ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

「捕虜第一号」~捕虜の階級

2011-12-20 | 海軍

酒巻和男氏が終戦後書いた「捕虜第一号」ですが、
勿論、わたしはここに書かれていることが、酒巻氏の捕虜生活の全てであったと
思っているわけではありません。

これが書かれたのは昭和24年。
東京裁判は前の年に結審し、いわゆるA級戦犯が市ヶ谷で処刑されたばかり。
元軍人は「戦犯」という言葉の響きにまだまだ身を縮める思いでいたでしょう。
酒巻氏は、幸か不幸か開戦第一日目にして捕虜になってしまったので、ある意味世間からは
「被害者」と見られる立場でもあり、この非常に早い段階での手記出版となったのかとも思われます。

しかし、当時はまだ日本は進駐軍の占領下にあり、元捕虜であった酒巻氏が書くものは、
当然のことながらアメリカの検閲下にあったことが予想されます。
酒巻少尉に対する虐待も、実際は無かったわけではないでしょう。
市ヶ谷でA級戦犯に対して必要以上に辛く当たるのも下級兵だったように、どこの世界にも、
そういうときにどさくさにまぎれてリンチもどきの虐待をする程度の悪い人間はいるものです。

ただ、そうでない部分を全く打ち消すような描き方、収容所全体でリンチが行われていたような
NHKのドラマ運びを、わたしは「偏向している」と指摘しているわけです。

因みに、ウィキペディアで知ったのですが、酒巻氏は、民放のドラマ化の許可に頷かず、
民放は「黙認されたと了解した」と強行に製作をしたという話があるそうです。

わたしが最初にした、
「酒巻氏がいなくなったからこそ、NHKはこのようなドラマを作った」
という指摘はどうやら正しかったようですね。

しかし、
「捕虜第一号」に酒巻氏が書けなかった「アメリカに都合の悪いこと」はあるとしても、
書かれていることは虚飾ではないと、わたしは考えます。
初版を読めば分かりますが、それが保身のため、あるいは占領軍の眼を意識して、
創作されたようには到底思えないのです。

酒巻少尉の眼は、あくまでも内省的で、本質を見抜こうとする真摯さに溢れており、
もしそれが嘘であれば、つじつまが合わなくなって論理すら破綻してしまいかねないくらい、
その書かれていることには「筋が通っている」ように読めるからです。



今日は、収容所生活での捕虜たちの「階級意識」についてです。
捕虜になっても、基本的に軍隊の階級は持ち越されます。
階級絶対の社会ですから、その中でも一番階級の高いものが指揮を執ることになり、
階級が上の者にはやはり絶対服従という軍隊式は生きていました。
これは世界共通で、捕虜を扱う米軍も、その階級を根拠にキャンプでの待遇を決めていました。

将校と申請すれば待遇が良くなることを期して、階級詐称をした下士官の話をしましたが、
彼等はその嘘がばれた後も、書類上の階級が変わらないので下士官扱いされなかった、
ということからもわかるように、「書面上の記録」は厳格だったようです。

ところが、この「軍隊」には大きな、深刻な矛盾が生じてきます。
収容所にいる間は階級は決して進級しません。
戦争が後半になって、後から捕虜になり護送されてくる者の方が上級である、という現象です。

例えば酒巻少尉は日本の捕虜第一号ですから、
同じ68期の豊田穣氏が中尉になってから捕虜として護送されてきたときは、
同期の豊田氏が上官となってしまっていました。

この二人のような士官同士はお互い分かっていますからトラブルもなかったのですが、
下士官の場合はそう言うわけにもいかなかったようです。
例えば終戦直前になってくると、2、3期若いのに予科練を出てすぐさま準士官になったものが、
進級しないままの兵の捕虜の前に現れてくるのです。

「二年も後から海軍に入籍して、下士官面するな」
ある時兵曹を殴った一水はこう言いました。
そしてキャンプで次に起こった殴打事件は
「陸軍の曹長のくせにキャンプでは上等兵と詐称したのは赦せん。英霊たちに謝れ」と、
海軍の一水が憤慨し、陸軍曹長を殴ったというものでした。
この際、階級を低く詐称するメリットは何だったのでしょうか。

いずれも事件はビリヤードの順番などでもめることをきっかけに起こっていたようです。
子供のけんかのようなきっかけでも一触即発の暴発を起こしてしまうくらい、
捕虜たちの不満のはけ口を抗争に求める気持ちが渦巻いていたのでしょう。

