日本人はフランス語を誤解している!・・・と思うけどなあ・・・
フランス語系人のBO-YA-KI
ザ・論文1
以下、わけわかんないと思いますが、なんか載せたいので、載せます。
そのうち理解可能なことばにします。
ひとは何のために文学作品など書くのだろうか?
ことばによって世界を征服し、支配するためだ。
エイハブ船長がその男たちとともに、精液の匂いのする巨大なクジラを追って日本近海に展開し、その叙事詩を詠う。それが文学だ。
文学はそれゆえ、ひとつの生き方、唯一の賢明な生き方だ。
世界のありのままの姿、これまでいかにして動き、これからいかに動いていくか、その原理が見えるなら、もはやひとにとって恐れるべきものはない。賢人はすべからく文学者だ。かれらは「死ぬ」ことはない。
カネッティはその「不死」の章をスタンダールにささげた。
スタンダール、という仮の名で知られるかの文学者もまた世界の全体の姿、ありのままの姿の把握を希求した。LO-GI-QUE でもってhic iter ad astra を夢見た。
そしてそれはかなり成功した試みであったと思われる。
人生初の成功体験が数学であったこの人物は、きわめて主体性なく、いきあたりばったりに、人生を駆け巡った。主体性? それはなんだ? それはある種の偏見の存在をしめすに過ぎない言葉ではないか?
Recevoir et jamais prendre.
スタンダールのどの旅が最も彼のものだったか? 彼の作のほとんどは下敷きの上に塗られた絵だ。
イタリアというキャンバスの上に描かれた『ローマ、ナポリ、フィレンツェ』のみが真の彼の旅である。
イタリアを経めぐっているが、念頭にあるのは世界全体、人類全体史なのだ。だから欧州の主要民族が登場する。
全体史のために、イタリアを自由にめぐるのだ。
もっとも「下敷き」がないことはない。ゲーテの『イタリア紀行』だ。
スタンダールは、ひとりで知的形成をしたひとだ。彼の青春は彼をひとつところにとどめなかった。いつも決まった対話相手がいたわけではない。「もーれつ」に勉強していたが、それは本、著作相手だ。
だから「私的言語」の塊になった。
おそらくはMocenigoとはその私的言語による思索の主体のことなのだろう。
ノートにその名を書く分には、何の気兼ねもいらない。
したがって、いったん外的な「影響」を脇に置いて、彼の全著作のなかの言語の連関を考えてみよう。さいわいなことに彼は文学デビューした際にすでに知的形成は終えており、各タームはほとんど常数と言ってよい。
たとえnobleの概念が晩年になってやっと把握されたとしても―おそらくそれが『パルムの僧院』で提示されるものなのだ―
赤と黒の赤は頬紅、黒はカラッチの絵の黒、なのだろう。
どちらももちろん『ローマ、ナポリ、フィレンツェ』に出てくる。
そのうち理解可能なことばにします。
ひとは何のために文学作品など書くのだろうか?
ことばによって世界を征服し、支配するためだ。
エイハブ船長がその男たちとともに、精液の匂いのする巨大なクジラを追って日本近海に展開し、その叙事詩を詠う。それが文学だ。
文学はそれゆえ、ひとつの生き方、唯一の賢明な生き方だ。
世界のありのままの姿、これまでいかにして動き、これからいかに動いていくか、その原理が見えるなら、もはやひとにとって恐れるべきものはない。賢人はすべからく文学者だ。かれらは「死ぬ」ことはない。
カネッティはその「不死」の章をスタンダールにささげた。
スタンダール、という仮の名で知られるかの文学者もまた世界の全体の姿、ありのままの姿の把握を希求した。LO-GI-QUE でもってhic iter ad astra を夢見た。
そしてそれはかなり成功した試みであったと思われる。
人生初の成功体験が数学であったこの人物は、きわめて主体性なく、いきあたりばったりに、人生を駆け巡った。主体性? それはなんだ? それはある種の偏見の存在をしめすに過ぎない言葉ではないか?
Recevoir et jamais prendre.
スタンダールのどの旅が最も彼のものだったか? 彼の作のほとんどは下敷きの上に塗られた絵だ。
イタリアというキャンバスの上に描かれた『ローマ、ナポリ、フィレンツェ』のみが真の彼の旅である。
イタリアを経めぐっているが、念頭にあるのは世界全体、人類全体史なのだ。だから欧州の主要民族が登場する。
全体史のために、イタリアを自由にめぐるのだ。
もっとも「下敷き」がないことはない。ゲーテの『イタリア紀行』だ。
スタンダールは、ひとりで知的形成をしたひとだ。彼の青春は彼をひとつところにとどめなかった。いつも決まった対話相手がいたわけではない。「もーれつ」に勉強していたが、それは本、著作相手だ。
だから「私的言語」の塊になった。
おそらくはMocenigoとはその私的言語による思索の主体のことなのだろう。
ノートにその名を書く分には、何の気兼ねもいらない。
したがって、いったん外的な「影響」を脇に置いて、彼の全著作のなかの言語の連関を考えてみよう。さいわいなことに彼は文学デビューした際にすでに知的形成は終えており、各タームはほとんど常数と言ってよい。
たとえnobleの概念が晩年になってやっと把握されたとしても―おそらくそれが『パルムの僧院』で提示されるものなのだ―
赤と黒の赤は頬紅、黒はカラッチの絵の黒、なのだろう。
どちらももちろん『ローマ、ナポリ、フィレンツェ』に出てくる。
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