フェミニスムとポストコロニアリスム


 フェミニズムとポルトコロニアリズムはおそらく、この意味での「政治」に気をとられて「文学」を忘れてしまっている、ということなのだろう。

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政治


 スタンダールが言っている「政治」:

 La politique au milieu des intérêts d'imagination, c'est un coup de pistolet au milieu d'un concert. Ce bruit est déchirant sans être énergique. Il ne s'accorde avec le son d'aucun instrument.

と言ったときの「政治」は、金銭オンリー=自己目的化した利害に関係するもののことだ。『赤と黒』でスタンダールが、他ならぬワーテルローの関わるこの箇所でこの警句を放っているのはそれが、金銭に関しては、一番大きな「おはなし」にかかわることだからだ。
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移民


 「現代ヨーロッパ社会論」のために。

 世界の有為の若者の自己実現は手助けしなければならない。ならば経済先進国が発展途上国の「優秀な留学生」を移民として受け入れてその能力を生かせる場を提供するというのは、正しい。だがそれだけだと発展途上国は有為の人材を失い続けいつまで経っても途上国のままとなる。

 先進国で成功し、故国に多大な援助をするという例はたくさんある。しかし、それは経済的成功者の「リア充」自慢ということになって、逆境の中でなんらかの精神論をよすがにしないと生きていられない地元のひとたちの反発を招いてしまい、うまく機能しない。

 先進国と途上国の格差は固定されたまま、歴史の終わりまでいくのか。

 それでは人間はあまりに愚か、ということになろう。天の意に沿わぬ、と言ってもいい。

 世界の「だいたいの」平等(完全な平準化など、目指すものではない)がなりたった状況から「逆算して」考えてみてはどうだろうか。
 少なくともそうすれば、目の前のひとにへいこらすることもないし上から目線になることもないだろう。自然体でいられるだろう。


 それにしてもすべてを金銭が支配していることが問題だ。スタンダールが二十一世紀に再来したなら:

 La brève campagne de Waterloo leur a coûté, à elle seule, un milliard de francs. Pikéty

 とでも書くだろう。"leur"ってもちろんイギリスの上流階級、la noble Angleterre のことだ・・・
 ロンドンのシティは二十一世紀にもまだ崩壊していないから、『赤と黒』はまぎれもなく現代小説である。

 金銭は、金銭を究極まで追求することで克服するか、あるいはバランスをとる原理を対置することを考えるか。それともそれは同じことなのか。






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