そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

戦争にまつわる人間ドラマ

2005-08-18 11:02:18 | Diary
ここ数年、終戦の日前後のこの時期には太平洋戦争を舞台にした映画を観ている。
時節がら、NHKのBSやCATVで観られる映画専門チャンネルで特集上映をやるので、という理由もあるが。

一昨年は岡本喜八監督の「日本のいちばん長い日」を、昨年はフランキー堺主演の「私は貝になりたい」を観た。
今年は2本。
1本は、先ごろ亡くなった野村芳太郎監督作品、渥美清主演による人情喜劇「拝啓天皇陛下様」('63年)。
もう1本は、「七人の侍」の七郎次役で有名な加東大介が、自らの従軍時代の実体験を綴った小説を原作とし、加東自身が主演を務めた作品「南の島に雪が降る」('61年)。

「拝啓天皇陛下様」
昭和6年、満州事変の起こった年、岡山の連隊に新兵として応召された棟さんこと棟本博(長門裕之)は、カタカナの読み書きしかできないヤマショウこと山田正助(渥美清)と出会う。頭は弱いが明るく人懐っこい人柄のヤマショウ。たとえ先輩兵からの激しいイジメに耐えねばならなくても、寝食を与えられ飢え死にを恐れる必要の無い軍隊生活は、孤児として貧しい人生を歩んできたヤマショウにとっては天国のようだった。やがてヤマショウは中隊長の計らいで読み書きを習う。除隊が近づいたある日、ヤマショウは「ずっと軍隊に居させて下さい」と天皇陛下に手紙を書こうとする。
日中戦争から太平洋戦争、日本が戦争の深みへと歩みを進めていく中、ヤマショウと棟さんも除隊・応召を繰り返しながら、中国大陸で戦う。やがて敗戦、引揚げ、困窮の復興生活へと。
二人の、強い絆で結ばれた厚い友情が泣ける。「戦友」とはこういうものか、と実感した。棟さんは結婚し居場所を移していくが、ろくな連絡手段も無い時代になぜかその居所をつきとめて、ひょっこり現れるヤマショウ。棟さんも、そんな憎めないヤマショウのことが好きで好きで堪らない。始めは胡散臭がってた奥さん(左幸子)も次第にヤマショウの人懐っこい人柄に惹かれていく(左幸子がとても魅力的)。
苦しく辛い時代が背景になっていることが、その友情物語に切なさを帯びさせる。唐突なラストが生み出すペーソスが堪らない。

「南の島に雪が降る」
原作・主演の加東大介が体験した実話である。
役者一家に生まれ、戦前から有名な舞台俳優だった加藤(加東大介。彼は沢村貞子の弟で、長門裕之・津川雅彦兄弟の伯父にあたる。)は召集を受け、昭和18年、衛生兵として西ニューギニアのマノクワリに駐屯する部隊に派遣される。
マノクワリ部隊は敵に補給路を絶たれ飢餓と疫病に苦しんでいた。毎日襲来する「定期便」の空襲にも脅かされている。そんな厳しい状況下、加藤の出自を知った上官は、限界ギリギリとなった兵士たちの精神状態を慰めるべく、加藤を分隊長とする「演芸分隊」を組織することを命じる。
部隊全体への募集に応じて「演芸分隊」へのオーディションに参加する多くの兵士。元俳優、歌手、手品師、かつら職人、美術デザイナー・・・。メンバーを揃えた「演芸分隊」の第一回公演に兵士たちは歓声をあげる。その効果を喜んだ上官は、本格的な劇場「マノクワリ歌舞伎座」の建設を決定する。
軍隊とは一切の妥協と息抜きの許されないところだという先入観からしてみると、演芸分隊などというものが成立したこと自体に新鮮な驚きを感じる。もちろんそれは甘い感傷を意味するものではない。演芸分隊が無ければ一切の娯楽は存在しなかったと言うことであり、やはりそこは生き地獄であった。
書き割りの一つ一つに歓声をあげ、女形の衣装や化粧品の香りにかあちゃんを想い興奮し、落下傘と紙吹雪の雪に故郷をみて涙する兵士たち。枯れ果てそうな食料、限られた物資という厳しい条件下、少しでも良いものを観せようと懸命に努力する演芸分隊の面々。これほど役者冥利に尽きるという言葉が相応しい状況は無いだろう。加藤と伴淳三郎演じる元田舎役者が「おれは絶対に生きて帰って一生役者をやるぞ」と決意を話し合う場面がとても印象的だ。
自分は、加東が書いた原作も昨年読んだ。映画は、100分間という短い時間に話をまとめたこともあって、芝居作りの苦労や南海の戦場生活の過酷さを原作ほどに伝え切れていない面があるのは仕方がない。一方で原作を読みながら頭に思い浮かべていた場面を眼前に形あるものとして見ることができたのはやはり嬉しい。特に、原作者である加東自身が出演していることから考えると実際のマノクワリ歌舞伎座はこの映画のセットにかなり近いものだったのだろうと推測できる。原作を読みながら想像していたものよりもずっと立派だった。

これら2本の映画は、いずれも「戦闘を直接的に描いていない戦争映画」である。軍隊や戦場を知らない自分に、兵隊たちも笑いと安らぎを求める生身の人間なのだという、考えてみれば当たり前のことを改めて感じさせてくれた。
2作とも名作である。
コメント (2)
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祖父の見舞い

2005-08-18 01:27:49 | Diary
先週の金曜、今年で89歳になる祖父が、肺炎で入院した。
ちょうど今週夏休みなので見舞いに行ってきた。遠方なので一泊で。

昼間もずっと眠っているような状態。
話しかければ会話はできるのだが、痰がからみ、常にむせているような様子でとても苦しそうだった。

飲食も禁止されている。
今回医師に話を聞いて初めて知ったのだが、年老いて食物を飲み込むことがうまくできなくなることも肺炎の原因になるそうだ。
本来食道に落ちるべき食物が気管に入りむせる。そのときに雑菌が気管から肺に入ってしまうらしい。
人間、年をとるといろんなところにリスクが生じるのだなと感じた。

今すぐどうこうということはないと思うけど、年齢が年齢だけに心配。
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