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イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

ノックしてターン

2009-11-06 19:57:33 | 昼ドラマ

1週が終わろうとしていますが、Xmasの奇蹟』に、我ながら驚くほど惹き込まれません。この枠『危険な関係』その他でヒロイン実績ある高橋かおりさん主演の甘美なラブファンタジーとの触れ込み、良い意味でベタな泣かせが見られそうと期待していたのですがね。

まず“謎の覆面ピアニスト”というファンタジー仕様ツールの扱いがスーパーなおざり。ひとりの若手ディレクター(岡田浩暉さん)が大手レコード会社を辞めて、恋人の女性宣伝部員(高橋さん)をも辞めさせて、新会社を立ち上げるまでに惚れ込んで売り出そうとしていたアーティストについて、1年余りにもわたってファイルもノートも、連絡先を書いたメモ用紙ひとつ残さず、自分ひとりの胸にしまったままCDリリースや販促活動、デビューコンサートのハコ押さえができるなんて、どうしても考えられない。

まぁ敵(=業界ライバル会社やマスコミ)を欺くにはまず味方からということもあるし、謎のピアノマンのCDの上がりだけで新会社が立ち行くとも思えず、そもそもこのディレクターと宣伝部員カップル、同じく前の会社から引き抜いてきた(あまり敏腕そうにもやる気ありそうにも見えない)営業くんと、あとは宣伝部員の妹である事務員(月河期待の蒲生麻由さん)だけで、事務所経費払って、給料払って黒の出る会社経営できていたのかなんてこともファンタジーのうちと思って、こちらもスーパー大目に見るとしましょう。

問題はその“ファンタジー”自体が、なんとも志低く小スケールで、新鮮味に欠けるにもほどがあるということ。

はっきり言ってしまえば韓国ドラマっぽのです。っぽ過ぎるのです。

新ドラマや新作映画を見ていて、序盤で「あ、この設定、このストーリー、過去作の『○○』に似てるな」と思うことは珍しくなく、思ったからといって作品として致命傷になるわけでもなく、展開のひねり方やキャラの立て方、俳優さんの役の読み込み膨らませ方などで、最終的に「似てるけどこっちのほうがずっとおもしろかった」とめでたく好評を獲得することもできます。

しかし『Xmas』、華やかな音楽業界舞台・バリバリ働くヒロイン・幸せの絶頂で恋人事故死・見知らぬ青年として現われる恋人人格・亡き恋人の親友の誠実なる横恋慕…などの設定モチーフだけではなく、人物の、男女ともに流行先端業界人たちにしてはいまいち貧乏臭く古めかしく、キリッと感のないヘアメイクや衣装、昼ドラ常套“行きつけの店”であるバー“ノクターン”の、せせこましく煮込み臭いしつらえ、全体に妙に黄色っぽく平板な照明など、立ちこめる空気が隙間なく、平日の1000台や1500台に再放送されているような56年前製作の“現代もの”韓国ドラマを思い出させるのです。

韓国ドラマについて多くを知らないのに大きなことは言えませんが、日本でかの国のドラマが人気したのは要するに“とりたててものすごく斬新なところがひとつもない”からだと思うのです。日本のドラマ視聴者がもともと持っていた“メロドラマ好き”“ベタでダサな泣かせ好き”の琴線に、ほどのよい飢餓感を伴ってタイムリーに触れた。日本のTV局や制作会社が「陳腐だし、当節もう飽きられただろう」「いまどきこんなのやったら他社に笑われる」と長いこと物置にしまっていたネタ、モチーフを“いまさら”臆面もなくご披露してくれたから、「そうそう、こういうの、見たかったのに最近なかったのよー!」と入れ食いで食いついてくれる客が思いのほか多くいた。

しかも、六本木で酒飲んでブイブイ言わせたり、グラビアモデル連れてマンション入って写真誌に載ったりすることのない韓国の俳優さんたちは、かつての銀幕スタア並みにほどよく神秘性があって有り難味もありました。

 言わば市場の“気がつけば意外と深く広いニッチ”に嵌まったに過ぎない韓国ドラマを、日本のドラマが(それこそ)“いまさら”まるなぞり、まる追いかけとはあまりに志が低すぎませんか。ラブ“ファンタジー”という謳い文句も、要は“あり得ない設定をアリにさせる”ための免罪符にしか聞こえません。

