No music, no life


Devise de Tower Records : No Music, No Life ! ; mais, pourquoi parfois avec un point d'interrogation ? I definitely believe in MUSIC !
日本に帰ってきて既に出ていたLATINA 9月号を手にしました。ここで書いている吉本秀純さんのクロ・ぺルガグ・インタビューが載っている号です(pp.22-23)。なんだか写真と題字が大きくて案外読むところが少ないので、ちょっとがっかり。内容はわたくしの口を経由して出てきたものなのでだいたい覚えてはいますが。吉本さん、その節はどうも。

ところでこの号には高橋健太郎×松山晋也×吉本秀純のお三人による特別鼎談「これからの『ワールド・ミュージック』」が載っていますから、さらにお買い得号になっています。これは示唆にとむ記事です!

ただ小見出しにある「音楽がなくても生きていける時代に世界の音楽を紹介したいんです」というのには、ちょっとひっかかります。
たしかに今は「音楽は、とくに聴きません」という若いひとがたくさんいる時代ではあり、一見「音楽がなくても生きていける」と見えるところがあります。

実はモントリオールから羽田に帰ってきて、エルスールのあとで渋谷タワーレコード行ったんですが、いつものモットー"No Music, No Life"に"?"のつけてあるポスターがあって、ちょっとどきっとしたんです。念のため金沢に帰ってから金沢フォーラス内のタワー行ってみたら、やっぱり"?"付きのがありました。

この疑問符って、マジの疑問符なんでしょうか?

今の時代は、音楽の力を信じられなくなっているんでしょうか?

音楽には、もうそんなに力はないんでしょうか?

わたしは、そうは思いません。

ある女の子がおりまして。
死んでしまいました。
どうして死んでしまったのかは言いません。
とにかく彼女のお葬式で或る曲がエンドレスで流されてました。明らかに故人が好きだった曲、という扱いです。お葬式のあとしばらくたってからお母様に、あれはなんという曲だったのでしょうかとお尋ねしました。
MEILINのCandy☆Boyという曲だと教えてもらいました。

わたしの言いたいのは、この歌はけっして彼女の歌ではなかっただろう、ということです。別にMeilinさんやこの曲が悪いとかそういうことではないのですが(と書いてもそう言っているととられるだろうな・・・)、この音楽は不幸にも彼女を「助ける」のとは逆方向に働いてしまっただろうな、ということです。

「音楽がなくても生きていける時代」というのは、たぶんウソです。ほんとうは生きていけてはいないです。

多感な年頃に音楽がたしかに存在感をもっていた世代は、自分の中にがしっと音楽があるために、かえってそれがどれだけ自分の生存を助けているかが往々にして見えないのだし、
不幸にも音楽があまりに商業化されてしまった時代を生きる世代は、自分に生きる力を与えられる音楽がこの世のどこかに存在するということにすら気づかず、ただヒヨワになってしまう。
それだけのことだと思います。

水野敬也さんによると、本が好きだという時点で人生勝ったも同然、なのだそうですがわたしは、音楽が好きだという時点で人生の幸福が保証されたも同然、だと思っています。
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