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映画「サラの鍵」~彼女はサラと云った

2011-12-21 | 映画

先週末、息子が友達の家にお泊りに行ってしまったので、久しぶりにTOとデートをしました。
まずは銀座にくり出し、美味しいと評判のモンブランをいただきにホテル西洋銀座に。
何しろわたしは「世界一モンブランに厳しい」と、家族の中では有名なモンブランおたく。
その厳しさたるや、パリのラデュレ本店のモンブランですら言下にダメ出ししたというくらいです。

「フランス産栗と季節限定の和栗のモンブランが、出来たてでございます」

というわけでどちらも注文し、TOと半分こして、どちらにも珍しく合格を出しました。
ケーキの美味しさの決め手、ってつまりお砂糖の分量なんですね。
栗はそれ自体甘いので、普通のケーキのように甘くしてしまってはくどくなってしまうのです。
甘さ絶妙、まことに「よくわかってらっしゃる」絶品のケーキでした。

ジンジャー紅茶やほうじ茶ラテにもすっかり満足して、さて、それでは銀ブラでもしましょうか、
と外に出かけたら、このホテルの建物内の「ル・テアトル銀座」でこの映画、
「サラの鍵」をやっているのを発見。
まだ始まって5分ということだったので、飛び込んで鑑賞しました。
おそらくこのような偶然のきっかけでもなければわざわざ観に行かなかったでしょう。
これが 「ストライプド・パジャマもの」と自分の中でだけ称する、
あるジャンルのものだと思い込んでいたからです。 

 
このジャンル名は「The Boy In The Striped Pajamas」という映画から生まれました。
ユダヤ人絶滅強制収容所の鉄条網ごしに縞柄パジャマ(囚人服)の少年と収容所長の息子が、
何故か仲良くなり、何故か脱走させるのではなく所長の息子が中に入り込み、
何故かユダヤ人と一緒にガス室に入れられてお父さんがっくり、という
「子供+ホロコーストもの」 の「なんじゃあこれあああ!」度マックスから来た、
エリス中尉の中だけに存在するカテゴリーです。
トレーラーで観るこの「サラの鍵」には、その傾向もあるように見えました。

しかし。

この映画にはいい意味で裏切られました。
これは「ホロコーストもの」ではなく、「真実を知る者の苦悩」を描くものだったのです。

主人公はフランス生まれのアメリカ人女性ジャーナリスト、ジュリア。
フランス人の夫の実家であるアパートに昔何が起こったかをふとしたきっかけで調べ出します。

その真実は、過酷なものでした。
1942年夏、ヴィシー政権下のパリ。
ナチスではなくフランス政府によるユダヤ人一斉検挙がありました。
1万3千人のユダヤ人が逮捕され、そのうち8千人がヴェルディヴ競輪場に6日間留めおかれ、
水も食べ物もなく、トイレすら使えないまま各地の強制収容所に行く順番を待たされたのです。
サラの家族もこの摘発に遭ったのですが、サラは弟を納戸に入れ、隠し、鍵をかけます。

「すぐに帰るわ」

親とも離れ離れになったサラは収容所から脱出し、逃げ込んだ農家の老夫婦の助けで、
弟を助けるために、何日もたってからアパートに戻ります。
サラの、老夫婦の、そこに2日前から
「ユダヤ人を追い出して接収したアパートに移り住んできた家族」の見たものは・・。

ホロコーストにかかわる部分はこういったものです。
前半、このような悲劇を描きつつ、アメリカ人ジャーナリスト、ジュリアが、
何故その事件にかかわったのかが、彼女の現在進行形の人生とともに、丁寧に語られます。

このドラマに出てくる人物は、収容所を脱出したサラ(画像)を含め、誰一人として幸せではありません。
サラと引き離され強制収容所で死亡した両親。
「私には何もできなかった。何ができたというの」と、自分に言い聞かせる悲劇の目撃者。
匿ったサラをその後も育てて愛情を注いできたのに、過酷な体験から立ち直れない彼女に去られ、
深く傷つく老夫婦。

ユダヤ人を追い出した家に引っ越してきたがゆえに、
鍵をかけられた納戸の中にあったものを見た、ジュリアの義父。
成長したサラと結婚するも、突然彼女を失うサラの夫。
自分の母親に何があったかを50年間、何も知らされていなかった、サラの息子。
「知ったからといって何も変わらない真実の発掘」にのめり込む妻を責めるジュリアの夫。


ジュリアがサラについて知れば知るほど、見つかる不幸が一つ増え、そして、
知ることによって不幸になる人間がいる・・・・・・。

それでも、ジュリアはその歩みを止めようとしません。
真実を知ることの痛み、知ってしまってから気づく「知らずにいることの罪」。

「それによって世界が変わるのか」という夫の問いは、ジャーナリストのみならず、
真実を知ろうとする、全ての人々が一度は自問するものかもしれません。
知ることによって、そしてそれを知らされることで誰一人幸せにならないどころか、
不幸になる者すらいるという、真実の残酷さ。

なぜそれにもかかわらず人は真実を知ろうとするのか。

この映画の邦題(英語題でもある)「サラの鍵」は、サラが弟を隠した納戸の鍵を意味します。
しかし、この映画を見る限り、この題はこの映画の本質を言い表わしていないと思えます。

原題「Elle s'appelait Sarah」、
(彼女はサラと云った、彼女の名はサラだったという過去形)
これから順次全国上映されていくので、この映画のラストシーンに大きくかかわってくる、
「彼女の名前がサラであったこと」の持つ意味をここで語ることはしませんが、
「真実を知らない自分より知った自分を肯定する」と同時に、自分の人生においても、
無より、有を肯定する勇気を選択をしたジュリアの心境を読み解くカギは、
文字通りの「サラの鍵」よりむしろこちらの原題にあるのではないかと、わたしは思います。


「可哀そう」「悲惨」に眉をひそめさせ、表層的な感情に訴える「泣ける映画」ではなく、
答えの出ない「何故私たちは知ろうとするのか」という永遠のテーマを解き明かそうとする、
心にずっしりと残る映画。
「イングリッシュ・ペイシェント」で、やはり複雑な心理描写を美しい映像に絡ませた、
クリスティン・スコット・トーマスの監督作品と知って、さらに納得しました。

サラ役の超絶美少女、メリュジェーヌ・マヤンスの子役とは思えない演技と、
そのエメラルドのような緑の目の、印象的な眼差しを観るだけでも価値のある映画。
4月までの間、あなたの街で上映されるときには、是非鑑賞されることを心からお薦めします。


あ、それからホテル西洋銀座のモンブラン、こちらも心からお薦めしておきます。

 

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