ファンタジーと銘打てばどんなにはちゃめちゃで噴飯な設定も展開も通用すると思っているのだとしたら、ファンタジーという概念を冒涜しているとさえ言える。ファンタジーとは既成の価値観や予定調和を想像力の飛翔で突き抜け無限に上昇する、創作創造における至高の高みなのに。

「大丈夫か、昼帯」

…同枠前作『嵐がくれたもの』のあまりと言えばあまりな最終話も込みで言わせていただきます。TV界でいちばんこの枠を贔屓にしている月河としては、結果的にはちゃめちゃになってもいいから、もっとオリジナルで、もっと魂の入った、もっと“攻めてる”ドラマを観せていただきたいのですが。

………まっ何だかんだ言っても、横恋慕親友博人(大内厚雄さん)のズレっぷり、『非婚同盟』三原じゅん子さんの“ツッパリでない版”のようなノクターンミツコ(白石まるみさん)の“半分親身、半分好奇心”っぷりは楽しいですよ。白石さんと火野正平さんが昔なじみのわけありかぁ。

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嵐でぶれたもの

2009-11-01 23:55:36 | 昼ドラマ

先日すでに駆け足でまとめてしまったので蒸し返しになりますが、どうでしょう『嵐がくれたもの』最終話(1030日放送)は。

子供たちを道連れにしての無理心中を企てた菅原(鈴木省吾さん)を、節子(岩崎ひろみさん)が説得して改心させるまでは百万歩、億兆歩譲って前段からのつながりがつくとしても、ロングショット無人の風景での爆発(落雷?ともとれる)音、爆発があったにしてはお行儀よく地面にふたつ並んだブローチ、1ヶ月後にいきなり飛んだかと思うと節子が手刺繍したという虹の絵柄のハンカチ、なぜか宇田川家になじんで亜弓(山口愛さん)と姉妹になり戯れている順子(三浦透子さん)、百合子と亜弓の会話では完全に死んだことになっている節子が、髪型も身なりも事件前と同じような姿で怪我ひとつなくいきなり浜辺に現われて順子と抱擁、虹に向かってダッシュ…など、提示された場面やモチーフをひとつひとつ「どういうことなんだ?」と脳内検証していても始まらないようです。

 ここまで来ると、脚本の不備や拙劣さ、複数ライター間の打ち合わせ不足などという次元の問題ではないと思う。製作主体の“そもそも、どんなドラマを作って放送したいのか”というイメージコンセプトの“ぶれ”と申し上げたい。

もっと厳しく“土台不全”と言っても言い過ぎではない。最終話、残り放送時間10分を切った辺りで人物が豹変したり改心したりして、12話前までの状況局面が180°転換、「ここまで10何週もイライラさせた問題はいったい何だったんだ、時間返せ金返せ」となる作品は東海テレビ制作のこの枠、ご愛嬌の域を越えてかなりあり、そうした“最終話での脱力爆苦笑”のカタルシスもまた一興ではあるのです。

しかし今作ばかりは、途中から放り投げたのではなく出発点からノープランだったと思しい。

愛憎もつれ合い増幅し合って人物の情動がピークに達し、波頭が崩れる瞬間に刃傷沙汰や銃撃、無理心中や誘拐立てこもり、監禁縛り上げといった“荒事(あらごと)”に立ち至ることも頻々なこの枠、菅原の土壇場での真意のよくわからんケツまくり誘拐脅迫(なのか?)と節子の、一応丁々発止な争い自体は想定の範囲内ですが、誇るべき伝統芸たる“情動マグマのぶっぱじけ”に徹する潔さがなく、徹せず緩くした隙間に無理やり“親子きょうだいのしみじみ、ほのぼの、ふんわか微笑ましさ”という“和事(わごと)”を押し込んで、そのまままとめようとしたからなんとも、握り寿司を頬張ったら中にわさびならぬうぐいす餡が入ってるが如き変テコリンな仕上がりになってしまったのです。

最終話本編終了後のCM明け提供ベースで主要登場人物がフレームに揃い「見てくださってありがとうございました!」とユニゾン、カメラ目線で手を振り愛想を振りまいて終わるのが似合いのドラマでは、少なくとも伊勢湾台風明けの第一部まではまったくなかった。

