拾い物ですが、読者のみなさんにクリスマスプレゼント。
全く内容とは関係ないのですが動画が貼れるかどうか試しにやってみました。
先日gooブログでは動画の添付を終了してしまいましたから、これが最初で最後の動画です。
もしもし~頭濡れてますよ~。
さて、いつの時代も流行りの言葉には何かしら胡散臭い「流行らせ臭」が漂っています。
「草食系男子」
「女子力」
「愛され服」
「男子会、女子会」
「婚活」
どれもこれも、新しいムーブメントなどではなく、いつの時代にも存在するものばかり。
ギラギラしていない男性、女性としての総合的な魅力、男の子に受けのいい服、
同性だけの集まり、伴侶を探すための活動。
単にこれらにつけられた便利な「タイトル」に過ぎません。
特に草食系、という言葉ですが、わたしは少なくとも昔から普通に使用していました。
うちのTOはきっぱりと草食系、肉食系と分かれた集団どちらともお付き合いがあります。
職種をはっきり言えないのが残念ですが、草食系=学者タイプ、肉食系=実務タイプ、ってことでご理解ください。
ちなみにTOは基本草食系男子です。
結婚式のとき、二次会を某有名ライブハウスでとり行ったのですが(もちろん新婦側総出の大ライブ大会)、
お酒が入ってもあくまでも和やかに、さざめくように歓談している草食系に対し、
会が進むに従ってやたらプロ演奏中の舞台に突入し歌に踊りを披露しだす者続出の肉食系。
会場は肉食有利の3対1くらいの割合で、きっちりと別れて座っていたのですが、
後からTOと「席がどこから草食でどこから肉食かはっきりわかるほどノリが違ったねー」
と感心したものです。
これが12年前のこと。
ウィキペディアによると、最初にマスコミに「草食系」と言う言葉が現れたのが2006年だそうですから、
7年ほど先取りしていたことになりますね。
だいたい今更「草食系男子が」と言われたところで、
「まあ、そういう男性は必ず一定数いるけど、皆ってわけでもないし」
としか言いようがありません。
世情世相で流行りのタイプと言うのは変わっていきますし、
そのボリュームゾーンにどういうタイプが来ているかというだけの話ではないでしょうか。
「今の男子は草食系だから頼りない」
なんて女性が口をそろえて言うなんて話も、一昔前
「いい男がいないのよね」とか、
「三高男性でないとダメ」
なんて女性全部が言っているようなことにしていた「誰か」の創作ではないかと思っています。
誰かとは誰か。
一言で言うと「マスメディアの中で垂れ流され、なんとなく市民権を得た事共を
さらに繰り返しなぞって既成事実にしていく発言者」というところでしょうか。
・・・全く一言で言えてませんが。
というわけで、流行りの言葉には全く「言霊」が感じられないゆえ反感しか感じないのです。
つまりありていにいえば「嫌い」ってことですね。
嫌な感じ、というと、バブルの頃の「アッシー」「ミツグ」なども大概でしたが、最近では、
40歳過ぎて若々しい女性のことを「美魔女」と言う某雑誌が売り出そうとしているこの言葉が、
何とも言えないいやーな響きです。
しかし、一時やたら言われた「勝ち組」「負け組」と言う言葉ほどその胡散臭さ満点の、
なんというか、人の心を逆撫でするような嫌な言葉はなかったのではないでしょうか。
これもつまりは草食系のように「金持ち」と「貧乏」を流行りの言葉で言い変えただけです。
しかし、言い変えるのみならず「金持ちは勝ち」「貧乏は負け」とはっきり金銭の多寡で勝敗をつけてしまったあざとさ。
近来稀に見る品のない言葉だったと思います。
この言葉もネッシーのように実態のない、マスコミの作りだしたものだったのでしょうか。
驚くことに、わたしはリアルでこれを口の端に乗せた人物と相対しました。
相手は息子の同級生の母親。
流行りの言葉で言うとママ友ですが、友達ではありませんので念のため。
何かあって一緒に食事したときに、子供の進学や将来についての雑談になりました。
その時彼女が
「いい大学出ていい会社に入ったって、サラリーマンじゃ一生勝ち組にはなれないわよね」
と言ったのです。
かなり驚きました。
ちなみに彼女は日本語は喋るが日本人ではなく、職業は何をしているのかは知りませんが、
家は田園調布、車はメルセデス。
おそらく自分は勝ち組だという前提で話していたのだと思います。
「勝ち組、負け組」にはそれ以上の説明はありません。
つまりそれがイコール幸福の勝ち負けなのかについては全く意を異にするようなのです。
そこには「清貧」「金持ちだが不幸」「自由業で不安定だがやりがいのある仕事があって幸せ」
「暖かい家族に恵まれた普通のサラリーマン家庭」
そんな幾多の幸不幸の形など全くお構いなしの、雑駁で乱暴な二元論があるばかりです。
経済の低迷と震災に続く混乱で、少なくともこのような言葉が生きていくような下地が
世間からきれいさっぱり消えてしまったのは、不幸中の幸いというものかもしれません。
ところで「不幸は比較できるが、幸福は比較できない」という言葉を聞いたことがありますか?
言ったのは、今思いついたわたしです。
「私はこんなに不幸だが、あの人たちに比べればまだ幸福だ」
こういう場合、自分は既にマイナスの場所に立っていて、より不幸な方を見ることによって自分を慰めています。
しかし「私は幸福だ」と真に思う場合、それは絶対のものであって、
より上の幸福や、ましてや少ない幸福と比べる意味もなければその必要もないわけです。
「人間も本当に下等になると、
ついに他人の不幸や失敗を喜ぶこと以外の関心をなくしてしまう」
ゲーテの言葉です。
「勝ち組」とは、もしかしたら、他人を蹴落としたり出しぬいて、
自分の立っている場所を相対的に高めることで、幸福を感じているに過ぎない愚者を、
今風に言い変えたものなのかもしれません。
真に幸福を感じる人はたとえ金銭的に恵まれていても自分を勝ち組とは称しないでしょうしね。
案外二重構造の深ーい造語だったりして・・・・。
あ、ただ、お金では幸せになれないけど
「最大限の不幸を軽減することはできる」「金銭的安定の上に初めて幸福も成り立つ」
という、某女性エコノミストの意見には賛成します。
では、クリスマスイブ、頭濡らしてる猫でも見て一緒になごみましょうか。
メリークリスマス!