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真珠湾への突入 後半~酒巻少尉と稲垣兵曹

2011-12-18 | 海軍


湾内の煙が私を呼んでいる。

真珠湾で航空部隊が攻撃に成功したのを確認し、自分も一刻も早く湾内に侵入したい。
焦燥感にかられた酒巻少尉はこのように思いました。
こんなところで駆逐艦を相手にしている時間は無い。
重ったるい推進機の回転音が耳触りに神経を逆なでします。
「モーターやプロペラをそっと包んでしまえないか、
音の立たないものと取り換えられないか」


そして、何があっても突入すると意気を奮い立たせ
「何を、この駆逐艦奴!」
と叫びながら、酒巻少尉は艇を監視艇線の中に突っ込ませました。
機雷を受けながらもそのまま直進していると、
無事な秒時の刻みと共に艇がぐんぐんと進んでいく。
何処からともなく微笑と快感が湧いてくる。
「しめた。」と喜ぶ瞬間、
両親や長官や艦長のニコニコッとした顔が私の脳裏を掠めるやうに流れる。


ところが、直後「ズシン」という衝撃音。
「しまった!」酒巻少尉は舌打ちしました。
あと一歩で湾内というところに来て、サンゴ礁に座礁してしまったのです。

潜航艇の乗員は、攻撃目標として
「第一に空母、第二に戦艦、駆逐艦などは目標に非ず」
と命令されていました。
目の前をうろうろする巡視艇に放つ魚雷を惜しんでいるうちに、この座礁によって、
どうやら魚雷の一つは発射不可能にまで損傷してしまったようでした。
残りの一本をいまさら駆逐艦ごときに浪費するわけにはいきません。
何とか艇を離礁させ、再び強行突破を試みましたが、またもや座礁。

前方のバラストを後方に移動させる必死の作業中に、
何度も湯気をおびたバッテリーの電気に感電し身を縮ませながら
「おそろしく長い時間」かかって何とか今回も離礁することに成功しました。
しかし、この座礁で発射装置は完全に破損してしまいます。

泣きたいような気持で自分を責め、故郷を思い、自分の使命に思い至った酒巻少尉は
最後の手段―突入自爆を決心します。

「前進―微速―」
艇附は驚いたように把手を動かした。
「おい、やるぞ艇附。良いか、笑つて死ね、笑つて死ね。
人間万事塞翁が馬、くよくよするな。
笑へ、笑つて死ぬぞ。良いか艇附。」

「はあ良いです、良いです艇長、やりませう。
今更くよくよ思っても仕方ありません。やりませう。」

元気の良い艇附の声が聞こえた。


このとき結局、何度突入を試み、何度失敗したかについては、
すでに戦後の酒巻氏の記憶から薄らいで判然としないものになってしまったそうです。

あてのない突入を試みて、今や二人は極限の状態にありました。
疲労と絶望、悪ガスに満ちた艇内の空気。
酒巻少尉は声も無く潜望鏡にもたれかかり、稲垣兵曹はぐったりと顔を伏せていましたが、
その顔を横向けて艇長の顔を見つめ、こう言いました。

「艇長、シンガポールへ行きませう。今度こそしっかりジャイロを直します」

しかし、今更撤退して再び攻撃に加われるのかという懸念、
このまま帰ってはただ嘲笑と叱責を買うだけだと言う心配から、酒巻少尉は言います。
「いや、俺は帰れん。今からまたやる。」
悲しげに眼を伏せながらも稲垣兵曹は必死で説得します。

結果的に、その後もう一度の挑戦に失敗したので、
酒巻少尉もようやくシンガポールを目指すことを決心したのですが、何たる不運。
走行を続け電池が放電しきった艇は、遂にその動きを止めてしまいます。


潜航艇のメンバーは、作戦遂行後、ラナイ島南西7マイル沖に集合すると決めてありました。
相変わらず方向が定まらぬまま進み続けた艇が、オアフ島付近に近づいたのを、
酒巻少尉たちはラナイ島だと勘違いし、艇を捨てて陸に泳ぎつく決心をします。

潜航艇は、機密保持のために自爆装置を積んでいました。
その導火線に点火し、二人はハッチを登って艇の上に立ちます。

「さようなら艇よ。俺は去っていくぞ。立派に爆発、立派に成仏しろよ」

同じようにためらう稲垣兵曹とほとんど同時に、酒巻少尉は海中へ飛び込みました。

そして艇附の姿は、もはや二度と私の眼に入らなくなってしまった。
私が最後の言葉をかけてから、一、二度艇附が私を呼んでいるような声を聞いたらしい。
然しそれが本当に聞えたかどうか、それさへも判然としない。
暗い海上で波に妨げられ、二人を引き離され、
とうとう苦労を共にしてきた艇附との連絡が、永遠に断たれてしまったのである。


出撃の前の晩、酒巻少尉は眠っている稲垣兵曹の顔を見つめていました。
稲垣兵曹は、うなされているように見えました。

好きな女があるのだらうか。明日の死を恐れてゐるのであらうか。

死なせたくない、しかし同じ死なせるなら華々しく死なせてやりたい。
一つの艇によって結びつけられた、同じ運命の艇附に向ける酒巻少尉の眼は、
かれがあたかも自分の体の一部でもあるかのようです。
なぜなら、稲垣兵曹の生を思うことは自身の生を思うことであり、
その死を思うことは己の死を見つめることでもあったのです。

生きて捕虜になってからも、勿論戦後も、酒巻氏は絶えず稲垣兵曹のことを思い続けました。
陸岸まで辿りつき、華々しい最後を遂げたのか、それとも岸に着くまでに溺れたのか。
艇を捨てるとき、一緒に艇に残り運命を共にすべきだったかと自問した酒巻少尉の、
自分への答えはこうでした。

私は人間である。
艇は冷たい鉄塊の変形に過ぎない。
人には血があり、肉があり、将来の生命と仕事が待っている。
私は立派な軍人でなくてもいい、人間の道を選ぼう。


次の使命を艇附と共に果たすために。

しかし、冷たい波にのまれ、泳ぎ着こうとしてもその傍にすら行くことができず、
それきり永遠に最愛の艇附、稲垣清二曹を失ってしまったこと、そしてその惜別は、
いつまでも、いつまでも、酒巻少尉の心を痛めつけてやむことはありませんでした。