以前からそういう傾向は無きにしも非ずでしたが、月河贔屓のこの枠、ここ1年ほどの間に放送された作品、もっと穿って言えば同じ時間帯の真裏のTBS系が昼帯ドラマ制作から撤退した今春以降の作品はどうも“笑顔で終わる”ということにこだわり過ぎて、最終的に出来をそこなっているような気がして仕方がない。

妬みそねみにコンプレックス、寝取った寝取られた、親代々の恨みつらみなど、ドロドロぐちゃぐちゃ歪んだ負の感情のぶつかり合いを描くのが得意ならとことん貫いたほうが、はるかに気持ちのいいドラマができるのに。ドロドロもとことん貫き通せば、必ずすこーんと胸のすく、風通しのいい地平が望めるはずなのです。

考え過ぎかもしれませんが、TBS2枠(1300~“愛の劇場”・1330~“ドラマ30”)についていた客を惹き寄せようとしての、浅薄付け焼刃な“ほのぼのしみじみ笑顔志向”ということはないでしょうか。

2ヶ月3ヶ月追尾を要する、視聴に根性体力の要る帯でもあり、最後はハッピーエンドで終わってほしいと願う視聴者が多いのは、個別の作品の公式BBSなど見ていても明らかですが、時にはためにためたすさまじい感情の昂ぶりが衝突しそれこそ大爆発して、残骸生傷をさらけ出したままの焦土にエンディングクレジットが流れ、しかし焼け跡の上に不思議にさわやかな風が吹き新芽が萌え出すかのような、そういう最終回のドラマが少し前にはこの枠にありました。

05年『危険な関係』『緋の十字架』、02年『新・愛の嵐』などは、悲しく重く胸痛むけれども、悲しみの彼方の救済と安らぎを仰ぎ見て何日もの間余韻に浸れるような、物語中盤の恒例の中だるみや人物描写のぼやけ、あるいは幾許のキャスティングミス、少なからぬ演出の不首尾等を取り返してお釣りの来る味わいある結末でした。「悲しすぎる」「なぜ死なせたの」「幸せになる主人公カップルが見たかったのに」との声も多数でしたが、とってつけたように“全員笑顔でバイバイ”にしなかったから、放送終了後何年も経過しても思い出深いドラマになったとはっきり言い切れます。

『嵐がくれたもの』も、いたずらに悲しいお涙お別れデスエンドにしてほしかったとは言いません。母性愛がテーマと謳うなら、徹頭徹尾母性愛で盛り上がり母性愛でもつれ、母性愛でぶつかり砕け散るドラマにすべきだった。

たとえば“被災孤児の順子を実子同様に育てた節子だったが、宇田川家令嬢亜弓が自分のお腹をいためた子と知って、何も知らず甘える順子を疎ましく邪魔に思え自らのエゴに悩む”なんてダークな心理をもっと掘り下げてもよかった。

“あんなに必死に探したのに再会できなかった実娘が、見ず知らずのリッチな美人若奥様をお母さまと呼んでなついているのを見ると、どうしようもなく燃え上がる嫉妬と、娘を奪い返したい欲望”“手の届かない良家令嬢になっているけれど、最愛の亡き夫とも、実母の自分とも、あんなところあんな性癖が似ている”“それにひきかえ実子でない順子は、いくらなついてくれても気がつけば自分にひとつも似ていない”“…でもこんなことを思う自分は鬼畜か夜叉か、あぁいけないわ”等、節子の状況や立場や性格を考えれば、もっともっと情動の綾なす物語に織りあげることはできたのに。

母の葛藤を垣間見、亜弓との交流から真相を探り当てた順子が「お母さんは実の子の亜弓ちゃんのほうがやはり可愛いのね、私はいなくなってあげるから亜弓ちゃんと幸せになって」と無茶な行動に出てもよかったでしょう。

