日本人はフランス語を誤解している!・・・と思うけどなあ・・・
フランス語系人のBO-YA-KI
資本主義、独占、文化的鎖国
前のエントリーの続きです。
(ビジネスの世界の方々にとっては釈迦に説法、当たり前の話になっていると思います。でも音楽や文化の領域でいっぺんこういう状況の弊害を考えてみていただければ幸いです)
本当は日本人というのは物見高いというか、好奇心が強いし、自分の文化に絶対の自信を持っているという感じではないので、よその文化がどうなっているか、興味を持つ方のはずなのです。そのあたり中国的自負や韓国的自負とは違うところがあると思います。
でも音楽の領域では、たしかに現状では日本のリスナーは自国の音楽か、あるいは英米ポップを聞く人が大部分です。それはCDショップの品揃えを見れば一目瞭然です。日本と英米以外の音楽は「ワールド」の狭いスペースに押し込まれてます。
なぜこうなっているかというと要するに、日本と英米以外の音楽がなかなか聞けない状態にある、ということでしかないと思います。ラジオや有線等でも日本と英米以外はかからない。一般の人の耳に入るようなところにない。
聞いたことのない音楽を愛せるわけがない。買うわけがない。
この状況は日本の音楽業界の洋楽関係の人たちが、言葉は悪いですが「英米べったり」で、他のものを売ろうとしない姿勢なのが原因なわけですが、じゃあなぜこういう姿勢になっているか。
この「現象」の原因については諸説あります。
業界の今の主力が、英米音楽のインパクトの強かった時代に育った人たちだからという解釈がありますが、それよりもグローバリゼーションの時代で、メジャーの世界戦略の拘束が厳しいのだという話の方が説得力があると思います。今から苦労してプロモーションを展開しても売れるかどうか分からない音楽は、最初から売らない、「こういうものがある」と伝えるコストをかけることすらビジネス的に「良くない行為」と考えられている、ということです。
その傾向はエスカレートするばかりのように見えます。『ミュージックマガジン』2000年2月号で高橋修さんがポリドール社の販促部長補佐の方の話を伝えておられます:
「今の外資系のメジャーはどこも極めて短視的な見通しのもとに動いている。3ヶ月、最低でも1年でどれだけ利益が上げられるか、が勝負なので、すぐに利益が上がらない商品はもう最初から出すな、という考え方になっているのだそう。・・・ 外国の本社から日本の支社への締め付けが10年前とは比べ物にならないほど厳しいそうで、日本独自の動きをしようとしても現実的に難しいのだそうだ。・・・ワールドワイドで売り出そう、と本社が決めたものは日本発売されるが、そうでないものは文字どおりなかったことになるらしい」
わたしは、音楽のネット配信が少しはこの閉塞状況にインパクトを与えないかと期待しているのですが、2006年の今のところまだそういう話にはなってないようですね、残念ながら。
以上のようなことは個人的に、2001年のラシード・タハ来日公演のとき少し仕事をお手伝いしてみて痛感しました。
ラシード・タハは日本であまり知られていない。いい音楽だけど、日本で聞く機会がない。人は聞いたことのない音楽を愛するわけがない。
多くの人に聞いてもらうのにものすごい苦労がある。コストがかかる。日本のラジオ局の番組で流してもらおうと思ったら、汗をかいて、こっちから金をかけてでも売り込みをしないといけない。そこまでなかなかできないです。
ちょうどタハと同じ時期にエリック・クラプトンが来日してました。こっちは日本全国津々浦々、ずいぶん多くの会場でコンサートをやっていきました。クラプトンに関しては、日本ではみんなよく知っている。Too Much Monkey Business から White Room、Layla、I shot the Sherif を経て Change the World、それ以降に至るまで、彼の音楽を愛し、ずうっとフォローしている人たちが日本にガッチリ存在する(まあ60年代に最初にクラプトンが売れ始めたころには、それなりの販促のご苦労はあったと思いますが・・・)。
だから宣伝コストは基本的には「クラプトンが日本公演をします」という案内を流すコストだけ・・・ということはないかもしれないけど、コストと利益は業界人ならしっかり見積もれる。
タハを紹介しようと思ったら紹介を一からやらなければならない。Douce FranceがあってVoila Voilaがあって、Ya Rayahがあって云々云々てね。そんな莫大なコストをかけて、どれだけ人が来るのか未知数というのでは、とてもそんな冒険はできません、となる。
音楽は、彼らにとっては商品なのですから、当たり前のことです。
