世界の創造主が神であるならば、その世界を破壊する人間を神は赦すのだろうか。
劇中の様々な局面で突きつけられる問いに思いを巡らす。本作の場合、環境問題に繋げているが、あらゆる人間の業にあてはまると思えた。人間の経済活動によって生かされる現代の教会組織。信仰の砦は、環境を破壊し利益を貪る者によって支えられる。タブーとも思えるテーマに切り込む脚本だが、敬虔なクリスチャンとして育てられた監督自身の手によるものだから驚きだ。映画は、神と人間の関係性を見つめ、苦悩する1人の神父の絶望と怒りと救済を描く。
今や”土産物屋”と揶揄される教会を代々受け継ぐ1人の神父。彼の元に現れた環境活動家の若い夫婦は、環境破壊による将来を憂い、身ごもった命を堕胎したいという。そんな夫婦に救いの手を伸ばしたことをきっかけに、神父の運命が大きく変わっていく。失望する教会の真実、神父が抱える過去の悲劇、体を蝕む病魔、迫る教会250周年の式典、いくつものタイミングが重なり、1つの計画へと突き進む。
ナレーションは神父の日記の独白だ。デジタルの時代、神父が手書きの日記に拘ったのは、訂正の筆跡も全て残すことにある。そして1年が経過したら、その日記を燃やす。事実と向き合い、全てを孤独のなかで完結させる覚悟だ。聖職者として自身を律し、迷える人々を救うことに努める神父の姿に、信仰が人間にもたらす力を垣間見る。
「希望と絶望を抱えて生きることが人生」。夫婦を救済するはずが、自身の無力さを知り、耐え難いジレンマに苛まれる。神父が信じていたものは何だったのか。淡々と、しかし確かに、神父の信念の移ろいが見て取れ、終始引き込まれる。静かに燃え滾る魂を体現したイーサン・ホークの名演は、今年のオスカー受賞に最もふさわしいと思えた(候補入りさえされてないけど)。
結末は、唖然とさせるものだった。現実から引き離したそのシーンは、神父への救済と感じられた。多くの結末が考えられるなか、最も観客の共感を得にくい選択に、監督の本作に賭ける思いが滲んだ。
【75点】