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真珠湾への突入 前半~酒巻少尉と稲垣兵曹

2011-12-17 | 海軍

「同行二人」~特殊潜航艇の二人という稿で使用した、松尾大尉と都竹兵曹の画像です。
今日は巻少尉と稲垣兵曹だと思って見てください。


それにしても、こうしてみると、この映像における潜航艇の中は広すぎです。
前回アップした潜航艇の図面によると、この絵のイメージの3分の一の広さではないでしょうか。
この狭さから、あのNHKドラマ「真珠湾からの帰還」における青木崇高くんが、
「デカすぎ」で全く搭乗員としてリアリティがなかったとあらためて気づきませんか。

軍神たちの身長について語る資料はありませんが、兵学校68期の広尾彰少尉の、
クラスでのあだ名は「ポケットモンキー」。
いかにも小柄であったかのようなニックネームではありませんか。

映画「連合艦隊」で、零戦搭乗員に扮した丹波義隆(あの方の息子)が、
映画に指導のため訪れた本物の搭乗員に
「あなたは(背が低いので)一番本物の搭乗員らしい」と言われたそうです。
主人公の中井喜一(意外ですが181センチもあるのだそう)のことは
「あんな搭乗員はいなかった。あんな背が高いとそもそも搭乗員になれなかった」ということでした。

飛行機並みに居住空間の狭い潜航艇に体格制限があっても不思議ではありません。
だいたい青木崇高のようなでかい(183センチ)潜航艇搭乗員は、
一人で定員オーバーになってしまうというか、相方に迷惑と言うか。


さて、もう少し巻和男著「捕虜第一号」から、抜粋してお送りします。

同行二人のことを書いたとき、極限下における男たちの結びつきに焦点を当ててみました。
真珠湾攻撃における「ペア」、(今なら「バディ」というのでしょうか)
この「死の兵器」(同行二人の原題)に乗り込む二人がどのようにその日を迎えたか、
今日はそれを酒巻少尉の書き遺した言葉に忠実に語ってみたいと思います。

まず、特殊潜航艇の乗員に選ばれた彼等は、如何なる選考基準のもとに集ったのでしょうか。

一、心身強健で意志強固な者
二、元気旺盛で攻撃精神の強い者
三、独身者
四、家庭的に後顧の少ない者


どれも、当時の「作戦従事のための条件」としてはごく普通の、と言って悪ければ順当な条件です。
須崎勝彌氏「二階級特進の周辺」によると、彼ら十人の出身地は、
見事なくらい日本全国津々浦々の(しかも都会ではない)地方に分散しているそうです。
ドラマで戦後、艇附の稲垣兵曹の墓所を訪ねた酒巻和男に地元の男が言います。
「軍神詣でか?」
「軍神詣で」の聖地は、同じ地方に二つあってはいけなかったのです。



酒巻少尉の女房役、稲垣兵曹は「鎮守府から特撰された最優秀者」でした。
潜航艇のジャイロコンパスが故障しているにもかかわらず出撃を決めてしまった酒巻少尉は、
この優秀な稲垣兵曹を死なせてしまうかもしれないことを自分の死以上に懊悩します。

死ぬかもしれない。彼を死なすかもしれない。さふ思うと私の気持ちは暗くなつて来た。
(中略)
彼の命は明日の戦ひに、いや私の方寸に委ねられてゐる。
私は彼を死なせたくない。然し、私は彼を死なせねばならない。
深い愁慮が私の考へをかき乱してしまふ。

酒巻少尉と稲垣兵曹が出会ったのは昭和16年4月のこと。
海軍幹部で特殊潜航艇の研究が始まってから数年、岩佐大尉や秋枝中尉が搭乗員として、
第一回目の訓練を開始してから半年後のことです。
彼等は全員で「千代田」に寝起きし、呉工廠の特別室で基礎講義を受けました。
呉の海軍潜水学校で模型を使った襲撃訓練、瀬戸内海の三机で行われた実地訓練、
決められたペアはまさに一心同体となって突撃のその日を目指してきました。


士官搭乗員も、下士官搭乗員も、志願ではなく軍部が選定した若者です。
酒巻少尉は、自分が海軍から選ばれて、
「華々しく捨てられていく一個の石としてあること」を任じてはいましたが、
兵学校で教わった軍人としての「何時でも死ねること」という心構えには、
実のところ常に若干の違和感を感じていたそうです。
つまり「もっと深い、もっと慎重な、意義のある」ものであるべきではないかと。
そのためには最後まで生き残ることを努力すべきではないかと。


