イスラーム勉強会ブログ

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預言者伝28

2011年12月15日 | 預言者伝関連

ウフドの戦

ヒジュラ暦3年のシャウワール月

94.ジャーヒリーヤ(無明時代)の激情と復讐:

  バドルの戦の際に不敗を味わったクライシュの大物たちは全員、マッカに戻って行きました。実際のところこの戦敗は彼らにとって深刻な結果となったのでした。戦いで負傷した親戚子ども、兄弟らを持つ男が、アブー・スフヤーンを訪れて、何とかしてもらえるよう、話を持ちかけました。そこで、キャラバンで得られる儲けを使ってムスリムたちを攻撃することを企てました。クライシュの人々は再度、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に対する戦いのために結集しました。詩人たちは詩で人々を鼓舞することで、彼らの中に復讐心と情熱を煮え立せました。

  クライシュの人々はヒジュラ暦3年のシャウワール月の中旬に、出来得る限りの人数を伴い出陣しました。気が変わって戦いから逃げてしまうことのないよう、輿にのせた家族の女性まで連れ出しました。クライシュのリーダー格たちも妻を連れ、人々はマディーナの正面に到達しました。

  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の意見は、ムスリムたちはマディーナに留まって、クライシュの人々が攻め入ってきたら、マディーナの中で戦う、というものでした。彼は戦いのために街の外に出ることを嫌っていたのです。アブドゥッラー・イブン・ウバイ(偽信仰者のリーダー)も預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)と同じ意見でしたが、「アッラーの使徒さま!私たちを敵のところへお連れくださいませ。私たちが臆病で弱いと思われてしまうのは避けなければなりません。」とバドルの戦に参加しなかった男が叫びました。

  人々がなかなか預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)から離れなかったため、彼は家に入って鎧(よろい)を身に着けました。出陣しようと提案した人々はその様子を見て、後悔し、「アッラーの使徒さま、私たちはあなたさまに無理をさせてしまいました!私たちはそうするべきではありませんでした。お望みであれば、どうか、お座りになってください。アッラーがあなたさまに平安をもたらし給いますよう。」と言いました。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は答えました:「一度鎧を身に付けたのであれば、預言者は戦うまでそれを脱ぐべきではないのです。」

  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、1000人の教友を伴い出発しました。マディーナとウフドの中間あたりに皆が辿り着いた際、アブドゥッラー・イブン・ウバイ(偽信仰者のリーダー)は同行者の三分の一を、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)から離反させ連れ帰ってしまいました。

 

95.ウフドの広場で:

  マディーナから約3kmほど離れた山であるウフドに到着すると、彼(平安と祝福あれ)は言われました:「私が指示を出すまで、誰も戦ってはなりません」。そして700名の男たちと共に、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は戦闘の準備を整え、アブドゥッラー・イブン・ジュバイルを50名の弓を射る戦闘員たちのリーダーに定めて言われました:私たちを後ろから守りなさい。そして何が起こっても決してここから離れてはいけません。」

  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は鎧の上に鎧を身に付け、旗をムスアブ・イブン・ウマイルに手渡しました。このウマイルは、後に殉教者として亡くなります。

 

96.幼い世代間の競い合い:

  預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、ウフドの戦に参戦したいと申し出た年若い男の子たちをその幼さから追い返しました。15歳だったサムラ・イブン・ジュンドゥブとラーフィウ・イブン・ハディージュもその一人でした。しかしラーフィウの父親は預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に、「アッラーの使徒さま!息子は腕良く弓を射ます。」と執り成したので、ラーフィウは戦いに参加することが許されました。

  参加を拒否されたサムラはこれを知って黙っているわけにはいかず、「あなたさまはラーフィウの参加をお許しになり、ぼくを追い返されました。取っ組み合いをすればぼくがラーフィウに勝つ自信があります!」と預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に抗議したのでした。実際に二人が取っ組み合いをしてみると本当にサムラはラーフィウを負かしてしまいましたので、サムラもめでたくウフドの戦に出ることが叶いました。

 

97.戦場において:

  両軍は顔を合わせ、少しずつ近づき合いました。不信仰者であったヒンド・ビント・ウトゥバ(アブー・スフヤーンの妻)が起立すると、女性陣は男性陣の背後で彼らの士気を高めるべく太鼓を必死で叩き出し、戦いが熱気を帯びて来ます。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)から剣を受け取り、きっとあなたさまの代わりに立派に戦ってきます、という約束をしたアブー・ドゥジャーナは、人込みをかき分け、ぐんぐん進み、驚くことにすれ違う敵をすべて成敗して行くのでした。

 

98.ハムザ・イブン・アブドゥルムッタリブとムスアブ・イブン・ウマイルの殉教:

  ハムザは激しく戦い、敵側の多くの勇者を倒しました。もはや彼を止められる者など誰もいなかったのです。しかし、ジュバイル・イブン・ムトゥイムの奴隷であったワハシーはそんなハムザを見張っていました。ジュバイルは弓を射当てることにおいてとても長けているワハシーを、ハムザを殺せば奴隷の身分から解放してやろうと約束していたのです。じつはハムザは、ジュバイルの父方のおじであるトゥウマをバドルの戦いで殺していたので、その復讐をしようと企てていたのでした。ヒンドもまたハムザの殺害の実現を切望していました。そしてワハシーは弓をハムザに射り、それは彼の足を貫通しました。それを原因にハムザは殉教者として亡くなりました。

99.ムスリムたちが優位に立つ:

  アッラーは勝利をムスリムたちに与え給い、彼らに対してあらかじめし給うた約束を果たし給いました。多神教徒の負けには疑いはなく、とくに女性陣は一目散に逃げてしまったのでした。

 

  しかし…続きは次回に、インシャーアッラー。

 

(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P229233