このとき捕虜になっていた軍人で一番位が高かったのは、海軍の某少佐でした。
それを不満に思っていたある陸軍中尉が、海軍の者が陸軍の者を殴ったこの事件を契機に、
陸海軍の指揮系統を分離しようと企てます。

「今陸軍の中には海軍に牛耳られていると感ずるかもしれん。
しかしそれは誤解であり思いすごしであーる。
陸軍で私より高級の人が入れば、いつでも城を明け渡す覚悟はできておーる。」

「謙譲の美徳を発揮すれば陸軍も海軍も無いはずであーる。
しかし、陸海軍を分裂させ、甘い汁を吸おうとするけしからんやつがおーる。」

このような訓示をし、この造反劇は一旦終了しますが、この直後、老少佐は氷上で転倒し、
心臓をやられて一時危篤状態に陥ります。
陸海軍の対立は自然沙汰やみになり、皆が気遣わしげに見舞いに訪れました。
その中には犬猿の仲であるはずの陸軍中尉もいたということです。


実際キャンプの中はうまくいくものではありませんでした。
歪みきった心は、ある程度以上元へは戻らないからだ、と酒巻少尉は考察しています。
約束のない自我は放縦に陥り、醜い自我は互いに衝突し、その結果、

古い者と新しい者、陸軍と海軍、階級固守者と打破者、武士道死守者と打破者。

このようなグループが反目しあい、陸軍が密会したとか、古残兵が謀議したとか、
面白くないニュースがしょっちゅう流れては、正当な警察権も制裁権もない士官グループを
悩ませていました。

某少佐の危篤状態が奇跡的に持ち直し、空気が再び飽和状態になったころ、
飛龍の生存者である古兵と、ソロモンの生き残りである若い下士官が、またもや
ビリヤードの順番をきっかけに爆発を起こしました。

「こんなことで、信頼を得てゐる米軍に恥を曝したくないからねえ。」

やはり飛龍の分隊長であった梶本大尉(これも仮名)は、「腹をくくって」総員を集合させ、
このように訓示しました。

「私はミッドウェーで捕虜となった。全く士官の面汚しだ。
あるいは皆に命令する権限は無いかもしれない」
「然し、私には軍人としての任務、キャンプ内の先任者として、
日本軍人らしい共同生活を保ち、
米軍の司令官に笑われないようにする義務がある」
「私は命令はしない。ただ皆に軍人としての自覚を訴えるだけである・・・・・」

落涙せんばかりに青ざめて、沈痛な面持ちでさらに梶本大尉はこう結びます。

「卑怯者の私も最近に至り遂に肚を決めた。
今後キャンプ内にこのような事件が再び起こったときには、
海軍大尉梶本秀雄は、もはやこの世から姿を消すものと思え」

激しい言葉と梶本大尉の悲痛な面持ちに声も無い一同でしたが、それを横で聞く酒巻少尉は、
少佐の危篤の後もそうだったように、また二週間もすればまたこのような事件が起こり、
もしそうなったとき、梶本大尉は本当に腹を切るのだろうか、と虚無的な思いを抱えていました。

然し、幸か不幸かその心配は杞憂に終わりました。
その直後、士官だけが司令官の命令により、キャンプを移ることになったのです。

そうこうするうち、新しく来る捕虜たちによって、キャンプ内の空気が変化してきました。
召集され無理やり戦地に送り込まれ、日本の敗戦をすでに確信する彼等は
「早く負ければいい」
「日本に帰ってひと儲けしたい」
「捕虜になって死ぬ心配がなくなってこんなうれしいことは無い」

等々、大声で話すような「新人類」に思われました。

彼等を、酒巻少尉は「古いイデオロギーや軍人精神を超えて新しい考えを取り入れた人々」
と考察し、良くも悪くも人間の本心の叫びに忠実な人種であることを発見します。

そして、鉄条網の中のここ「日本」では、いつのまにか、自然に、
いままでキャンプの中で存在感すらなかった、医者、技術者、商人といった職業を持つ者が、
次第に大きい勢力を持つようになってきました。
誰が言うともなく、時勢が変わるように、彼らの方が軍人より偉いのだ、という空気が、
収容所全体を覆いはじめていたのです。

軍人である酒巻少尉ですらも、その空気を自然に受け取りました。
そしてかれは、アメリカという国にいながらじっくりと思索に取り組む時間の中で、

比較的鮮明に、誤りなく、そして穏やかに、自分を変へていけたのかもしれない。
せめてそれが、私の大きい喜びである。
そしてそれが、結局私達捕虜の、唯一の収穫であったのかもしれない。



その捕虜生活をこのように結論づけてこの章を終えています。