「血のつながりがない分も埋め合わせようとして愛して来た亜弓だけれど、実の母の節子さんの愛には、所詮目の見えない、女として母として欠陥品の私では負けるのかしら」と悩み精神のバランスを崩しかける百合子、「私のお母様はお母様一人だけよ、お母様を苦しめる節子さんなんかいなくなってしまえばいい」とこれまた無茶する亜弓、そんな中「なぜ警察表彰をすっぽかして行方をくらましたんだ」と名古屋の丹波署長が節子を訪ね当て、「警察がなぜ今頃?」と疑心暗鬼になった宗助が新たな工作を考え出すなど、母性愛という最も気高い人の心の有り様が、ぶつかり合い摩擦し合って負に転じ、闇を生み出す物語は如何ようにも拡げ、深められたはず。

いまさら個々の筋立ての浅さ薄さ、不整合を言っても始まらない。要は「どんなドラマを作りたいのか」、サビのきいた握り寿司にしたいのかうぐいす饅頭にしたいのか、はたまた抹茶入りカスタードシュークリームにしたいのか、そこだけはゆめゆめぐらつかせないでほしいということです。握り寿司が百円台のバイキング寿司なのか天然特上トロ時価のそれなのかは小さな問題。この枠はドラマの枠として存続しているのだから、ドラマを作って見せてほしい。笑顔に満ち笑顔で締めくくるドラマはそれはそれで魅力的だけれど、笑顔でまとめたことそれ単体を、客は喜ぶわけではないのです。

この時間帯にドラマが作られ放送されていることに意味はあるのか、あるとしたらどんな意味なのか、ないとしたらいつから、何が理由でなくなってしまったのか、そんなことまで考えさせる、取りようによっては伊勢湾台風以上に問題提起性の高い最終話となりました。

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あらあらゲーム

2009-10-29 00:20:13 | 昼ドラマ

1030日の最終話にはまだちょっと早いですが、『嵐がくれたもの』のまとめも急いでしておかないといけませんね。途中早い段階で、別に嵐=伊勢湾台風が契機でなくてもいい、通り一遍の生き別れ親子モノになってしまったなあという所感は以前書きましたが、それを別にしても、2ヶ月クールに短縮したことが、やはりと言うか、あまりプラスに出ない作だったように思います。

何たって話が小さい。狭い。節子(岩崎ひろみさん)&順子(三浦透子さん)のかりそめ親子以外は、ほとんど宇田川流家元一家しかいない世界。さらには“母性愛”をテーマにとことん押すことを決めた時点で、男女の恋愛要素や色っぽい話はないのだろうなと予測はできましたが、戦災孤児あがりの節子と家元令嬢・百合子(宮本真希さん)、ともに運命の悪戯でみずからのお腹をいためない子の母となった2人の女性が「我が子を守るためならここまでやる!」という振幅のバリエーションを、もっと見せてくれたらよかったのですが。

たとえば節子は順子の戸籍の不備露顕を怖れて、11歳にもなろうという順子を義務教育に通わせず、宇田川夫人(沢田亜矢子さん)の再三の勧めも拒んでいましたが、昼帯得意の離れ業=法律・法制ブッチギリを使ってでもここは順子を学校にあげ、何不自由なく実両親に育てられている他の(家元の跡取りなどではない、昭和40年代なりの普通の境遇の)子供たち、PTAママ友たちとの違いを際立たせて「他の親子にはできないこんなこともあんなことも、ワタシは順子にしてあげる」という節子の逆風屹立ぶりを描いていたらどうだったでしょうか。とにかく舞台が狭いので、話が箱庭のように萎縮してしまうのです。

4月クールの『エゴイスト』のときに、“2ヶ月にして話のテンポアップ、中だるみ回避をはかったのは認めるにしても、駆け足で人物の心情が薄すぎ”と、大意そのようなことをここで書きました。『嵐くれ』は2ヶ月で“密度”のアップを試みたのかもしれませんが、“結局予算のサイズも3分の2になったから、嵐ならぬ世の中の荒波を表す登場人物を数々出せなかった”という印象がより色濃く残ってしまった。節子婦人警官篇、名古屋舞台の第一部では深水三章さん、角替和枝さん、清水綋治さんのベテラン勢に宮川一朗太さん、菊地健一郎さんほか、救護避難所に身を寄せたご近所さんもひとりひとり地味なりに味を出していたのに、どうもこのパートっきりでキャスティングがガス欠気味。

