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89. 暁 (アル・ファジュル)【1】

2008年04月04日 | ジュズ・アンマ解説
 悪を行う共同体の最後は悪いものであるとの警告が、しもべを善と悪でアッラーはお試しになるというかれの慣習の解明と共にこの章に登場します。また、審判と、支配されるお方である尊厳高きアッラー、その恐ろしい日の人々の行く末がどのようなものであるか・・至福なのか罰なのか・・の解明もなされています。

 アッラーはまず、かれの創造の偉大さを示している重大な事柄すべてにかけての誓いの言葉でこの章を始めます:

 「暁において,10夜において,偶数と奇数において,去り行く夜において(誓う)。本当にこの中には,分別ある者への誓いがあるではないか。

 「暁において」、アッラーは朝の光において誓われていますが、それはかれの驚異的な創造の一つだからです。夜の終わりと日中の到来を指すと、「10夜において」と仰っています。アッラーは、かれの許で徳のある10夜においても誓われています。この10日間ですが、クルアーンの降下が始まったライラトゥルカドルを含んでいるラマダーン月の終わりの10日間のことかもしれませんし、暁と関連していることとして、関心を向けるために述べられているのかもしれません。朝が夜の闇を消し去り、分散させるように、クルアーンは無知と忘恩・不信の闇を消し去り、分散させます。この祝福された10日間は、ズ・ル・ヒッジャ月の初めの10日間とも言われていますが、それはハッジ(巡礼)の儀式で忙しく、この日々に人間は罪から清まるからです。アル・ブハーリーに出てくる言葉にこういうものがあります:《アッラーにとって、この日々(ズ・ル・ヒッジャ月始めの10日間)に行われる善行以上に好まれる日々はないのだ。》

 「偶数と奇数において」、アッラーは、存在するすべての双数と単数において誓われています。創造物と創造主を指しています。アッラーはお一人(奇数)であられ、創造物は雌雄(偶数)に分かれています。「去り行く夜において」、去り行く夜においてアッラーは誓われています。夜と昼の現象がアッラーのお力の偉大さを象徴しています。「本当にこの中には,分別ある者への誓いがあるではないか。」、つまり、これらの誓いに使われた事柄は、理性を持つ者を納得させられるではないか、という意味です。疑問形は、誓いの対象がいかに重要であるかを確定しています。誓いを聞かされる立場の存在は述べられていませんが、以下のことが言えるでしょう:登場した事柄で不信仰者たちは罰せられるだろう。続きのアーヤ(節)がそのことを示しています:

 「あなたはアッラーが,如何にアード(の民)を処分されたかを考えないのか,円柱の並び立つイラム(の都)のことを,これに類するものは,その国において造られたことはなかったではないか。また谷間の岩に彫り込んだサムード(の民)や,杭のぬしフィルアゥン(のことを考えないのか)。これらは(凡て),その国において法を越えた者たちで,その地に邪悪を増長させた。それであなたの主は,懲罰の鞭をかれらに浴びせかけられた。本当にあなたの主は監視の塔におられる。

 アッラーは仰っています:ムハンマドよ、アッラーが昔のアラブであるアードの民をどのように扱ったかを知らないのか。彼らは、オマーンとイエメンの間にあるアハカーフ(砂丘の意)に住んでいました。「イラム(の都)」、アードの一族であるとか、アードが住み着いたある町の名前だと言われています。「円柱の並び立つ」、彼ら(アードの民)は身長が高かったと言われています。円柱の由来は、彼らの住んでいたテントのものであるといわれており、彼らは家畜の牧草を求めて移動しては、テントを建てたということでしょう。他に、円柱は彼らが城を建てるためのものだったとも言われています。「これに類するものは,その国において造られたことはなかったではないか。」、つまり、力、厳しさ、堅固で長身な体を持つこのような部族は今まで創られたことはなかった、ということです。「サムード(の民)」、昔に存在した有名なアラブの部族です。彼らはヒジルと呼ばれるヒジャーズとタブークの間に住んでいました。「岩に彫り込んだ」、つまり、山々の岩を割り、そして彫り、それらから自分たちの住処を作ったという意味です。「谷間」、ワーディール・クラー(地名)です。「杭のぬしフィルアゥン」、杭は、フィルアウンの権力を強化する軍隊を指します。フィルアウンはかつて人々を杭で苦しめ、そして死ぬまで縛り上げていたと言われています。「これらは(凡て),その国において法を越えた者たち」、つまり、不正と敵意において、度を越したという意味です。「その地に邪悪を増長させた。」、国の中に不正と悪と殺戮などすべての罪を増長させた、という意味です。「それであなたの主は,懲罰の鞭をかれらに浴びせかけられた。」、つまり、強烈な罰です。サッブ(Sabb)はアラビア語で元来、溢れる水を浴びせるという意味です。サウト(Saut)は、それで叩かれると痛みを与えるものです。クルアーンの修辞力は、元来の意味を調整し、サウトにおける懲罰の意味に、サッブが意味する”放出・溢れること”を加えました。つまり、サウトが体に当たると、激しい痛みが起こるということです。「本当にあなたの主は監視の塔におられる。」、各人に報復するために、アッラーはすべての人間の行いを見張っているということです。
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