そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

「津波と原発」 佐野眞一

2011-10-02 20:50:57 | Books
津波と原発
佐野 眞一
講談社


東日本大震災と福島第一原発事故について、おそらく一番早く出版されたルポルタージュ。
著者は、地震発生一週間後の3月18日には三陸の津波被災地に入り、また、4月25日には福島第一原発周辺の立入禁止区域にも潜入して被災地の実態を目の当たりにするとともに名もなき被災者たちの生の声を集めます。

そして本書の後半は、日本の原発推進の歴史、そして福島の浜通りに東電の原発が建設されることになった経緯を詳らかに追っていきます。
リサーチと当時を知る人への取材にかける熱意が強烈に伝わってきます。
著者には、過去に、”原発の父”正力松太郎や”東電OL殺人事件”を採り上げたルポルタージュの著作があり、そのあたりも一方ならぬ思い入れに繋がっているように思われます。

正直、著者の感性にはついていけない部分もあり、共感は相半ばという印象でしたが、読後に何とも云えぬ”イヤな気持ち”が広がっていくような、情念が込められたルポルタージュになっています。

この本に出てくる福島浜通りの被災者たちは、口々に「原発は安全だと信じ込まされてきた」「東電に騙された」と語ります。
それはその通りなのでしょう。
東電の罪は極めて重いと思います。
が、彼らは100%イノセントな被害者なのかといえば、そう言い切るのにどこか躊躇いを感じます。
東電の原発が、特段の産業も無く貧しかった浜通り地域に繁栄をもたらしたのも事実なのです。
その恩恵を浴びながら、自ら安全神話に身を委ねてきた側面は果たして無いと言えるのか。

浜通りの地元民だけではありません。
原発推進者たちは決して悪意のある扇動者としてのみ存在していたのではなく、省資源国家に未来のエネルギー源をもたらす、或いは、貧しい過疎地域に産業と雇用を生み出すといった真面目な想いが活動の原動力になっていたのもまた事実なのでしょう。
日本人全体がある意味安全神話に加担していたのだと思います。

ところがその結果起きてしまったのは残酷な現実。
放射線の健康に与える影響については諸説入り乱れていることは承知ですが、少なくとも人類史上稀にみる大量の放射性物質により、一部とはいえ国土を汚染し、人が住めなくなり、多くの家畜に犠牲を出した、その事実だけは間違いなく実在している。

だからこそ、この本の読後感は苦く、”イヤな気持ち”をもたらす。
そしてそのことにこそ、このルポルタージュの存在意義があるのだと思います。

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