やったずら! ハリルホジッチ伝~その1~


 「やった!」と思ったときは、つい殿馬くんになってしまう殿馬症候群のわたし。
 たのんでいたハリルホジッチ本が届きました。
 2006年の出版ですから、ここ10年のことは書いてないわけですが・・・

 第四章「幸福から戦争へ」から読んでみました・・・


 1987年、ヴァイッド* は国に帰る。寄り道はなし、ためらいもなし。父が重病だった。・・・
 
 ヴァイッドはモスタールMostarでは幸福だった。まったくこの町は人を喜ばせる全てを備えている。町を歩いていると、なんだかトスカナか南フランスにいるような気がするのだ。・・・ モスタールは人を受け入れ、活気に満ち、暑くて色彩に富むと言われている。そのころはクロアチア人とボスニア人は混じり合っていた。宗教の話をする者はいなかった。カトリック教徒、イスラム教徒、正教徒、ユダヤ教徒。緊張はなく、差別もなかった。混じり合うことは誰にも、なんの問題も起こさなかった。この錬金術の最良の実例がハリルホジッチ夫妻だったのだ。奥さんは母方がクロアチア、父方がセルビアの人、ご主人はボスニア人。誰もそれを気にはしていなかった。
 戦争が終わるころには、形容しがたい水の色をもつネレトヴァ川を挟んで、町は二つに割られていた。一方の側はボスニア人が、もう一方の側はクロアチア人に占められている。架け替えられたばかりの橋を渡る者は誰もいない。・・・



*この表記を採用します。既に日本のマスコミにも採用されている表記法です。つまり、フランス語流に h を抜くんですね。
それなら「ハリルホジッチ」も「アリロジッチ」に近くなるはずですが、こっちは仕方がない。既に「ハリル・ジャパン」とかも言ってますし。
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