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イスラーム勉強会ブログ

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アーダム(アライヒッサラーム)・人間の創造について読み比べる【2】

2008年02月26日 | 他の解説
 ②アーダムは土から創られた

 旧約の創世記2章に、アーダムは土から創られたとありますが、1章の天地創造の様子と共に登場する人間の創造に関する部分は、彼が土から創られたと言っていません。
 「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。」(創世記2章7)

 クルアーンにある、人間が土から創られたという部分:「本当にわれは人類を、泥で形作って陶土から創った。」(ヒジル章26節)など。

 旧約もクルアーンも、人間の素は土であるとしていますが、特にクルアーンは、火から創られたジンと、土から創られた人間両者の創造を比較しています。

 そしてクルアーンには、この土がどういうものであるかの説明がありますが、旧約にはありません。アーダムは、まず形作られた泥から、陶器のようになり、そこで主の一吹きが入ることにより骨と血と肉で出来た生きた人間になりました。アッラーがイブリースにアーダムにサジダするよう命じたとき、彼は土から創られたアーダムよりも、火から創られた自分の方が優っていると思い込んでいました。

 クルアーンのいろいろな部分が集中してアーダムは土から、そしてジンは火から創られたことを説明をしますが、これは意味のないことではないのです。この部分を読むことにより、私たちに、”イブリースがアーダムよりも優れていると思うほど火は土よりも優れているのか?””どうしてアッラーは人間を土ではない他のものから創造しなかったのか?”という疑問が浮かんできます。

 アッラーはジンを火から、天使を光から、人間を土から創られました。人間の頭脳で考えた場合、土よりも火と光の方が強くて優れていることが分かります。しかしアッラーはご自身の魂を土に吹き込むことにより、土は理性と感情と信仰と忘恩を備えた人間になりました。これらは天使にもイブリースにも与えられていない性質です。火と光よりも下等の土が、アッラーの魂から吹き込まれ、理性と思考能力を与えられることにより高等になるのです。

 ③アッラーがアーダムにサジダするよう天使とイブリースに命令

 クルアーン:「われはかれを(完全に)形作った。それからわれの霊をかれに吹込んだ時、あなたがた(天使)はかれにサジダしなさい。」と(命じた)。」(ヒジル章29節)アーダムにサジダするようにとの命令が、彼が創られる前に出ていたということです。サジダが実際にされたのは、アッラーがアーダムを人間として創造した後のことでした。ここのサジダは礼拝の単位でもある崇拝的なものではなく、アーダムを敬う気持ちを表すサジダでした。なぜならアッラーは、ご自身以外のものを崇拝するように命じるお方ではないからです。

 旧約にこの話は出てきません。

 ④アッラーがアーダムに悪魔に従うことと禁じられた木の実を食べることを禁止(④以降については一緒に説明していきます。)

 旧約によると、ハッワー(イヴ)に楽園の禁断の実を食べるようそそのかしたのは蛇です。イブリースの名は出てきません。

 旧約:「さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。」(創世記3章1-6)

 ここを注意深く読んで浮かんでくる疑問を箇条書きにします。

 第一:蛇は陸に生息する動物の中で一番狡猾であるとのことですが、園に陸があり、他の生息物があるのでしょうか。そもそも神は動物たちを園に創ったのでしょうか、それとも大地に創ったのでしょうか。

 第二:仮に園に多くの動物がいて、蛇がその一つだとしたら、動物が話したり、理性を持てるものでしょうか。

 第三:蛇は、アッラーがアーダムから隠した、見えない知識を知っていたのでしょうか。知っていたとすれば、どのようにして知ったのでしょうか。

 第四:もし蛇が禁断の実を食べることにより善悪を知ることが出来るようになると知っていたのなら、どうして蛇自身がその実を食べて、善と悪を知る神のようになろうとしなかったのでしょうか。

 これら疑問は、旧約の言及を否定する結果に私たちを導こうとしますが、それは話が論理と理解に反しますし、悪魔が登場する善と悪の競り合いという問題に少しも結びつかないためです。

 クルアーン:「かれは一緒にサジダすることを拒否した。」(ヒジル章31節)
       「またわれが天使たちに、「あなたがた、アーダムにサジダしなさい。」と言った時を思い起せ。その時、皆サジダしたが、悪魔〔イブリース〕だけは承知せず、これを拒否したので、高慢で不信の徒となった。」(雌牛章34節)
       「かれらはイブリースを除いてサジダした。かれはジンの仲間で、主の命令に背いた。」(洞窟章50節)
       「われはあなたがたを創り、形を授け、それからわれは、天使たちに向かって、「アーダムにサジダしなさい。」と告げた。それで外のものは皆サジダしたが、悪魔〔イブリース〕はサジダした者の中に加わらなかった。」(高壁章11節)
       「かれは仰せられた。「ここから落ちてしまえ。あなたはここで高慢であるべきではない。立ち去れ。あなたは本当に卑しむべき者である。」悪魔は答えた。「かれらが甦らされる日まで、わたしを猶予して下さい。」かれは、「あなたは猶予されよう。」と仰せられた。」(高壁章13-15節)

 ここにいくつかの注意点があります。
 
 第一:イブリースはサジダをせず、アッラーの命令に従うことを拒否したため、アッラーは彼を呪い、園から出て行くように命じた。
 
 第二:イブリースは、アッラーに猶予してくれるよう頼んだところ、人間が死後復活する日まで猶予してくださることになった。
 第三:アッラーがイブリースを園から追い出したのであれば、イブリースはどのようにして園に戻り、アーダムとその妻に囁きかけて二人を騙し、迷わせたのか?

 クルアーンの文脈から理解できるのは、イブリースは園から追放されたことと、アッラーはアーダムとハッワーに彼に気を付けるよう注意したことです。しかしイブリースは二人に囁きかけました。ウィスワース(囁き)はもともと、心に届く耳に聞こえない言葉と捉えることが出来るので、イブリースが蛇の姿で園に入って二人に囁いたとは言い切れないでしょう。実際は、イブリースが二人の心に遠くから囁きかけたといえるのではないでしょうか。それに、アッラーがお怒りになり、園から追放されたイブリースが再び園に入ったという事実は正しくありません。アッラーがアーダムとハッワーにしたイブリースに対する注意とは、彼の囁きと騙しから気を付けるように、というものでした。

 旧約に登場する禁断の実:「女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかった。」(創世記3章6-7)
 「主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。」(創世記3章22-23)

 旧約の文章によると、園には善と悪の木と、永遠の木の二つの木があることが分かります。「彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」という表現は、アッラーが推量していると取れますが、心に秘められたことすべてをご存知であるお方の性質とはいえません。

 アッラーが人間を大地で生活させるために創造し、そして死がやって来て、清算の日に復活させられることについて、旧約は全く言及していません。
 
 (園にある木の詳細などについては次回)