イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

Sさんの入信にいたる話

2008年04月30日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)

 Sさんは真面目なカトリックとして育ち、心にはいつも神の存在があったそうです。Sさんは日本人の男性と離婚が成立した後も、日本で働きながら生活をしていました。たまに帰る出身国にある彼女の援助で建った家族の住む家は、ムスリム住民も多く住む地区にあります。かといって、ムスリム住民とのお付き合いはほとんどなく、イスラームについても何も知らないのでした。彼女が実家に滞在している際、早朝にスピーカーから大きな「歌」が聞こえてきて、思わず目が覚めてしまったそうです。これは近所にあるマスジドから発せられる礼拝への呼びかけアザーンでした。彼女の家族はアザーンに慣れているのですが、Sさんは早朝のアザーンはとても迷惑であると感じ、日が昇ってからマスジドに抗議に行きました。マスジドには門番がいて、中に入れてくれません。「音が大きくて眠れないから、小さくしてくださいよね!」と門番に伝え、ひとまず退散。そのときのSさんの服装は、半そで・短パン・サンダルといういでたちだったそうで、あんな格好ではマスジドに入れないことなど少しも思わなかったということです。しばらくした後、Sさんは日本に帰国しました。彼女の始めてのイスラームとの関わりは、この早朝のアザーンだったのです。

 あれからしばらく経ち・・・Sさんは日本で車に置いていた大金を盗まれてしまいます。一生懸命働いて貯めたものだったので、無くなったときは相当のショックを受けたそうです。調べている警官に、「こんなところ(車内)に置いておいたあんたが悪い」と言われてキレたSさんは、「あなたが私の立場だったらそんなこと言えないでしょう!」と怒ったそうですが、当時といい、自国でのマスジドでの抗議の態度といい、改宗前の彼女は今よりもずいぶんと荒々しいものだったようです。所持金が無くなり、友人にお金を借りなければいけないときもあったそうで、当時はかなり苦しんだそうです。

 盗難から1ヶ月。実家から連絡が入ります。「大火事!」Sさんは慌てて飛行機に乗り家族の元へと向かいました。地域一体は燃え尽き、家族も近所の人たちも皆、路上にテントを張ってその日その日を過ごしている様子にとても心が痛んだそうです。マットが無いので、板の上で寝、テントで雨を凌ぐ家族・・・。再建費を出したくても、お金がありません。歩いていると、近所にある、“無傷”の大きな歌を早朝から流すあのマスジドが目に留まりました。周りは黒こげなのに、このマスジドだけはなにも影響を受けていないのです。この頃から、Sさんの心に「イスラームとムスリムの違いとは何なのか」という疑問が沸いていました。一度目の抗議に続き、Sさんはこの建物にはきっとなにか秘密があるに違いない!と思い、再度マスジドに入ろうと試みますが、またもや門番に止められてしまいます。
 
 「中には何があるの?私、イスラームを知りたいから中に入れてください。勉強したいんです。」と言っても門番は、「あなたはここに入れませんよ。」と言うのみなので、首都にある一番大きなマスジドを自力で探し出し、Sさんはそのマスジドで聞いてみようと試みました。

 マスジドの門番にSさんは中に入りたい旨を伝えると、なんと門番はナンパをしてきたそうです。このときの服装も、ムスリマのものとはかけ離れたものだったためでしょうか。ショックを受けたSさんは、そこから離れ、合同礼拝から出てきた、ムスリム老人に声をかけました。「私、コーランが欲しいのだけど、どこで買えますか?私お金はあります。」と伝えると、老人は少し待っていなさいと言い、マスジドに入っていきました。「これは英語の意訳も付いたいいものだから。」と言って、周りの人に見られないように老人はSさんにコーランを渡しました。Sさんは老人に金額を聞いて、おつりはいりませんから、と言って、コーランを受け取った後老人と別れました。なんと老人はコーランの代価を彼女から取ったのです!!

 初めて手にした、イスラームの聖典。少しめくってみて中身を確かめました。「へぇ、いいことが書かれているな。」片手に普通の本を持ち運ぶようにコーランを手にしていたSさんを、マスジド近くの店の女性店員が見つけ、話かけてきました。「あんた、ちょっと来なさい!なんであんたがこれ(コーラン)持ってるの?」(と雑な話し方だったそうです)Sさんはとても不安になり、ムスリムが多くを占める地域にいることに恐怖を覚えたそうです。どうしてさっきから変な人たちばかりなのだろう。地元のマスジドには入れないし、門番にはナンパされるし、今度は女性からもキツク言われる、と。Sさんは正直に答えました。「いろいろあって、イスラームが知りたくなりました。コーランを読めば勉強になると思って、先ほどある老人から頂いたんです。」女性店員は、「あぁそういうことなのね。勉強頑張ってね。ただ、コーランは汚い手で触ったりしないで、大切に扱ってくださいね。」と言ったそうです。そしてSさんに「women in Islam」という英語で書かれた本をプレゼントしてくれたそうです。