(ただわたしとしては、日本の音楽業界の大手の人は少々ビジネスにこだわりすぎる振るまいをする印象を持ってますが。偉そうなことを言うと、たぶん彼らは、自らをちゃんとした資本主義の合目的行動を行える、ちゃんとしたジャパニーズ・ビジネスマンと自負したいのだろう、という気がします。自分の気に入った音楽、思い入れのある音楽を売ろうとすること、本当に大衆にブレイクするかどうか未知数のジャンル、売り込みにコストのかかる音楽にこだわるということ、そんなのは道楽者のやる行為、資本主義のド素人の勝手な行為だ、おれをそんなド素人の甘ちゃんと一緒にしてくれるな。だいたいそんなの、会社に対しても、株主に対しても許される行為のはずがないじゃないか・・・ということかな、と思うのです。
音楽業界だけロマンを持ち続けて欲しい、資本主義の素人でいてほしいというのは、商品としての音楽の売れ行きが生活の死活問題になっていない人間のもつ、虫のいい期待なんでしょう)
と、ここまで言っても、やっぱり納得しない人は多いです。
たとえばライは多くの日本の人に魅力的な音楽であるのは明らかです。ためしにお聞かせした人から、「こんな凄いもの、なんで日本で売ってないんですか?」と不思議でしょうがないという顔をされたことがあります。そこで、日本で今知ってる人は少ないが売れば売れるはずだ、それをしないのは業界の怠慢だ、リスクの過剰回避だという話をする方がおられるわけです。でもね・・・
資本主義というのは「いい音楽なら売れる」というような無邪気な信念は、なかなか実現させてくれないものだと思います。
ウォーラーステインがどこかで言ってたのが印象的でしたが(どこへいったのか、本が見当たりませんが)、資本主義は不可避的に市場の独占を志向するものなのです。
音楽ビジネスの場合、「よその面白い音楽を知らさずにおくこと」、それによって、ちょっとした情報を投げ込むだけで大人数が特定の音楽(特定の商品)だけにリアクションしてくれて、CDを買い、コンサートに来てお金を払ってくれる状態にマーケットを保っておくことの方が、音楽の業者たちにとっては資本主義的行為として正しい、ということになると思うのです。
テクノロジーを駆使して音作り、録音技術を高度に「こぎれいに」すれば、「日本の音楽は(英米に次いで?)世界的に優れたもので、よその音楽はこれよりも劣ったものであり、さして聞く必要もない」という漠然とした信念に大衆を誘い込むことは容易だと思います。
それにそうやって市場を閉鎖しておけば、よそから優れた音をパクって来てオリジナルのような顔をして使うというのも、やろうと思えば簡単にできることになりますね・・・
これも日本のマーケットが大きくて、独占の旨みが大きいことがあだになっているわけです。
わたしはよく挑発的に「音楽的には、日本人の方がアルジェリア人より田舎ものです」って言うんですが、あんまりその真意は分かってもらえないみたいですね。アルジェリアは市場も小さいし、必死に囲い込んだところで違法コピーが横行しているから、たいして囲い込んだことにならない。だから世界のメジャーはあまり興味を示さない。でもだからこそアルジェリアには四方八方から多種多様な音楽が気安く流れ込んできて、リスナーはそれらを主体的に廉価で享受できるわけです。
アメリカやフランスは、人種構成に非常にバラエティがあって人の出入りも盛んだから、自然に多様な文化が豊かに国土の上に存在することになります。とくにフランスは民族コミュニティーを超えた文化の交流、享受がある。移民層の不満による社会不安というマイナス面はありますが、人と文化の往来が激しく、だれも市場を囲い込むことができないです。だからフランスに生活する人たちは、それだけ世界に目を開かざるをえない状況におかれていると言えるでしょう。
日本みたいに均質性の高い社会は、そうはいきません。
ちょっと油断すると、資本主義的に正しく行動するまじめな人たちに市場を独占されてしまいます。
そうなると、日本人にその気がなくても、「よその文化に興味がない」ようにみえる人間ばかりになっていくわけです。「興味がない」というより「知らない」「知らしてもらえない」ということなのですが。
ここまでくると、そりゃまずい、「国益が損なわれる」と思われる方もいるんじゃないでしょうか。
とにかく音楽や文化において、「市場至上主義」の絶対化は大きな弊害を生むと思うのです。
だから、日本の人はこの危険をよく自覚しないといけないと思います。
文化の領域で資本主義的に独占され、囲い込まれ、知らないうちに文化鎖国主義を「とらされてしまう」危険を警戒しないといけないのです。
意識的に、コストをかけて、日本の人たち、とくに若い人たちが多文化理解、享受をできるような体制をつくらないといけないと思うのです。
これ、難しいことです。
でももし意識的にこれを成功させることができるなら、世界のひとつのモデルとして参照されることにもなるかもしれないとも思います。
てことで、いまわたしはフランスのプロバイダーでフランス語のブログを作って、日本のワールドミュージックの状況を発信してみようと思ってます。
またやることが増えちゃいますが。 (^_^;;)
