ツェッペリン熱


 またか、と言われてしまいそうですが、やっぱりツェッペリンのお話。
 ツェッペリン熱が三十数年ぶりに再燃してます。
 押し入れに入っていた関連書、CDを引っ張り出し、新たに買って、借りて、・・・↑

 ツェッペリン熱が長い間消えていたのは、彼らの出す音が「よい」と思えなくなったからではあるのですが、彼らについて考えることを継続できなかったからであるとも言えるかもしれません。
 何を歌っているかさえも不正確にしかわたしは知らなかったし(このエントリーを参照してください)、継続してまじめに考える資料、ネタがなかったのです。
 かつては、継続して何かについて、「比較的手軽に」、まじめに考えることができるためには、たとえば「スタンダール」のように、メインカルチャーに公認されて(スタンダール自身は在世当時は先鋭的な、危険な作家だったはずですが)、こんな本も用意されておかしくないような対象でなくてはならなかったわけです。
 大きな意味でのカウンターカルチャー、オルターナティヴなものは、そうはいかなかったです。
 インターネットのおかげでそういう事情は飛躍的に改善されました。よかったよかった。(←この書き方は山下洋輔流でした)

 アルバムのNo Quarter(↑いちばん手前の、ペイジとプラントが彼方を見つめているジャケットのやつ)、94年の作ですが、今回初めてききました。

 これ、傑作じゃないですか! ツェッペリン・ナンバーはどれもオリジナルよりずっといい! 
 しかもグナワまで入ってる!

 録音場所のクレジットが、なにげに、

 Marrakech, Maroc (ママ)
 Snowdonia, Wales
 London, Albion

となっているのには驚きました。
 ロンドンがあるのは、アルビオン Albionですか。
 カエサルが占領しに来たとき、ドーヴァーの白亜の絶壁を見て名付けた、あの国の名前です。
 Englandでも、("Rule !") Britanniaでもないんですね。

 ペイジとプラントが言いたいのは:

 これらの音は、すべて横一線上に並ぶんじゃないでしょうか

ということなのだと思います。彼らの心の中で、感性の中で、並んでいるのです。

 いま「ワールドミュージック」という言葉で指し示されているものとは違う、ゲーテがWeltliteratur「世界文学」と言ったのと同じ意味での「世界音楽」が、ここで垣間見られているはずです。
 
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