シャラカタ


 結局リミッティが西洋型アレンジ・録音でこの世に残したアルバムは Sidi Mansour, Nouar そして N'ta Goudamiの3枚ということになります。Sidi Mansour はロバート・フリップ、イースト・ベイ・レイ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーらとの共演ということになってますが、リミッティの音のトラックを聞きながらフリップたちが演奏をかぶせただけであり、両者は顔を合わせてもいないので、そんなに音楽としてまとまりのあるものとは思いません。Nouar は Charles Cros 賞も受けた傑作ですが、今の時点から考えるなら、N'ta Goudami の方が断然優れていると思います。
 「繰り返しがあんまり多すぎる」と難ずる人もいるのですが、これは元々のライがそういうものなので、原点回帰なのです。いったんこのパターンに乗ってしまえば、催眠術にかかったように、聞き続けずにはいられないようになってしまいます。

 ところで西洋型の3枚のどれにも、リミッティの名を全アルジェリアにとどろかせた『シャラカタ』は入ってません。ちょっと残念ですね。

 西洋電気楽器伴奏の『シャラカタ』は、わたしは幸せなことにライブで聞く機会がありました。

 場所はフランス、ダンケルクでした。2003年、「フランスにおけるアルジェリア年」ということで、アミアンでベルムーが演奏するのと日程が近接していたこの時期を狙って渡仏したのです。

 時間通り、前座もなしにいきなり始めるのには少しびっくりしましたが、リミッティは自分の気合いが入ったときに即演奏をはじめるからそうなったんでしょうね。彼女は曲目予定はあまり気にせず、そのとき歌いたい曲をうたうんです。周りの者はそれに合わせるわけですね。

 それで『シャラカタ』ですが、ほんとモダンで楽しいんですよ。この曲に関しては繰り返しのテンポがやけに遅くて

 シャラカタ。   シャラカタ。

という感じ。オリジナルでは呪術師の呪文のように早口で

 シャラカタシャラカタシャラカタシャラカタ・・・

と唱えている感じですから、だいぶん余裕があります。

 それでね、間奏部でリミッティは両手を大きく左右に広げて頭を傾け、前の方に

 ぽん。   ぽん。   ぽん。

て、跳ぶんですよ。 (^o^)

 会場からはおおおおおおと大歓声。 \(^O^)/ \(^O^)/ \(^O^)/

 ほんとに楽しいシャラカタでした。

 場所柄、お客の大半はフランス人という会場でしたが、リミッティはあの大声援を心から喜んでいたように思います。

 日本公演は、第一部がガスバとデルブッカ伴奏による伝統バージョン、第二部の現行の電気楽器伴奏バージョンの方という構成にしていました。リミッティも第二部で日本人とアルジェリア人が一緒に踊っているのを見たのをよい思い出にしてくれたものと思います(「第三世界の民俗音楽をかしこまって聞くつもりで来たのに、こんなドシャメシャ・ロックを聞かされるとは」って感じで早々に退散しちゃった人もいたみたいですが)。

 日本ではシャラカタは第一部の方で演奏されました。最近は見られなくなっていた本来のスタイルが見られたので、それはそれでよかったのですが、電気楽器伴奏によるあの楽しいシャラカタも捨てがたかったなあ、となつかしく思い出します。
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