入り。ほのかーに“オンナ好き”の相もあるところがいいのです。

それにしても、ウチの高齢組からは、ちょうど並木史朗さんが30年近く「おしんのダンナ」と呼ばれ続けているのと同じように、終生「チャングムのダンナ」と呼ばれるのだろうな。

『同伊』のスクチョンの背後でうごめく南人派(ナミンは。チャン尚宮を推す派)vs.西人派(ソインは。スクチョン母・ミョンソン大妃や正室・イニョン王妃が属す派)の、殺人・偽装上等な政争、『イ・サン』で世孫の父・サド世子が陥れられ幽閉死させられるに至った老論派(ノロンは)vs.少論派の暗闘など、調べ出すと奥が深すぎて抜けられなくなりそう。何しろ、何年頃、誰が誰に何をしたか、どっちがどっちに勝ったか負けたか、なーんにも下地、予備知識がないもので。

こういうの何か活字資料ないのかいなと思ったら、検索一発で出てくる出てくる、韓流史劇ドラマって、冬ソナ系の現代ものメロドラマ、若者男女のトレンディドラマの類いとは別建てで、専門誌、ムック、山のように発刊されているんですね。

カラー写真満載のTVグラフ誌のつねで単価が白頭山並みに高いたかーい。こんなん得心いくまで買ってたら財力が幾らあっても足りない。特撮誌とサントラCDだけで年じゅう、財政破綻寸前なのに。

イニシエの世界史教科書参考書、少しは保存してなかったかな。あったとしても朝鮮半島史は、中国史の百分の一ぐらいしか扱われてなかったしなぁ。

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チャーン、あ、ゴーン

2011-05-09 22:54:21 | 海外ドラマ

 怖れていた通り(怖れてたのかい)NHKBSプレミアムの韓国ドラマ『同伊(トンイ)』があなどりがたく面白いのです。続きが気になってきたのです。困ったことになった。日曜夜はとりわけ録画がビジーなのに。

王国の側近勢力争い陰謀ものとしても、貧しい少女のわらしべ立身出世ものとしてもちょっとコジツケ、無理やり感はぬぐえないんですけれども、最愛の父と兄、兄のように可愛がってくれた兄の親友ら、親しくしてくれた村の人たちが、濡れ衣で大半処刑されたり殺されたりする原因になった高級官吏殺しの真相にトンイが近づけるのか?というメインの興味のほかに、脇役のあの人この人が何を狙ってどんなハラでいるのかというサイドストーリーも結構入り組んでいて、何だかんだで前のめり。

地元韓国で、高校レベルくらいの歴史を学んだ人なら、いささか噴飯ものだったり抗議の電話ものだったりもするのかもしれませんが、こちとら、あちらの国の歴史はからきし存じ上げないので、かなーり大胆に史実改変したり脚色したりしていたとしても、わからないし「違う!」と怒りが湧いてきたりもしないという、娯楽ドラマとして安心感があるのも大きいか。そういう意味では戦国にしろ、幕末にしろ、江戸太平ものにしろ、日本で日本の時代劇はいま、逆につくりにくいのかもしれません。

4話までの、日本で言えば小45ぐらいかなと思えた幼女トンイは、かわいいけどオモシロ系のびっくり顔で愛嬌ある感じだったのに、5話からいきなり、何時代のドコだろうと道行く人が皆振り返るようなあっぱれ美人さんになっていてちょっと引きました。

しかしながらありがちな“頑張り屋のまじめ優等生”タイプではなく、結構オッチョコチョイで落ち着きがなくて、働き者ではあるけれども「あー疲れた、“トンイはどこだ!”って誰か呼んだら“死にました”って答えといて」とゴロンとなっちゃうような、人間っぽいところもあるのが好感持てますトンイ。幼女時代はかなり食いしん坊でもあって、お菓子や串焼き、女の子らしく絹の晴れ着などにも軽く釣られちゃうところもあった。欲や我執のまるっきりない清廉キレイキレイな人物は主人公としてつまらないしね。

