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74章【4】解説

2013年04月04日 | ジュズ・タバーラカ解説
32.否、断じて(不信仰者の考えているとおりではなく)、月にかけて、
33.退き去る時の夜にかけて、
34.明らむ時の朝にかけて、
35.まことにそれ(猛火)は最大のもの(懲罰)の一つである。
36.人間への警告として、
37.(つまり)おまえたちのうち、(善行によって)先に進むか、または、(悪行によって)遅れることを望んだ者への(警告として)。
38.人はみな、己の稼いだことに対する抵当である。
39.ただし、右手の徒は別である。
40.楽園の中で、彼らは尋ね合う、
41.罪人たち(の状況)について。
42.「何がおまえたちを猛火に入れたのか」(とその後、言った)。
43.彼ら(罪人たち)は言った、「われらは礼拝する者たちではなかった」。
44.「そして、貧者たちに食べさせなかった」。
45.「また、われらは(虚言に)耽る者たちと共に耽り、」
46.「また宗教(裁き)の日を否定していた」。
47.「やがて、ついに確かなもの(死)がわれらを訪れた」・
48.そして彼らには執り成す者たちの執り成しも益をなさない。

 「否」は、来世の罰のために嘘つき呼ばわりする者たちを制する言葉です。続いてアッラーは月にかけて誓い給いましたが、至高なる彼による誓いは、その誓いのためにかけられたものが重要であることと、彼の御力の偉大さが示されます。同様に彼は、去りゆく夜と光照らす朝にかけて誓い給いました。夜が去ること、朝が輝き照らすことは、地球の自転が原因の現象です。この自転という動きは、アッラーの御力を示す数々の顕著な諸印の一つです。この自転現象がなければ、夜も昼もなく、地球上の生き物すべてが暑さか寒さで滅んでしまうことでしょう。

 アッラーはこれらの事柄で「猛火」が「最大のものの一つ」であることを誓い給いました。最大のものとはつまり偉大な事項を指します。「人間への警告として」つまり自身に気を付けるようにとの警告であり、罰を恐れるようにとの怖がらせです。続いて彼は仰せになります:「(つまり)おまえたちのうち、(善行によって)先に進むか、または、(悪行によって)遅れることを望んだ者への(警告として)。」つまりアッラーに服従することによって先に進むか、または遅れることで悪と罪に落ちることを指します。「望んだ者へ」特定の道を歩むことを人間は無理強いされないことの証拠です。人間は自身の行為において選択権があるゆえ、導きの道を選ぶか迷いの道を選ぶことが出来ます。

 続いてクルアーンは、人類が理解に迷ってしまったこと、人生に疲労感を与える原因になってしまったある真実について言及します。その真実とは:全ての魂はその稼ぎに対する抵当であり、自身の行為のみの責任を負い、他の罪は負わない。アッラーは仰せになります:
 「人はみな、己の稼いだことに対する抵当である」
 この聖句は、人間の魂はアーダムのミスや祖先の罪に問われないとのアッラーからのはっきりとした知らせです。また先祖の諸行為がどれほど崇高なものであったとしても、罪を犯した魂を益するということもありません。

 続いて、クルアーンはアッラーの罰を招く行為の言及に移ります:
 「ただし、右手の徒は別である。楽園の中で、彼らは尋ね合う、罪人たち(の状況)について。「何がおまえたちを猛火に入れたのか」(とその後、言った)。彼ら(罪人たち)は言った、「われらは礼拝する者たちではなかった」。「そして、貧者たちに食べさせなかった」。「また、われらは(虚言に)耽る者たちと共に耽り、」「また宗教(裁き)の日を否定していた」。「やがて、ついに確かなもの(死)がわれらを訪れた」そして彼らには執り成す者たちの執り成しも益をなさない。」

 右手の徒とは、クルアーンが来世において幸福な者たちに使う名です。左手の徒も同じように、来世において不幸な者たちに使われます。

 ここで右手の徒は、火の中で罪人たちが罰を受けている理由をたずねあっています。その問いに、かの罪人たちと話をし、彼らが受けている罰の原因をたずねたたことのある信仰者たちが答えます:「何がおまえたちを猛火に入れたのか」おまえたちを火に入れたものは何か。4つの事柄が理由だと彼らは答えます:

 1)「彼ら(罪人たち)は言った、「われらは礼拝する者たちではなかった」」礼拝は宗教の柱です。それは、人間の魂とその創造主の間で生まれる関係です。彼おひとりだけが崇められる存在として、くださる恩恵に対しての感謝を捧げるために。そのため礼拝の放棄者は信仰者集団から外され、罪人の列の中に入るのです。創造主に対し忘恩で、義務としての感謝を捧げないためです。

 2)「そして、貧者たちに食べさせなかった」貧者への食事提供は、アッラーからの罰からの救済をもたらします。食事提供の中には、衣服や住居に関する援助も含まれます。そして貧者を軽視することは、醜行と犯罪の泥水に彼らを投げ込むことにつながります。また、略奪や殺人を行うギャンク形成のために貧者が集まることにもつながります。このように、貧者から尊い生活を送る権利を奪う者はイスラームにおいて罪人なのです。

 3)「また、われらは(虚言に)耽る者たちと共に耽り」導きとは逆の話に耽ることです。彼らはクルアーンについて次のように言いました:魔法だ、と。そしてムハンマドを気狂い者などと非難しました。これは今日の、イスラーム教義や信仰儀礼を馬鹿にして遊びと同じ扱いする者たちに当てはまります。

 4)「また宗教(裁き)の日を否定していた」宗教の日:来世の報復と清算の日です。報復の日を信仰することは、人間が自分の魂を覚醒させ、軽い言葉を口にする度に自信を清算させます。なぜなら来世の罰が恐ろしいためです。代わって、その日を嘘だとし、否定することは、自分のどんな行為も気にならなくさせます。そのため自分の欲求を満たすためなら罪を犯し、自分に有益であれば罪に浸り続けます。

 彼ら罪人たちは、次のような状態で日々を送りました:「やがて、ついに確かなもの(死)がわれらを訪れた」つまり死です。死はすべてを終わらせます。後悔や悔悟する余地を残しません。

 死が来た後、各魂はその主に帰ります。クルアーンは以前に述べたことつまり各魂はその行為に対する責任を持つことを解明します。それは次の御言葉です:「そして彼らには執り成す者たちの執り成しも益をなさない。」罪人たちが偶像や聖人たちの執成しを頼りにすることは、間違いです。彼らには執成しの力がないからです。

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP128~130)
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