訓練が始まって以来、酒巻少尉と稲垣兵曹は何時も一緒にいました。
潜航艇が岩礁と衝突したり、目標艦にぶつかったりしながらも、8か月の間に二人は
この潜航艇の操縦と魚雷発射の技術を「百発百中」に近いところまでこぎつけてきました。

しかし、出撃寸前、ときここに至って発生したジャイロコンパスの故障。
ジャイロなしでの潜航艇の滑走は、目隠しをして幹線道路を車で爆走するような暴挙です。

憂愁とも快活ともつかぬ面もちの艦長花房義太中佐は、大きく吐息し、静かな口調で
「酒巻少尉、愈々目的地に来た。ジャイロが駄目になってゐるがどうするか」
と最後の念押しをしますが、酒巻少尉は決然と力と熱を込め「艦長、行きます」と答えました。

潜望鏡による水上滑走に最後の望みをかけて、というよりは、
この日のためにやってきたことの数々を思うと、ここまできてやめることなど、
出撃の興奮にふるえ、国中の期待を一身に背負うような使命感と勇気に、
いまや後押しされている思いの酒巻少尉には
「考えるにも考えられないし、私の立場としても到底言えた義理でもない」

そのとき艦長に最後の敬礼する艇附稲垣二曹の目が、
「異様な閃光のように輝いていた」のを酒巻少尉は記憶しています。


開戦時刻に合わせて潜航艇を発進させた酒巻少尉らは、すぐにジャイロの故障のせいで、
自分たちの艇が目標を90度外して進んでしまったことに気付きます。
そのときは刻こくと迫るのに、電池から発生する悪ガスと湯気が充満する艇内で、
すでに酒巻少尉は「泣き面に蜂」状態でした。
不安そうに顔を見つめる稲垣兵曹を
「心配は無用だ。
どうにかして潜航突破して湾口に辿りつき、魚雷が駄目なら敵艦に体当たりしよう」

と励まし、艇を進めますが、直後に巡視艇である駆逐艦に発見され、二回爆雷を投射されます。

最初こそ「駆逐艦なぞに用は無い」とせせら笑っていた酒巻少尉、この攻撃に
「敵ながらあっぱれ」という気持ちと同時に、猛烈な敵愾心、
さらには一種自暴自棄のような捨て鉢のようなを同時に味わいます。

そのとき、ふと気づいて真珠湾湾上空を確認した酒巻少尉は、潜望鏡の狭い視野の中に、
大きく上がる黒煙の柱を認めたのでした。

「やったな!」

そう呟いて、酒巻少尉は稲垣二曹を呼びます。
稲垣二曹は興奮のあまり、しがみついた潜望鏡の把手から手をどけようともせず叫びました。

「見える見える」

もの凄い塊の煙が、その勢いがあまりにも強いのか、ほとんど真っすぐに中天に舞い上がり、
少しばかり右に傾いているのが見えます。

「おい、空爆は成功だ。どうだあの煙は。
敵艦は今燃へてゐるぞ。よーし、俺等もやるぞ!」


酒巻少尉と稲垣兵曹の二人は、潜望鏡を囲み、互いに肩を組んだまま、
喜び、かつ励ましあいました。

しかし、このとき空中部隊の成功を見る酒巻少尉に不思議な感情が生まれます。
味方の成功を喜ぶ気持ち、自分たちもやらねばと奮いたつ気持ち。
しかしながら、出撃以来の連続的な運命の激変に神経が麻痺してきたのか、
それとも艇内の悪い高気圧のためか、感覚が異常なほど鈍感になっているのです。
そして
「戦争が何か別世界で起こつている他人事のように思えて」ならないのです。

湾内の煙を見て、喜びはしゃぐも、それが
「単なる馬鹿喜びのから騒ぎ」のようだと自覚する、他人のような感情。
呆気じみた倦怠的な自己を見出す、まるで第三者のような自分。

空中部隊の成功を見てしまった自分には、今までの駆逐艦とのやりあいが、
まるで「遊びごと」であったようにも思われるのです。
それどころか、むしろ酒巻少尉は馬鹿馬鹿しくも思える腹立たしさと、
自分たちの任務を成功させねばと逸る焦燥感に一層苛まれてくるのでした。

「今度は爆雷を受けても避退しないぞ。そのまま突入するから覚悟しろ」

そう自分にとも、稲垣兵曹にとも、敵に言うともつかず叫ぶと、
酒巻少尉は特殊潜航艇を静々と進めていったのです。


(後半に続く)