イスラーム勉強会ブログ

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89. 暁 (アル・ファジュル)【2】

2008年04月08日 | ジュズ・アンマ解説
 続いてクルアーンは、富と貧困、そしてそれらが魂に与える影響について語ります:

 「さて人間は主が御試みのため,寛大にされ恵みを授けられると,かれは,「主は,わたしに寛大であられます。」と言う。だがかれを試み,御恵みを減らされる時は,「主はわたしを,軽視なさいます。」と言う。

 多くの富豪者は、自分たちの大きな富は、アッラーが自分たちに満足している証であり、他の人々を除いた彼らのみにかれの恩恵を特別にしてくださっているのだと思い込んでいます。そして多くの貧困者は、自分たちの少ない財産は、アッラーが彼らを軽視している証と思い込んでいます。この2集団について、クルアーンは続きの節で語ります。「断じていけない。」つまり、ことは人間の思っている通りではない、という意味です。アッラーが糧を大きくしてくださることは、本当は与えられた者への褒美ではないし、その者がアッラーの許で尊い者であることの証でもありません。逆に、糧を限られた者は、アッラーに軽視され、位を低くされてしまっているというわけでもありません。アッラーは糧に余裕を持たせたり、制限することによって、しもべを試していらっしゃいます。そのため、「御試みのため」という言葉で、富と貧困の話を始められています。

 豊かであることは、アッラーから人間への試練であり、恩恵という名の誘惑にどうのように接するかを見ておられます。貧困も同様に試練です。苦しみに耐える姿をアッラーは見ておられます。ときに、恩恵に見えるものが、その人にとって、良くないことであることがありますし、不幸がその人にとって良いことであったりもします。例えば、豊かな恵みに長い時間身を沈めていると、私欲を追い求める徒になり、アッラーへの服従を放棄してしまうことにつながります。同じく貧しさや禁欲は、アッラーへの帰還へ私たちを導いてくれます。

 続けてアッラーは、正しい道を志さず、そして“試み”の意味を理解していない富豪の罪人たちを批判します:

 「断じていけない。いや,あなたがたは孤児を大切にしない。また貧者を養うために,互いに励まさない。しかも遺産を取り上げ,強欲を欲しい尽にする。またあなたがたは,法外な愛で財産を愛する。

 彼ら大金持ちは、孤児たちを大切にするどころか、軽視しています。また、貧者に食べ物を施すことにお互いをせきたてようともしません。彼らは、自分たち、また他人の遺産を激しく貪ります。そして彼らは、お金をとても愛しているため、どんな手を使ってでもお金を集めようとします。アッラーはこのような者たちを、次に続く節で批判します:カッラー(Kallaa、厳しい否定)、つまり、あなたたち、これらの行いを慎みなさい。これは歩むべき健全な道ではない、という意味です。

 彼らの悪い行いをアッラーが暴露した後、恐ろしい約束が告げられますが、これは、悪行者たちがこれを聞くことにより、導きの道を歩けるかもしれないからです。この約束は、最後の審判の日の恐ろしい出来事である、大地の揺れとそれによる破壊の発生などの言及によってなされます。他に、その日を支配される尊厳高きお方、かれの裁き、命令のために列を成す天使たち、罪業者たちに現される地獄・・・:

 「断じていけない。大地が粉々に砕かれる時,主は,列また列の天使(を従え),来臨なされる。また地獄は,その日(目の当たりに)運ばれる。

  この恐ろしい光景を前に、人間は自身の行いの記録を見せられます。このとき彼は反省しますが、それは何の役にたちません。遅すぎるのです。「その日人間は反省するであろう。だが反省したとて,どうして彼のためになろうか。」アッラーに背いた人間がこのような言葉を後悔いっぱいに口にするでしょう:「彼は,「ああ,わたしの(将来の)生命のために,(善行を)貯えていたならば。」と言う。」、つまり、ああ、現世で善行や、来世の自分の生活の益になる行いを積むべきだった、という意味です。クルアーンは、来世のことを“ハヤーティー(Hayaatii)私の生命”と表現しているのですが、来世の生命こそ、生命という名が相応しい本当の生命であることを感じさせてくれます。そのため、しもべが現世で主に背くことは、来世において後悔と虚しさのもとにしかならないことが分かります。もう、後悔の気持ちは益をもたらすことはなく、そこにはアッラーの罰と、罪人を縛る縄があり、現世にはない罰が存在するでしょう:「それでその日,誰もなし得ない程の懲罰を加えられ,また誰も拘束し得ない程に束縛なされる。

  以上の逆境が起こる中、無罪の正義者たちの結末が語られます。アッラーから正義者たちへの吉報である、彼らに準備された報酬:

  「(善行を積んだ魂に言われるであろう。)おお,安心,大悟している魂よ,あなたの主に返れ,歓喜し御満悦にあずかって。あなたは,わがしもべの中に入れ。あなたは,わが楽園に入れ。

  大悟している魂とは、恐れや悲しみにおののかない魂のことです。そして主にお会いすることと、アッラーが信仰の民に約束された良い結末とに安心しています。

  大悟している魂とは、現世でアッラーに背かなかった魂のことです。その行いを手にされているお方にすべてを任せています。

  この大悟している魂にアッラーは直接語りかけています。丁度、ムーサー(平安あれ)に語りかけたように、もしくは、人々を清算し終えた天使の舌からの言葉でもあるようです。甦りの際、または死ぬ際に、「あなたの主に返れ,歓喜し御満悦にあずかって。」と言われます。つまり、アッラーがあなたに準備してくださっている善い報酬に十分に満足し、あなたの主に戻りなさい。自身の行った善行により、アッラーはあなたに満足しているでしょう、という意味です。「あなたは,わがしもべの中に入れ。あなたは,わが楽園に入れ。」、アッラーの側近であるアッラーのしもべたちの中に入っていきなさい、そして天国で途絶えることのない至福に浸かりなさい、という意味です。
コメント (2)
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