順子役三浦さんの素朴な透明感、亜弓(←本当は節子の実娘順子)役山口愛さんの良き古めかしさ、子役さんはともに役のカラーを自身のキャラの持ち味とよくマッチングさせて大健闘だっただけに、お話のほうをもう少し欲張ってほしかったですね。

収穫もありました。さすがの貫禄原田大二郎さん。長い芸歴で看板にしてきた“くっさい芝居”(←断じて褒め言葉です!)が申し分なくこの役に活きました。すべての厄介ごとの元凶のはずの宗助ですが、原田さんが演じてるおかげで不思議に陰湿感がない。ほどのよい嘘っぽさ、面白みのあるイヤらしさとでも言いましょうか。『鬼平犯科帳』ではないけれど、人は良いことをしながら悪い事もし、悪い事をしながら良いこともする。宗助にとって、華道宇田川流を維持存続させ隆盛させたい(“お弟子50万人”には参りました。マルチか)執念も、視力障害がありかつ子を産めない身体の愛娘・百合子の将来を案ずる思いも本物。自分が悪だくみして記憶喪失を利用し娘婿に仕立て上げた恭平(永岡佑さん)の事故死後、枕辺で実の息子を悼む様に本気で泣いていた、あの場面はよかったですね。

全体に、東海テレビ昼ドラチーム、まだ2ヶ月8週ないし9週という“ウツワ”に盛りつける適量がつかめていないのかなという気もする。2ヶ月が不足でも、過剰でもない作品、次作のXmasの奇蹟』に持ち越し期待です。

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略すとクリキ?

2009-10-11 17:01:52 | 昼ドラマ

『嵐がくれたもの』も、観るほうも放送するほうも、ともに1030日の最終話までもうひとターボかけて行かなきゃいけませんが、今月に入って早々、次クール11月からの同枠帯ドラマの情報がリリースされましたね。

Xmasの奇蹟』。レコード会社の女子社員が、ひとりの覆面ピアニストの作品を世に出すプロジェクトをきっかけに、若いやり手のディレクターと恋仲になるも、彼は不慮の事故で急死し悲しみのどん底へ。しかし彼の魂は、別の場所で事故に遭い生死の境をさまよっていた若者の肉体に宿り、失意の彼女の前に現れてやがて恋が…というスーパーナチュラルな、ファンタジックなラブストーリーのようです。

 Xmas奇蹟。この枠の昼帯ドラマとクリスマスって、縁があるようで実はいままであまりなかったように思います。もともと3ヶ月1クールの中で、何十年、複数世代にわたる“大きな”物語を展開してくることが多かった枠ですから、「春だから春らしいお話」「夏だから夏らしいお話」「クリスマスのある年末含みのクールだからクリスマスをクライマックスにするお話」という企画自体珍しい。200110月~12月放送の『レッド』ではクリスマスがらみのエピが数話あったように思いますが、そこへ向かって収斂していくような物語ではありませんでした。

放送クールと“リアルタイムの季節”が直結したのは、月河がレギュラー視聴した中では、200779月の離島リゾートひと夏の物語『金色の翼』が初めてかもしれない。

0279月の『新・愛の嵐』放送前のTVブロスの特集で、出原弘之Pの「暑い夏だからこそ、とことん熱いラブストーリーをと思っ(て企画し)た」とのインタビューを読んだ記憶はありますが、実際放送されてみると、“夏”がさほど大きな意味を持つわけではない、普通の『嵐が丘』翻案メロドラマでした(内陸の山国・甲州育ちのヒロインが、横浜から来た浮浪児あがりの相手役少年のいざなう“海”に胸ときめかせる描写は劇中何度かあり、絵柄的な季節感はなくはなかった)。

11月~12月放送だからこその“クリスマスもの”。この枠伝統の“大きな物語”ではないのだろうなぁ…と、一抹失望はありますが、主役の女性宣伝部員に扮するのは高橋かおりさん。この枠の昼帯には03年『幸せ咲いた』、05年『危険な関係』、07年『愛の迷宮』と、主役・敵役ともに実績をお持ちですし、30代になっても少女子役時代の可憐さやけなげさ、“ほどのよいキツさ”を面影に残し、“もう若くはない女性が遭遇する、古めかしめのロマンティック・ファンタジー”にはぴったりの女優さんです。

