イスラーム勉強会ブログ

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心の強化プログラム【1】

2015年05月24日 | 心の強化プログラム
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

私たちの間にある多大な距離にもかかわらず、彼への愛において私たちを集め給うたアッラーに全ての称賛そして更なる称賛がありますように。

至高なるアッラーが私たちのこの集いを祝福してくださるよう祈ります。

またアッラーへの感謝の後、この集いの実現に寄与してくれたすべての姉妹たちにも感謝します。

姉妹たちへ:
信仰(イーマーン)とは人生の数ある恩恵の中でももっとも偉大なものです。なぜなら人生のすべての恩恵は継続することはなく、永続するのは信仰だけだからです。

信仰こそが人と共にあり続け、現世において人間を益します。なぜなら信仰者は現世で最も幸福な者だからです。また、信仰者は来世で信仰から益を得ます。なぜならアッラーの御満足を獲得するからです。信仰者の幸福は現世にも来世にもあるのです。

”信仰者は現世において一番の幸せ者だ”と私が言っていることと、私たちの生きている現実を比べてみましょう。

実際、こんにちのムスリムの多くが、他の人たちのように幸せを探しているのが分かります。彼らこそが真の幸せ者であると先ほど言ったのに、彼らが幸福を探しているというのはどういうことなのでしょうか?

答え:
幸福を与える信仰とは、創造主が被造物に望み給うた「真なる信仰」のことをいいます。イスラームはムスリムたちの間違いの責任は負いませんが、己の信仰と帰依を正す者が幸福となることを保証します。

それはどういうことなのか説明しましょう:
実際、幸福とは人間が人生において必要とする数々のものの一つです。私たちは生活の中で必要なものは市場から得るということを学んでいますので、野菜が要る時は八百屋へ行き、金(かね)が要る時は金屋へ行きます。

ではどこで幸福を買えばよいでしょうか?そしてその値段はいくらでしょうか?

ある人たちは幸福とはお金を集めることであると考えているのでお金を集めますが幸福を見つけられないことに気付きます。

そして他の方法で探そうとします。

結婚で幸せになれると思って結婚もしますが、結果はお金集めのときと同じです。

またある人たちは幸福とは子どもを得ることだと思っているので子どもを作りますが、同様に、幸福に辿りつけません。

そのためいつも結果はだいたい失敗に終わります。

その原因は、幸福実現において「思い込み」という道をとるためです。

ですからここで、幸福の本当の意味を定義する必要があります。

人生が過去と現在と未来であるなら、幸福者とは、自分のすべての行為が正しいと保証され後悔することがないので、自分の過去を悲しむ事もなく、また、来る未来を恐れることも、現在から不安を感じることもない人の事を言います。人生の各シーンに起こる一時的な喜びではなく、幸福とは人生の間に死ぬまで伴い続けるもののことをいうのです。

しかし私が過去を悲しまず、これから起こることを恐れず、生きている現在を心配しなくてよい保証を私はどこから得るのでしょうか?

それには多くの知識を要します。明日何が起こるのか?私は後悔することになるのか、そうではないのか?私を困らせることが起きるのか?私が今日なしたことを悲しまない明日の保証はどこにあるのでしょうか?私が嫌うニュースで驚かされることが起きない明日の保証はどこに?そして心配することなく穏やかに過ごせる今日をどのように保証するのでしょうか?

これらすべての質問に対する答えを私たちの創造主アッラーの道しるべ「クルアーン」の中に見つけることができます:

「そこでわが導きに従った者に恐怖はなく、彼らは悲しむことはない。」(雌牛章38節)

“恐怖はなく”は未来を恐れることはなく。“彼らは悲しむことはない“は過去のために悲しまない、という意味です。

「わが導きに従った者があれば、彼は迷うことはなく、苦しむこともない。」(ター・ハー章123節)

つまりアッラーがおっしゃっていることは、私たちが幸せである保証というのは「創造主であるアッラーに従う」ということです。

一方私たちは、現世でなぜ不安な日々があったり後悔したりする日々を送っているのでしょうか。

私たちはムスリムなのですが、日常生活で困難に直面しています。
私たちはムスリムなのになぜそのような困難に出会うのでしょうか。

人間が、人生を害する様々な事項から安全であるために授けられた、創造主の道しるべ(クルアーン)は、電気製品に添付されているカタログのようなものです。

電気製品を作った人がその製品についてもっともよく知っているものです。カタログにはその使い方や壊れた時の対処法などが細かく記されています。

創造主アッラーも、同じように、私たちがどのように生きていけばよいのかをカタログに記してくださったのです。それこそが、クルアーンです。

また電気製品にはカタログと一緒に保証書も付いています。保証書には私たちが正しく使えば損害はないことを保証するけれども、誤った使い方をすれば保証しないことが書かれています。