ただ、韓国連続ドラマを継続視聴するのって恥ずかしながら月河、初体験で、改めて気がついたんですけど、固有名詞覚えるのタイヘンだねー。トンイはタイトルロールだからさすがにすぐ覚えたし、運命のお相手となるらしい粛宗=スクチョンさまってのも、漢字込みだから覚えられた。

あとは、公式サイトでもほとんど、ほんとにまったくシャレになんないくらいカタカナばっかりなんですよ。日本で言えば警視庁高官、警視正ぐらいか警視監か?っていう、トンイ父とも朋友だった渋カッコいいソ・ヨンギはちょっと柴田恭兵さん似。宮廷の、反主流派“ナミン”の首領らしいオ・テソクは中村雅俊さんを悪く太めにして老けさせたような感じで、その甥っ子のオ・ユンは『仮面ライダーX』の速水亮さんの、若くて細かった頃に少し似ている。

トンイと仲良しで、ドジ踏んではトンイに助けられている宮廷楽師で笛吹きのヨンダルは、キャラともども大泉洋さんっぽい。

ナミン派が魂胆あって王宮に送り込んだと思われる女官オクチョン=チャン尚官(サングン)は、大人トンイに遜色ないくらいこちらも美人さんですが、いずれトンイと光と影の関係になるというライバルキャラとして造形されているのか、目もとクチもとに微妙に粘着感があって気性が強(こわ)そう。一時期の賀来千賀子さんに、沖直未さんのお若い頃を混ぜた感じとでも言おうか。

…このブログで、ドラマや映画の役名キャラ名に言及するときは、なるべくもれなくカッコ書きで演じる俳優さんの名前も併記するようにしてきましたが、韓国ドラマに関しては今後もそういうわけで、俳優さん単体に言及する時以外はカンベンさしてもらいます。ホント覚えられないんだもの。みんな音韻がちょっとずつ似てるし。

人名だけでなく官庁名とか歴史用語も相当、難物ですが、こちらは漢字と併記で解説が載ってる分少し覚えやすいかな。トンイが(ぬひ。下働き)として勤める、宮廷音楽をつかさどる王立楽舞団みたいなのが、掌楽院=チャンアゴンというのはすぐ覚えました。「ちゃんあごん」って音楽的な響きですもんね。

トンイの父が生業としていた、死体の検死や処置をする者(←日本でも諸外国でも、禁忌とされ一般人とはもろもろ差別される職業ですね)のことを仵作人=オジャギン、ってのも覚えやすい。おじゃぎん。お“じゃー”って伸ばせば、ドストエフスキーとかの小説に出てきそうだ。スタヴローギン。エフゲニ・オネーギン。コスイギン。フィクションじゃないのが一部混じった。

トンイ父・兄たちが結成していた、地下秘密結社“剣契”は、漢字表記の字ヅラはカッコいいけど読みは“コムゲ”。無関係に韓国料理の“サムゲタン”を思い出してしまいました。どんなんだったっけ。ウチの家族は高齢組も、非高齢組も、香辛料に概してナーバスなので、あの国系の料理には縁が薄いのです。“焦げたチゲ鍋”のようでもある“コムゲ”。

そう言や韓国ドラマのこういう用語って、なんとなくぜんぶうっすら韓国料理店メニューを連想させますね。そうでもない?チゲ、クッパ、ビビンバ、キムチ、オイキムチ。劇中用語として出てきてもおかしくなくないですか。「ブルコギだ!ブルコギの集団が城門に攻めて来たぞ!」「ビビンバで撃退するのだ、ビビンバを撃てー!」「ソルロンタンの方角に集中せよ!」なんて。

時節柄話題の“ユッケ”なんか、下級女官の一部門としてありそう。「スクチョンさまが、チャンサングンさま付きの若いユッケをお召し上げになったそうよ」「ユッケをー?」「イニョン王妃さまのお耳に入ったらどうしましょう」「まさかユッケをねー」なんて会話が成立……しないか。