悲運の相手役にはTo be continuedVo.…と言うよりもうここ10年以上すっかり役者づいている岡田浩暉さん。月河は『相棒 season3で前後編2週にわたった『女優』での羽田美智子さん彼氏役の、“使用人萌え”的色気が忘れられませんが、一般的には1996年の『愛していると言ってくれ』で常盤貴子さんに思いを寄せながら、お友達で終わってしまう劇団スタッフ役のほうが知られているかも。

神秘のいたずら?で彼の魂を宿しヒロインの前に現れる若者役は窪田正孝さん。NHK『浪花の華~緒方洪庵事件帖』では、脇が濃い人揃いの中、なかなかの目ヂカラで若き日の天才医学者を好演しました。なにげにジュノンスーパーボーイコンテスト出身なんですね(プレ最終選考敗退組らしいですが)。

他に主題歌を歌い本人役で顔出し出演もするパク・ヨンハさん…と耳と活字でお名前を見るだけでは、韓流にはさっぱり疎い月河はまったく顔が浮かばないのですが、『冬のソナタ』のサンヒョク役と言えばもう日本でもばりばりメジャーなのでしょうな。そう言えば『ミュージックステーション』で、歌うお姿は見た気もします。俳優さんにしてはなかなかの歌唱力だったと思いますが、半端ない汗っかきさんだったような。

…別の韓流さんと勘違いしてるかな。

あこがれの華やかな音楽業界を舞台に、働く女性と切れ者の男性、そして対照的な、ビジネスに染まらないピュアな若者がからみ、交通事故とアイデンティティ入れ替わりの悲恋物語…となるとストーリーからして韓流チックですが、3ヶ月クール時代のこの枠伝統だった、グランドな時代ロマンや、ぐっちゃぐちゃの愛憎くんずほぐれつは期待できなくても、押し詰まり行く年の瀬気分での視聴にふさわしい、せつなさを帯びた堅実な良作になら、かなりなりそう。

バブル期、高級ホテルやレストランが予約満杯になり、イブ直前の数日間でティファニー、シャネルが何億円も売れた“一億総サカリついた猫”時代が遠い語り草になったドン冷え日本で、あえて“クリスマスもの”という外しかたも、ある意味“注文相撲”かも。

脇キャストの中では、ヒロイン高橋さんの妹役と思われる、蒲生麻由さんが楽しみですね。04年『特捜戦隊デカレンジャー』サキュバス、05年『仮面ライダー響鬼』たちばな姉妹の姉・香須美さんの頃から、かすかなトゲと薄幸感のあるこの美貌、絶対昼帯向き!と、この枠への来演待望していた女優さんなんです。

同じ頃やはり嘱望していた、所属事務所が一緒の肘井美佳さんはすでに同枠でかなり重要な役をつとめてくれたし、次はきっと蒲生さんの開花する番になるはずです。

新旧クール交代期でも、水割りみたいな長時間スペシャルで埋めたりせず、金曜に前作が終わったら、三日後の月曜にはきっちり新作が始まる律義さも昼帯の好ましいところ。現行放送中『嵐がくれたもの』のもうひとターボとともに見守りましょう。

そう言えばこの『嵐くれ』こそ、台風シーズンにぶつけた“季節モノ”でしたね。

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時は流れ すべては変わり

2009-09-24 15:46:28 | 昼ドラマ

831日スタートの『嵐がくれたもの』、なんとか1話遅れ、2話遅れぐらいのところまで追いついてきましたが、結構な牽引力です。

ここのところ、近年でいちばんの早起き生活なので、深夜の録画再生タイム、もう眠いから打ち切って明日にしようかという段で、「いや、とりあえず次のCMまで」と思わせるものはある。

リドリー・スコット監督の映画『ブラック・レイン』を観たとき、あまりの居留地的ごちゃ混ぜエキゾティシズムに、外国人が撮ると大阪もこう見えるのかと驚いた記憶がありますが、『嵐くれ』は“昭和のごちゃ混ぜ”

一応、設定は伊勢湾台風から10年後の昭和44年ということになっていますが、この年代に、TVや漫画雑誌・芸能誌大好き小学生坊主だった月河から見ると、どう見ても、昭和20年代中盤の敗戦早々と、30年代40年代の高度成長期、なんならポストオイルショックの50年代初期ぐらいまで、人物の服装髪型や街頭風俗がスーパーミックス。