電気製品が壊れてしまって販売店に持っていっても、もし間違った使用方法が原因であれば保証はしてもらえません。

同様にアッラーは、私たちに、自分たち自身を、そして世界にあるすべてを誤った使い方をしないよう教えてくださっています。

アッラーはそのようなカタログと保証書を私たちに与え給いました。私たちが誤った使い方をした場合はもちろん保証し給いません。

「そこでわが導きに従った者に恐怖はなく、彼らは悲しむことはない。」(雌牛章38節)とあるように、アッラーの御命令に正しく従えば苦しみも悲しみも怖れを感じることもありません。

しかし、アッラーに背けば、悲しみや苦しみや恐れを感じることになるでしょう。

クルアーンにはハラールであること、ハラームであること、義務や禁止事項が載っています。アッラーは私たちがそれらに従うことを求め給うています。従っていれば苦しみも悲しみも怖れもありません。

これを歴史が証明しています。ウマル様(彼にアッラーのご満悦あれ)の時代、ある裁判官が辞任したいと申し出ました。その理由は、2年にわたり、誰も裁判事項を持ってくることがないからでした。これはウマル様の時代を生きた人たちがクルアーンに従っていたことを示しています。

これは、私たちが、私たち自身の間違った使い方をしたり、アッラーに背くことで、苦しみや恐れを抱くようになることを教えてくれます。

アッラーの教えに従っている人は、過去を後悔することも、未来に不安を抱くこともないと、アッラーによって保証されるのです。

しかしアッラーの教えに従うということは、今まで慣れていたいくつかの行為を捨てるための大いなる努力と忍耐を要します。

そのためアッラーの道を志したいと思う人は、初めに困難を感じます。なぜなら、アッラーの道しるべが禁じているいくつかの事柄に慣れてしまっているからです。

例えばヒジャーブや断食をしようとしても最初は難しいと思ったり困難に直面するでしょう。「このような困難があるのに本当に幸福なんて得られるだろうか?」と疑問に思うかもしれません。

しかし私たちは「真の幸福」と「思い込みの幸福」を区別しなければなりません。

自分が幸福であると思い込んでいるものは、一時的なものなので、いつか消えます。または時間が過ぎた後に、私はなぜあんなことが幸福だと思っていたのだろうと後悔するものであったりもします。

思い込みの幸福の例に、美味しい食べ物があります。

食べているときにはとても美味しいと思っていたのに、そのおいしさはすぐ消え去り、また、食べた後に、それが有害であると知って、食べたことを後悔することもあります。

お金も同じで、貯めれば幸福を得られると思っていたのに、貯まると、どこに隠そうかと不安の種になることもあります。

結婚も同じで、理想だと思った人、この人となら幸せになれると思って結婚したのに、そうではなかったと知って後悔することもあります。

このように「思い込みの幸福」は一時的あるいは後悔するものであって永続しません。終わらない幸福はアッラーによってのみ得られるのです。

また、アッラーの教えの中で、実行するのが困難なものは、実は”思い込みの困難”であるので、慣れていくと困難さは消えて、最後には「真の幸福」を与えてくれます。

自分の欲と困難に勝つためには、「信仰」が必須です。

「アッラーは私たちの過去も現在も未来も御存知で、私たちが幸福を得られるように様々な事を定め給うているのだと信じる」という信仰が必要であり、私たちはそれによって安心を得られます。

信仰は、心にアッラーが下さった光で、アッラーが下さった教えに反することを許さないという強い光になります。これに対して、アッラーの教えに反する心は信仰の光が弱いということになります。

イスラーム社会に見られる諸問題はイスラームのせいではなく、イスラームを実践できていないムスリムたちのせいで起きています。ムスリムではない人たちがこのような社会を見るとイスラームは不安定で問題が多いものだと誤解してしまいます。しかしイスラームはムスリムたちの違反行為の責任を負いません。電化製品に添付された保証書と同じです。

あまりアッラーの教えに従っていなかった男性がフランスに行き素敵な女性に会いました。恋愛関係になりましたが女性がムスリマでないので結婚できないと言って、クルアーンを彼女に渡し、これを習ってイスラームを学んでほしいと言いました。その後しばらくしても連絡がないのでクルアーンを読んだか?どうだったか?と聞くと、女性は大変気に入ったので私はムスリマになったと答えました。では私と結婚してくれるのかと男性が聞くと、私はムスリマになって、あなたが本当のムスリムではないことが分かったので結婚できないと言った、という話があります。

現在イスラームは、非ムスリム達からも不正を受けていますが、ムスリムからも不正を受けています。本当のイスラームは、は、私たちムスリムがその教えに正しく従えば、私たちも、周りも、世界も幸福になります。

本当のイスラームを理解し、実践し、自分の属している社会に還元することで周りにイスラームの本当の姿を見せて、イスラームを好きになってもらえるようにしましょう。周りの人たちは「ムスリム」の後進的な姿を見ているためにイスラームに否定的なのです。私たちが正しくイスラームの教えに従っていれば必ず人々は理解してくれるでしょう。