イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

81.包み隠す(アッ・タクウィール)【2】

2007年11月05日 | ジュズ・アンマ解説
 続いて、審判の日の現象の一つに、「生き埋められていた(女児が)問われる」があります。女児はまだ生きた状態で埋められてしまいました。昔のアラブ人は、貧困の恐怖か、常に起こる部族間の戦いで負けた際に捕虜にされるおそれがあるということで、女児が生まれると生き埋めにする習慣が実際にありました。捕虜にされた女性は、彼女を最初に手にした者の奴隷になりました。この女児はなぜ生き埋めにされたか、最後の審判の日に問われますが、事件がそれだけ重大だからです。死んだ女児は不当な目に合い、それに対して責任を持っていません。殺人者などの罪人に、犯した罪に対する質問をすることは、その罪の重大さや醜さをクルアーンが恐ろしいことである、と表現していることを本人に見せ付けるためです。

  「どんな罪で殺されたかと」、無垢の命を奪うすべての罪人に対する脅迫です。理由なくして罪の無い命を奪うことは、クルアーンの中で度々言及があるように、罪人が厳しい懲罰を受けるもっとも重い罪の一つであり、人間が一番最初に清算を受ける罪でもあります。預言者(アッラーの平安と祝福がありますように)は言っています:「しもべたちの間でまず最初に裁かれるのは、血についてである。」(アル・ブハーリーとムスリム)

  続いて、審判の日の現象の一つに、「(天の)帳簿が,開かれる」があります。これは、行いが記された帳簿です。死の際に閉じられた帳簿が本人の前に広げられます。帳簿は、現世の間に人間が犯す善行と悪行を天使によって記されていきます。 人間の行いが記された帳簿が開かれるということは、真実が暴露されることを意味します。犯してしまった罪を用心して隠していたとしても、審判の日に皆の前にさらされることになります。

  続いて、審判の日の現象の一つに、「天が剥ぎ取られる」があります。ものから蓋が取れるように天がはずされます。これは将来に起こる大地の異変を表現していて、地球はいつもの形のままでいることはないのを意味します。大地が大地ではないものに変えられ,諸天も変えられる日(イブラーヒーム章48節)