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カタカナばっかり

2011-05-05 19:26:28 | 海外ドラマ

4月からNHK地デジで放送が始まった韓国歴史ドラマ『イ・サン』が思いのほか面白いよ、と高齢家族のリクエストで2話から録画追尾を始めました。日曜の夜深い2300スタート、月河的にはスーパーヒーロータイム録画チェックの時間なので、フルに付き合うわけにもいきませんが、1日(日)の第3話をちらっと見たら、主役はじめ子役さんたちがみんな達者で、可愛いというより味がある。日本のドラマでも最近は、美人女優さんより衣装より、子役さんがいちばんの華になっていますが、あちらでも事情は同じなのかな。大人の俳優さんが練りに練った熟練の芝居するより、子役さんのナチュラルな表情ひとつのほうが受けがいい。安直っちゃ安直だけど、高齢組が喜んでいるようなのでね。そのうち主役が成長すると、番宣や公式ホムペで見る限りなかなかの男前俳優さんにバトンタッチするようだし。

 一方、同じ日曜の2100からは、BSプレミアムで『同伊(トンイ)』って始まっていますね。『イ・サン』と同じ、かつて『宮廷女官 チャングムの誓い』を手がけた監督さんの最新作だそうですが、女性主人公のサクセスストーリーで、日本で言う“大奥もの”の要素もありそうなので、NHKの年度替り前、大量に番宣された中では月河はコレ結構いけるかもと思っていたんです。こちらは選挙の影響も受けず先週までで4話。“連続ものレギュラー視聴は昼帯と特撮のみ”の月河、日曜の夜はとにかく再生ラッシュなので、なかなかまとめ見できませんが、今週末ぐらいは一気に行けるか。『イ・サン』の昨年のBS放送を視聴済みのファンからは「主人公が国のトップになるわけじゃなく、所詮、側室止まりだから、『イ』ほど面白くない」との声もすでにチラホラ来てますが、こちらもとりあえず子役さんが、こちらは女の子ですけど、画面からはじけんばかりに“味出しビーム”出まくりで、あきれたりまいったり。

 それにしても気になるのは、韓国の連ドラって、大胆に、命知らずに長尺多話数ですよね。『同伊』が全60話、『イ・サン』に至っては77話あります。日本で言う“放送クール”とか番組改編期のようなものは存在するのだろうか。日本の連ドラは最近はほぼ1クール10話か、せいぜい11話ですね。NHK大河ドラマですら、大河大河と言ってもせいぜい50話か51話です。

『冬のソナタ』地上波放送で本格的に着火した韓流ブームの頃、“トリビアTV業界篇”みたいな番組で知ったのですが、同国地元では連ドラは日本のように“月9”とか“水10”のように週11話ずつの放送ではなく、“月火”“水木”といった具合に2日連続2話ずつの毎週放送なのだとか。だからたとえば1話と2話との間で、日本の放送スケジュールに沿って1週空くと、尻切れ宙ぶらりん感が強いので、できれば録画かパッケージソフトで“12話、34話、56話…”と2話ずつ束ね見していったほうが「乗りやすく嵌まりやすい」と聞いたこともあります。

 そこらへんは視聴する側が自分で自分に合ったペースを見つけてコントロールしていけばいい話だと思いますが、それにしても放送する側のサイドに立つと、毎週1話を77話となると、77週、つまりお盆も正月も休まずぶっ通しでやっても1年半かかることになりますぞ。『同伊』の60話でも12ヶ月。つまりNHK的、官公庁的に言うと、「会計年度をまたぐ」わけで、編成としてはかなり冒険ではないでしょうか。NHKとしては『冬ソナ』系の現代ものメロドラマでも、『チャングム』のような史劇系でも一定の実績と手ごたえは掴んでいるから、新年度のこの2作も自信の布陣なのかしら。それにしても民放では考えにくいというか、実際無理でしょうね。当初の読みほど数字が行かなかったらと考えたら、次年度にまたがるスポンサーなんて取れないし、付かないし。現代ものの『IRIS(アイリス)』なんかTBSでたいそう宣伝していたけど、最終話まで好評裡に放送済んだのかどうなのか。