(ビジネスの世界の方々にとっては釈迦に説法、当たり前の話になっていると思います。でも音楽や文化の領域でいっぺんこういう状況の弊害を考えてみていただければ幸いです)
本当は日本人というのは物見高いというか、好奇心が強いし、自分の文化に絶対の自信を持っているという感じではないので、よその文化がどうなっているか、興味を持つ方のはずなのです。そのあたり中国的自負や韓国的自負とは違うところがあると思います。
でも音楽の領域では、たしかに現状では日本のリスナーは自国の音楽か、あるいは英米ポップを聞く人が大部分です。それはCDショップの品揃えを見れば一目瞭然です。日本と英米以外の音楽は「ワールド」の狭いスペースに押し込まれてます。
なぜこうなっているかというと要するに、日本と英米以外の音楽がなかなか聞けない状態にある、ということでしかないと思います。ラジオや有線等でも日本と英米以外はかからない。一般の人の耳に入るようなところにない。
聞いたことのない音楽を愛せるわけがない。買うわけがない。
この状況は日本の音楽業界の洋楽関係の人たちが、言葉は悪いですが「英米べったり」で、他のものを売ろうとしない姿勢なのが原因なわけですが、じゃあなぜこういう姿勢になっているか。
この「現象」の原因については諸説あります。
業界の今の主力が、英米音楽のインパクトの強かった時代に育った人たちだからという解釈がありますが、それよりもグローバリゼーションの時代で、メジャーの世界戦略の拘束が厳しいのだという話の方が説得力があると思います。今から苦労してプロモーションを展開しても売れるかどうか分からない音楽は、最初から売らない、「こういうものがある」と伝えるコストをかけることすらビジネス的に「良くない行為」と考えられている、ということです。
その傾向はエスカレートするばかりのように見えます。『ミュージックマガジン』2000年2月号で高橋修さんがポリドール社の販促部長補佐の方の話を伝えておられます:
「今の外資系のメジャーはどこも極めて短視的な見通しのもとに動いている。3ヶ月、最低でも1年でどれだけ利益が上げられるか、が勝負なので、すぐに利益が上がらない商品はもう最初から出すな、という考え方になっているのだそう。・・・ 外国の本社から日本の支社への締め付けが10年前とは比べ物にならないほど厳しいそうで、日本独自の動きをしようとしても現実的に難しいのだそうだ。・・・ワールドワイドで売り出そう、と本社が決めたものは日本発売されるが、そうでないものは文字どおりなかったことになるらしい」
わたしは、音楽のネット配信が少しはこの閉塞状況にインパクトを与えないかと期待しているのですが、2006年の今のところまだそういう話にはなってないようですね、残念ながら。
以上のようなことは個人的に、2001年のラシード・タハ来日公演のとき少し仕事をお手伝いしてみて痛感しました。
ラシード・タハは日本であまり知られていない。いい音楽だけど、日本で聞く機会がない。人は聞いたことのない音楽を愛するわけがない。
多くの人に聞いてもらうのにものすごい苦労がある。コストがかかる。日本のラジオ局の番組で流してもらおうと思ったら、汗をかいて、こっちから金をかけてでも売り込みをしないといけない。そこまでなかなかできないです。
ちょうどタハと同じ時期にエリック・クラプトンが来日してました。こっちは日本全国津々浦々、ずいぶん多くの会場でコンサートをやっていきました。クラプトンに関しては、日本ではみんなよく知っている。Too Much Monkey Business から White Room、Layla、I shot the Sherif を経て Change the World、それ以降に至るまで、彼の音楽を愛し、ずうっとフォローしている人たちが日本にガッチリ存在する(まあ60年代に最初にクラプトンが売れ始めたころには、それなりの販促のご苦労はあったと思いますが・・・)。
だから宣伝コストは基本的には「クラプトンが日本公演をします」という案内を流すコストだけ・・・ということはないかもしれないけど、コストと利益は業界人ならしっかり見積もれる。
タハを紹介しようと思ったら紹介を一からやらなければならない。Douce FranceがあってVoila Voilaがあって、Ya Rayahがあって云々云々てね。そんな莫大なコストをかけて、どれだけ人が来るのか未知数というのでは、とてもそんな冒険はできません、となる。
音楽は、彼らにとっては商品なのですから、当たり前のことです。
