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預言者伝9

2010年09月28日 | 預言者伝関連

بسم الله الرحمن الرحيم
29.エチオピアへのヒジュラ(移住):
  ムスリムたちが受けている苦しみを見ながら、彼らを守ることが出来なかった預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は次のように言いました:「アッラーが、あなたたちが置かれている状況から助けを差し伸べてくださるまで、皆さん、ハバシャ(エチオピア)の地に移るのはどうだろうか。そこには誰にも不正な目に合わせない王がいると聞きます。」
  こうしてハバシャの地へのヒジュラは決行されました。イスラーム史における最初のヒジュラには、10人の男と4人の女が参加し、その中にはウスマーン・イブン・アッファーンとその妻であり預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の娘であるルカイヤがいました。
  続けて、ジャアファル・イブン・アビーターリブが移住し、次々に信徒たちもそれに倣いました。家族と一緒に行く者もいれば、単独の者もいましたが、その男の総数は38人にもなりました。
  クライシュによる迫害から逃れることだけが移住の目的だったわけではありません。イスラーム宣教と預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)の悩みの軽減もありました。
  移住者のリストを見てみると、マッカ社会における人種の多さや地位の多様さが分かります。富者、貧者、高齢者、若者、男、女。彼らのほとんどは由緒ある家系に属していたことから、当時の布教の強い影響力と包括力がうかがえます。

30.ムスリムたちの後を追うクライシュ :
  ムスリムたちが移住の地で安心して暮らしていることを知ったクライシュは、アブドゥッラー・イブン・アビーラビーアとアムル・イブン・アル=アースに、ナジャーシー王と将軍たち用に準備した土産を持たせてハバシの地へ送りました。この二人は王と将軍たちに贈り物で近付こうとし、王のいる場所で次のように言いました :「あなた様の土地に、私たちに属している愚かな者たちが逃げ込んでいます。彼らは私たち部族の宗教をばらばらにしているにもかかわらず、あなた様が信奉する教えに帰依しているわけでもありません。私たちもあなた様も未聞の新宗教をこちらに持ち込んでしまっているのです。すでに私たちの部族の中でも高貴な出の者がこちらに謁見に来ましたが、彼らこそが逃げてきている人たちにより近く、より詳しいのでございます。」これを聞いた将軍たちは「この者たちは真実を語りました、王よ。私たちの土地に来た者たちを彼らに引き渡しては。」と言いました。
  しかしナジャーシー王は怒った上に、アッラーに誓って、彼らの言葉を受け付けない、と言うと、彼の土地に逃げてきた人たちを引き渡してほしいという彼らの依頼を断りました。そしてムスリムたちと王の宗教(キリスト教)の学者たちを呼び集めました。王はまずムスリムたちに言いました :「あなた方の民を分裂させたほどの教えとは一体何なのかね。それにあなた方は一人も私が信奉している宗教に移っていないではないか。」

