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デトロイト 【感想】

2018-02-01 08:00:00 | 映画


本作の事件を初めて知った。先入観としてあった、白人たちが一様にアフリカ系の人たちを虐げる構図は避けられていて、白人側、黒人側ではなく、中立的な立場で事件の全容を冷静かつフェアに見極めようとする視点が貫かれている。加害者側の変容と葛藤も注視されているのが印象的で、「人種差別を描いた映画」という表現だけでは括れない。暴力的なシーンに留まらず、確かに存在していた当時の音楽シーンなど、豊かな文化的側面もしっかり抑えられていて、当時のデトロイト、そして悲劇が起きた現場に観客を引き込んでいく。濃密な臨場感によって、他人ゴトでは済まされなくなる。極限状態に置かれた人間ドラマは、もはやビグロー監督の作家性ともいえ「女性監督なのに」は死語となった。若い役者たちを先導し、大勢のエキストラをまとめあげ、時代の熱気を蘇らせた監督の手腕に唸らされる。尋問のシーンでどうしても腑に落ちない「なぜ話さなかったのか」という疑問は、不確実な事実だったからだろうか。

「デトロイト」と聞いて思い浮かべるのは、かつて自動車産業で栄えたものの、今やゴーストタウンとして没落した町の風景だ。本作で描かれるのは、そんなデトロイトでベトナム戦争中の1967年に起きた事件だ。映画の冒頭シーンで、自分のような当時のデトロイトの様子を知らない人間に向けて、奴隷制度以降、南北戦争の変遷を経て、事件の火種となった暴動に至るまでの背景が説明される。その字幕では「暴動は不可避だった」と早々に結論づける。

当時のデトロイトが白人優位であったことは間違いはないと思うが、あからさまに黒人側が差別され虐げられる様子はあまり見えてこない。暴動のきっかけとなった、黒人が経営する違法酒場の摘発も、しごく正当なものだろう。その摘発現場で白人警官たちの指揮をとっていた人は同じアフリカ系の人だ。キレたのは、その逮捕劇を眺めていた周りに住む黒人たちで「逮捕は不当だ!」と警官たちに投石をはじめる。黒人の群集に襲われ、恐怖に慄く白人警官たち。その時点だけ見れば正義は白人警官側にあった。

彼らは暴動のきっかけが欲しかったとも取れる。白人優位の社会に対し、不満が爆発する寸前にまで達していて、発火のボタンを誰が押すかの状態。「みんながやれば怖くない」の群集心理なのか、暴動は瞬く間に広がる。破壊と略奪により町は無法地帯となるが、略奪の対象は白人が経営する店に限らず。「兄弟の店」と掲げた黒人が経営する店にまで無差別に及ぶ。あくまで一部の黒人たちによるもので、劇中の様子からは暴動に参加しない人たちも多かったようだ。

暴動を抑えることは、市民の安全を守る警察の当然の役割だ。問題はそのやり方。「人権」というセリフが劇中で何度も出てくるように、肌の色に関係なく、人権を尊重しなければならないという価値観が根付いている。ただ、自然な意識ではなく「黒人にも人権がある」という差別意識が元にある言い方だ。のちに事件の中心人物となる若き白人警官が、店から商品を盗んで逃げる黒人青年を制止しようとする。「止まれ!」でも走り続ける逃走犯に対して、背後から容赦なく発砲。警官として純粋な正義感があったはずだが、逃走犯が同じ白人でも同じことをしたのかは不明だ。

事件は暴動の現場から離れたモーテルで起きる。発砲による問題を起こしたばかりの白人警官、レコード契約を目指すミュージシャン、夜勤明けにも関わらず仕事に向かう警備員、同じデトロイトの住人ながら、一夜の不幸な偶然によって、全く接点のなかった人間たちが事件の当事者になっていく。その道筋が明らかになるにつれ、怖さが増していく。暴動は白人警官にとっても恐怖であり、緊張感が膨れ上がる状況下で、とある黒人が起こした「悪戯」が取り返しのつかない事態に発展させる。

終盤、長い時間をかけて描かれるのは戦慄の尋問だ。犯人を存在を確信する白人警官と、罪のないモーテルの宿泊者たち。恐怖を取り除く、あるいは見せしめのためか、白人警官たちは躍起になって犯人を見つけ出そうとする。若い白人警官による黒人への強い差別意識がついに露出する。激しい尋問によって引き返すことができなくなったことへの焦りが、火に油を注ぐかのように暴力を加速させていく。過ちを自覚するものと自覚できないものが現れ、現場はある種のトランス状態に陥ったようにも見える。殺すか殺されるかの戦時下の空気にも近い。加害者と被害者という構図だけでなく、白人警官たちの異常性を見極める第三者が登場するなど、当時の事実関係を誠実に描こうとする脚本の意図が透ける。恐怖、怒り、焦り、保身、良心など、様々な感情が交錯するシーンでもあった。

緊迫感がみなぎる尋問シーンのなか「早いとこ、正直に言ってしまえばいいのに」という疑問がずっと頭を巡る。警官の目的はあくまで犯人を見つけることであるが、相応の事情についても十分に聞く耳を持っていたと思えた。ところが、尋問を受ける宿泊者たちは「銃はない」「わからない」の一点張りで必死で無実を訴え続ける。その疑問は、エンドロール前の事件の裁判結果を説明する字幕で少し解消された。真実に忠実でありたい映画だったからこそ、明らかにされていない真相は描けなかったのかもしれない。あくまで勝手な想像であるが、それでも映画として劇中世界に集中できるよう、何かしらの意味づけを加えるなどフォローが欲しかった。

加害者の中心人物を演じるのはウィル・ポールターだ。強い曲線の眉毛が相変わらず個性的。卑劣で憎たらしい白人警官役であり、必死に自身の過ちから逃れようとする堕ちた人間を説得力たっぷりに演じる。監督のキャスリン・ビグローの視点は、事件の再現に留まらず、思わぬ悲劇に見舞われた被害者たちのドラマにも重きを置く。とりわけ印象的だったのは、ミュージシャンとして成功を目指す黒人青年の存在だ。彼が初めて登場するライブシアターの熱気に魅了される。彼の抜群の歌唱力と眩いほどの情熱が丁寧に描かれるからこそ、事件の罪がなおさら深く響く。

【65点】

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