(ただわたしとしては、日本の音楽業界の大手の人は少々ビジネスにこだわりすぎる振るまいをする印象を持ってますが。偉そうなことを言うと、たぶん彼らは、自らをちゃんとした資本主義の合目的行動を行える、ちゃんとしたジャパニーズ・ビジネスマンと自負したいのだろう、という気がします。自分の気に入った音楽、思い入れのある音楽を売ろうとすること、本当に大衆にブレイクするかどうか未知数のジャンル、売り込みにコストのかかる音楽にこだわるということ、そんなのは道楽者のやる行為、資本主義のド素人の勝手な行為だ、おれをそんなド素人の甘ちゃんと一緒にしてくれるな。だいたいそんなの、会社に対しても、株主に対しても許される行為のはずがないじゃないか・・・ということかな、と思うのです。
音楽業界だけロマンを持ち続けて欲しい、資本主義の素人でいてほしいというのは、商品としての音楽の売れ行きが生活の死活問題になっていない人間のもつ、虫のいい期待なんでしょう)
と、ここまで言っても、やっぱり納得しない人は多いです。
たとえばライは多くの日本の人に魅力的な音楽であるのは明らかです。ためしにお聞かせした人から、「こんな凄いもの、なんで日本で売ってないんですか?」と不思議でしょうがないという顔をされたことがあります。そこで、日本で今知ってる人は少ないが売れば売れるはずだ、それをしないのは業界の怠慢だ、リスクの過剰回避だという話をする方がおられるわけです。でもね・・・
資本主義というのは「いい音楽なら売れる」というような無邪気な信念は、なかなか実現させてくれないものだと思います。
ウォーラーステインがどこかで言ってたのが印象的でしたが(どこへいったのか、本が見当たりませんが)、資本主義は不可避的に市場の独占を志向するものなのです。
音楽ビジネスの場合、「よその面白い音楽を知らさずにおくこと」、それによって、ちょっとした情報を投げ込むだけで大人数が特定の音楽(特定の商品)だけにリアクションしてくれて、CDを買い、コンサートに来てお金を払ってくれる状態にマーケットを保っておくことの方が、音楽の業者たちにとっては資本主義的行為として正しい、ということになると思うのです。
テクノロジーを駆使して音作り、録音技術を高度に「こぎれいに」すれば、「日本の音楽は(英米に次いで?)世界的に優れたもので、よその音楽はこれよりも劣ったものであり、さして聞く必要もない」という漠然とした信念に大衆を誘い込むことは容易だと思います。
それにそうやって市場を閉鎖しておけば、よそから優れた音をパクって来てオリジナルのような顔をして使うというのも、やろうと思えば簡単にできることになりますね・・・
これも日本のマーケットが大きくて、独占の旨みが大きいことがあだになっているわけです。
わたしはよく挑発的に「音楽的には、日本人の方がアルジェリア人より田舎ものです」って言うんですが、あんまりその真意は分かってもらえないみたいですね。アルジェリアは市場も小さいし、必死に囲い込んだところで違法コピーが横行しているから、たいして囲い込んだことにならない。だから世界のメジャーはあまり興味を示さない。でもだからこそアルジェリアには四方八方から多種多様な音楽が気安く流れ込んできて、リスナーはそれらを主体的に廉価で享受できるわけです。
アメリカやフランスは、人種構成に非常にバラエティがあって人の出入りも盛んだから、自然に多様な文化が豊かに国土の上に存在することになります。とくにフランスは民族コミュニティーを超えた文化の交流、享受がある。移民層の不満による社会不安というマイナス面はありますが、人と文化の往来が激しく、だれも市場を囲い込むことができないです。だからフランスに生活する人たちは、それだけ世界に目を開かざるをえない状況におかれていると言えるでしょう。
日本みたいに均質性の高い社会は、そうはいきません。
ちょっと油断すると、資本主義的に正しく行動するまじめな人たちに市場を独占されてしまいます。
そうなると、日本人にその気がなくても、「よその文化に興味がない」ようにみえる人間ばかりになっていくわけです。「興味がない」というより「知らない」「知らしてもらえない」ということなのですが。
ここまでくると、そりゃまずい、「国益が損なわれる」と思われる方もいるんじゃないでしょうか。
とにかく音楽や文化において、「市場至上主義」の絶対化は大きな弊害を生むと思うのです。
だから、日本の人はこの危険をよく自覚しないといけないと思います。
文化の領域で資本主義的に独占され、囲い込まれ、知らないうちに文化鎖国主義を「とらされてしまう」危険を警戒しないといけないのです。
意識的に、コストをかけて、日本の人たち、とくに若い人たちが多文化理解、享受をできるような体制をつくらないといけないと思うのです。
これ、難しいことです。
でももし意識的にこれを成功させることができるなら、世界のひとつのモデルとして参照されることにもなるかもしれないとも思います。
てことで、いまわたしはフランスのプロバイダーでフランス語のブログを作って、日本のワールドミュージックの状況を発信してみようと思ってます。
またやることが増えちゃいますが。 (^_^;;)
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