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預言者伝16

2011年01月11日 | 預言者伝関連

بسم الله الرحمن الرحيم
48.ヤスリブ(後のマディーナ)の長所:
  マディーナが移住の地として、そして宣教の中心地として選ばれたことは、至高なるアッラーの叡智の一つであったと言えるでしょう。マディーナは実に、戦いに耐えられる天然の防壁になる特徴を持っており、それはアラビア半島にあるその他のマディーナに近い町にはないものでした。町の西側と東側は、人や家畜が歩行できないほどの火山岩に覆われていましたが、町の北側だけが露出していました。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、後に起こる部族連合の戦いの際に、この露出し危険に襲われる可能性のある側面に、堀を作ったのでした。その他のマディーナの土地は、ナツメヤシなどの木々に深く覆われていたので、軍がやって来たとしても細い道からしか町に入れませんでした。
  マディーナの民であるアウスとハズラジュの人々は誇り高く、武士道に長け、力強い人々でした。また自由を謳歌しており、誰にも従ったことはなく、部族や政府に税を納めたこともありませんでした。このことはサアド・イブン・ムアーズ(アウスの首長)が、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に言った次の言葉からも明らかです。:「われわれはアッラーに同位者を配し、偶像を崇めていたので、アッラーを崇めることも、かれを知ることもありませんでした。またわれわれは、贈与か買う以外でナツメヤシを食べないことを望みました。」
  以上を含めた様々な背景から、ヤスリブという町は預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)と仲間たちが移住し、落ち着きの場所とするのに最も適した場所であることが分かります。この場所によって、イスラームが強化され、道は前方に開かれ、アラビア半島の各地域が開城し、都市化が進んでいったのでした。

49.マディーナにおけるイスラームの広がり:
  アウスとハズラジュの家々にイスラームはどんどん浸透して行きます。先に帰依した者の英知ある行動と人当たりの良さ、そしてムスアブ・イブン・ウマイル(預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)がマディーナに教師として遣わされた教友)の適切な宣教によって、サアド・イブン・ムアーズ、ウサイド・イブン・ハディルといった2部族の長が、イスラームに入りました。帰依する者の数はどんどん増えていき、最終的には、どのアンサールの家庭にも信仰する男女がいるようにまでなりました。

50.第二次アカバ誓約:
  ムスアブ・イブン・ウマイルは次の年にマッカに戻って来ました。またアンサールの何人かのムスリムも、同族の多神教徒の巡礼者たちとマッカにやって来ました。彼らは預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)にアカバで会うことを約束し、ハッジを全うした夜の三分の一が過ぎた時間に、アカバの谷で忠誠の誓約を結びました。その場にいたのは70人の男と2人の女。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)はまだ帰依していなかったおじのアル=アッバース・イブン・アブドゥルムッタリブを一緒に連れて来ていました。
  まず、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)が話されると、次にクルアーンを詠まれ、アッラーに祈り、イスラームがより愛おしく思えるような口調で続けて言われました、:「あなた方がご自身の妻や子を守るように、私を守ることを誓ってください。」居合わせていた人々は、預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)に誓いましたが、彼が自分達を放棄していつかマッカに戻ってしまわないか、と強く確認を求めました。預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、「私はあなた方の同胞であり、あなた方は私の同胞。あなた方が戦う者と私は戦い、あなた方が盟約を結ぶ者と私は盟約を結びます。」と言って、彼らを安心させたのでした。そして預言者ムハンマド(平安と祝福あれ)は、彼らの中から12人のリーダー(ハズラジュから9名、アウスから3名)を選出しました。

(参考文献:「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P156~159)

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