30.ジャアファルによるジャーヒリーヤ(無明時代)の描写とイスラームの紹介 :
  ジャアファル・イブン・アビーターリブ(預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)のいとこ)が立ち上がって王の問いに答えました :
  「王よ!私たちはかつて、ジャーヒリーヤの民でありました。私たちは偶像を崇め、死肉を食み、醜行に臨み、血縁関係を断ち、近隣に迷惑をかけ、強者は弱者から奪っていました。アッラーが私たちの中から、血統や正直さ、誠実さ、貞節さを私たちが良く知っている人間を使徒として御遣いになるまでは、です。彼はアッラーへと私たちを導いてくれました。唯一なるアッラーを崇め、かれ以外に私たちと祖先が崇めていた石や偶像から抜け出すためにです。また彼は正直に話すこと、預かり物を持ち主に届け、近親との付き合いを保ち、近隣に誠意を尽くし、禁止事項や流血を避けることを命じました。醜行、嘘の証言、孤児の財産の横取り、貞節な婦人の名誉を汚すことを禁じました。またアッラーおひとりのみを崇め、かれに何者も配さないことも命じました。礼拝、喜捨、斎戒(などのイスラームの儀礼を数え上げた)をするよう命じました。そんな彼を私たちは信じ、信仰するに至りました。彼がアッラーによってもたらされたものに基づいて私たちは彼に追従し、唯一なるアッラーを崇め、何者もかれに配しませんでした。彼が私たちに禁じたものを私たちも禁じ、彼が私たちに合法としたものを私たちも合法としました。しかし私たちの民は私たちに敵対し、危害を加えてきました。彼らは私たちの教えにも害をもたらし、私たちを至高なるアッラーを崇拝することから偶像崇拝に戻らせようとし、私たちが以前に合法と見ていた不潔な事柄を、また合法にさせようともしました。」
  「彼らが私たちを限界まで抑圧し、私達の権利を奪い、苦しめ、私たちと私たちの教えの間に立ちはだかった時、私たちはあなた様の国を目指して出発したのです。私たちは他ではなくあなた様を選び、あなた様の傍にいることを希望しました。私たちの望みは、あなた様の土地で不正な目に合わぬことです、王よ!」
  ナジャーシー王はこの言葉の全てに、静かに耳を傾けました。そして次のように言いました :「では、あなた方の友である男がアッラーからもたらされた何かを、君は持っているのかね?」
  ジャアファルは、はい、と答えました。
  ナジャーシー王は、ではそれを私に聞かせたまえ、と言いました。
  ジャアファルは、クルアーンのマルヤム章の中から読み上げました。ナジャーシー王はその御言葉に、髭が濡れてしまうまで涙を流しました。同席していた学者たちも書物が濡れるほどに泣きました。
  王の前で語られたジャアファルの言葉や彼によるイスラームの紹介は、絶好のタイミングで述べられた叡智溢れるものでした。彼の言葉は、アラビア語学的雄弁さを証明する前に、彼の理性の健全さを表しました。この背景には、アッラーによるインスピレーションとイスラームの光を完結させたいというアッラーの御意志に帰る者への、アッラーによる助力があるとしか言いようがありません。

31.クライシュの使節の失脚:
  王は言いました :「まことにこの言葉とイーサーがもたらしたものは、一つの灯から発せられている。」そしてクライシュから送られて来た二人の男に対し、「お帰りください。アッラーに誓って、私はあなた方に彼らを引渡したりはしない。」と言いました。
  しかしアムル・イブン・アル=アースは、次の日も王に会いに行き、こう言いました :「王よ!ムスリムたちはイーサーについて酷いことを言っています。」すると王はムスリムたちのところに赴き、「マルヤムの子、イーサーについてあなた方は何を言っているのかね?」と尋ねました。
  ジャアファルは言います :「私たちの預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)がもたらしたことを言えば、彼はアッラーのしもべ、アッラーの使徒であり、かれのルーフ(精)、そして、処女マルヤムに投げかけたカリマ(言葉)です。」すると王は地を叩き、小枝を手にとって、「アッラーに誓って、あなたが言ったことをこの枝に例えると、イーサーはこれ以上のことを言わなかっただろう。」
  ムスリムたちはこのように、賢く応答したわけです。かの二人の男は惨めに帰って行くほかありませんでした。そしてムスリムたちは、安心して善い隣人たちと生活を送ることが出来るようになりました。
  ナジャーシー王がある敵を攻撃した時は、彼の地に移住したムスリムたちは王の優れた振舞いに報いる形で彼を援助しました。この行動は道徳的なイスラームの教えに倣っており、ムスリムたちの人徳に相応しいものでもありました。
  この移住は、預言者としてムハンマド(平安と祝福あれ)が遣わされて5年目の出来事でした。ジャアファルは数人の教友とヒジュラ暦7年までエチオピアの地に留まりましたが、ハイバルの戦いのために戻ってきました。つまり彼はエチオピアの地に15年間留まったということです。これは大変に長い期間でした。ジャアファルは、その地の人たちにイスラームを紹介することに尽力したことでしょう。当時は史実を記すことがなかったため、私たちの手元にはその事実を証明してくれるものはありませんが、推測することは十分可能です。

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P131~135)

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