 コーランと本を手にしてSさんは滞在先のホテルに戻りました。コーランも女性に貰った本も少し目を通しました。これだけでは物足らないので、イスラミックセンターを電話番号案内を使って探し出し、電車に乗ってセンターに行くことにしました。

 イスラミックセンターに着いたとき、とても感動したそうです。やっと見つけたぞ!と。戸を開くと、男性陣が礼拝していました。「お兄さん、ここはイスラミックセンターですか?」とたずねると、お兄さんはそうだと頷きました。「私は勉強がしたくてここまで来たんです。何をすればいいですか。」と聞くと、「あちらに女性の先生がいますから。」と場所を案内してもらいました。現れた女性の先生は、ゆったりとした服をまとったとても優しい方だったそうです。その方に、火事が近所で起きたのに、そこのマスジドは無傷だったことをきっかけに、イスラームとは何だろうと知りたくなったことを話しました。先生は、「明日、服装を整えて(長い服を着て)もう一度来てください。そのときにすべてお話しましょう。」と言いました。午後8時半まで開いていることを知ったSさんは、先生には一応後日伺うと返事をしましたが、早く話を聞きたかったので、急いでホテルに戻って着替えて、同じ日にセンターに再度足を運びました。

 先生はイスラームの話を詳しく、分かりやすくしてくれ、Sさんはとても納得したそうです。その日から日本に帰国するまでの間、いろいろと勉強したそうです。そして日本に戻る前に、シャハーダをし、ヒジャーブを身に付けるまでに至りました。ちなみにSさんはいつも神様に「私を導いてください」とお願いしていたそうです。

 シャハーダしたその日に、実家の近くのマスジドに行ったそうです。髪を覆い、肌を隠した服装をしたSさんに門番は何も言わず、門を開きました。Sさんはずっと入ってみたかった秘密が隠されたマスジドに入り、中にいた女性たちにあなたはどこ出身?と聞かれました。Sさんはこの近所に住んでいると答えると、女性たちは、この近所で改宗したのはあなた以外誰もいないと言いました。皆とても優しくしてくれたそうです。Sさんの心は信仰で満ちていました。

 イスラームに改宗したSさんの家族は誰も彼女を責めたり咎めたりすることはなかったそうです。十分に年をとり、ものごとをしっかりと捉えているSさんの選択を皆認めたということです。と言ってもSさんは入信したばかりで礼拝の方法さえ分からないまま日本へ渡航することになっていたので、センターの先生に日本に戻ったらよいムスリムを探し出して、一生懸命勉強を続けなさいとSさんにアドバイスしたそうです。神の配慮により、日本に戻ってから、クルアーンの暗記を手伝ってくれる先生が見つかり、その方と2年かけて勉強したそうです。

 盗難にあい、所持金が少ないため、日本に戻ってからも実家修繕のための送金はとても困難だったそうで、給料が入るたびに、出来る限りのお金を家族に送り、その都度、そのお金で出来る修復を家族はしていきました。ところが送金額が小額だったにも拘らず、修繕は着々と進み、現在の家は、火事の前よりも大きくなり、3階建てにまでなったそうです。Sさんは、アッラーはとても寛大なお方で、求めればなんでも下さる、と言いました。

 Sさんは、今までに起こったアザーン、盗難、大火事、門番のナンパ、コーランを売った老人、キツイ言葉を浴びせた女性ムスリマ・・・などはすべて、彼女がイスラームに導かれるための 一筋の道に配置されたものだと後で気が付いたそうです。それぞれは繋がっているということです。彼女が幼少から親しんできた神様は決して私を見放さなかったと。寂しいときや困ったときは、「神様、私を導いてください。」とお願いをし、悪いことが起きれば自分を正すために下ったサインと受け取り、改心するようにしたそうです。


 改宗後、今まで大切にしてきた聖書、十字架などは、もう不要であるからといって捨てたりなんて出来なかったそうです。きれいな布に包んで、大切に扱って欲しい友人にプレゼントしたそうです。今まで通ってきた教会に顔を向け、「あなた(ジーサス)の存在が無ければ、私はイスラームに出会えなかった。ありがとうね。」と涙を流したそうです。彼女の今までの信仰が、イスラームの信仰の土台になっているわけです。

 余談ですが、Sさんがイスラームに出会い、一番感銘を受けたのは、“礼拝”だそうです。他の改宗者に共通することでもあり、「クリスチャンとして一生懸命祈っても、ムスリムが行っている礼拝の熱心さには敵わない。どうしてなのだろう。どうすればあれほどの畏敬の念を持てるのだろうか。」と改宗前に思ったそうです。
コメント
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