水害後に節子(岩崎ひろみさん)に拾われて養女・順子となった少女(三浦透子さん)のキャスケットにデニムのオーバーオール(←“サロペット”ではなく)などまさに宮城まり子さんのガード下靴みがきスタイルだし、宇田川壮助(原田大二郎さん)によって名古屋の資産家・森龍太郎と偽られた恭平(永岡佑さん)と結婚した盲目の華道家元・百合子(宮本真希さん)のレースフリルたっぷりな薄物ふんわりトップスに“エリザベス女王レングス”のスカートは、ドンズバ昭和40年代昼ドラのよろめき良家若妻風。

22日(火)放送の17話で節子が着ていた縁取りありのボートネックトップスなんかは、昭和50~51年頃『愛に走って』や『パールカラーにゆれて』を歌っていた頃の山口百恵さんがよく着ていました。ちょっと首が太短寄り、肩もがっしりめで丈夫そうかな?という女の子が着ると、若干華奢に見えるんですよ(月河も当時愛好)。

昭和44年ならその年流行った曲流しときゃ間違いないだろうってんで、キング・トーンズ『グッドナイトベイビー』、カルメン・マキ『時には母のない子のように』、高田恭子『みんな夢の中』、由紀さおり『夜明けのスキャット』とピンポイントでイージーに流れる流れる。権利関係大丈夫なのかしら。それも、場面によっては贔屓目に見ても東京オリンピックの後ではあるはずがない風物、装置の中で流れるから、底知れないスーパーミックス感です。

イングランド生まれでロンドン王立美大出身のリドリー・スコットが撮ると日本が『ブレードランナー』になり、大阪が『ブラック・レイン』になるのと同じように、平成しか知らない、あるいはバブル以後しか知らない日本人が、ブッキッシュな情報知識だけでイメージし具現化すると、“昭和44年”もこうなるかの感。

しかし、こうしたごった煮&絵空事感をもまとめてぶっ飛ばす、恭平(偽られて龍太郎)役・永岡佑さんの、ものすごい“昭和感”が圧倒的です。圧倒的にもほどがある。

微妙な位置での横分け直毛の黒々ボリューム感、額の輪郭の、マジックでフチ取ったようなくっきり角張り具合、これと対比する顔の下半分の小じんまり具合(もっと言えば貧相さ)、正面向きの顔面積に比してこちらは大きすぎる“耳面積”、役柄設定的にやたら多い“思いつめ顔”で、そうでなくても狭苦しい眉と眉の間から鼻柱付け根付近に現われる小心そうなシワの形状など、こんなに隅々までみっちり“昭和臭い”容姿の俳優さんを、よくぞ見つけてきたもの。

彼が画面に登場するだけで、多少街角風物や看板ポスターなどに時代考証不整合があってもどうでもよくなってしまいます。序盤、水害前の、両親がかり妻がかりで無職の画家修業中・恭平は一日じゅうシャツにズボンだけのカジュアルスタイルでしたが、華道家元のムコ殿兼事務局長の龍太郎となってからはかっちり野暮ったいスーツネクタイ姿が多く、昭和感も倍増。

“事故で記憶喪失し別人のアイデンティティを生きている最中、最愛の女性と偶然再会再燃、記憶を取り戻す”という設定は何やら『冬のソナタ』でぺ・ヨンジュンさんが演じたミニョン(チュンサン)を思い出させます。

赤子の身で恭平とともに水害を生き延び、婿の連れ子として宇田川流を継ぐべき令嬢・亜弓となった、実は節子実娘の順子(山口愛さん)の境遇も、これまた昭和の少女漫画そのもの。

平成の東海テレビ制作昼帯として見れば、これほど“色っぽさ”“甘美な官能”と縁遠いドラマも久しぶり。“母性愛”押しはやはり、エロを含む“情熱恋愛”とは利害が対立しますね。

観る人によっては、警察官としての表彰を潔しとせず一度は施設に託した赤ん坊(=現・順子)とともに逃避行、店頭から盗んだ餅を頬張って母乳を含ませる節子の“汚れた顔のマドンナ”姿に色気を感じたでしょうか。

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