 思い出すのは、1980年代末~90年代にかけてやはりNHKで、確か土曜の夜1000台に放送していたUS連続ドラマ『ダイナスティ』です。コロラド州はデンバーの、石油王の秘書上がりの若い後妻さんとその元彼、石油王の若い娘や息子たち、そのまたフィアンセや恋人、石油王の離婚した元妻、ハラにイチモツある側近使用人たちなど、欲と色からみあった、日本で言うところの“ドロドロドラマ”でしたが、からみあうだけからみあってさあこんだけの風呂敷たためるのか?ってなった頃、突然ウンともスンとも、続きが放送されなくなってしまいました。

 月河は当時、日曜が休みではないサービス業で、土曜夜もあまりのめり込んでTVを観たりビデオ録画追尾したりしていなかったのですが、映画『ポセイドン・アドベンチャー』のミニスカお姉ちゃん役だったパメラ=スー・マーティン(←石油王の驕慢な令嬢役)や、『炎の少女チャーリー』でドリュー・バリモアのママ役だったヘザー・ロックリアー(←石油王の息子とくっつくワイルドな娘役)、『ゲッタウェイ』にちらっと出ていたボー・ホプキンス(←後妻さんの元彼役)など、顔と名前の一致する俳優さんが見えていた頃はそこそこリピートしていたかな。気がつけば番組表から消えていたのでどうなったのかと思ったら、後から媒体で知った話では、放映権が高くなり過ぎてNHKが手が出なくなったため、“買えたところまで”で打ち切りになったらしい。

時はバブル期だっただけに、民放ならCM収入がかなり景気良かったんじゃないかと思いますがやはり皆さまの受信料でもってるNHK。要するに、地元USAで長寿シリーズとして受けていたほどには、土曜のプライムタイムで日本の視聴者に人気が出なかったので、高い権利料を継続支払うについて上から待ったがかかったのでしょう。

月河も別に、おもしろくないから視聴しなくなったわけではないのですが、いつの間にか裏の土曜ワイド劇場に行くほうが多くなっていました。こちらは単発で必ず10時半頃には大勢が決し、引っ張られないので気楽に観はじめられるし、つまらなかったら簡単に下りられる。

やはり連続ドラマって、「次回が待ち遠しい、待ちきれない」と思えるテンションに嵌まらせるには、嵌まらせるなりの手を打つ必要があるんですよ。当時はいまほどNHKで自局番組の番宣ってやってなかった。もちろんネットにホムペやファンBBSなんかもなかった。お話のキモである複雑な人間関係解説や、気がつけば結構多彩で豪華だったキャストもひとりずつ紹介したほうが有り難味も、興味もわいたと思う。時間帯もNHK土曜2200台は、『ジェシカおばさんの事件簿』など同じ洋ドラでも1話完結の、まったく違うテイストのものをやっていたので、色と欲との連綿ドロドロへは“客層”も引き継がれにくかったのでしょう。

連ドラは、作るほうはもちろん、放送するほうも視聴にも、体力を相当要します。日本製の連ドラが軒並み短期間少話数でサイズ小ぶりになっているいま、NHKがあえて韓国製長尺作を、熱い時間帯に持ってくる勇気はあっぱれですが、日本人による、日本人が視聴するためのドラマ、日本のTV製作者さんたちももっと意欲的に、チャレンジして作ってほしいですね、デカいやつをね。

大河ドラマなんか、152週の年末年始を、ジャガイモの煮っころがしみたいに“面取り”して50話なんてミミッチイことしてないで、ドカンと3年連続ぐらいの作ってさ、自他ともに先が短いと認める高齢視聴者が「最終回まで絶対生きてやる」と逆に血圧上がっちゃう勢いにしてみませんかね……って、すでに『坂の上の雲』があるか。

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