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悔い戻る者たちの道しるべ【5】-(1)悔悟の真相

2015年05月01日 | 悔い戻る者たちの道しるべ
司会:悔悟の話を続けます。きょうは悔悟の真相、つまり悔悟は“知”と“状態”と“行為”であることについて話します。これらの言葉の意味をどのように解釈すればよいでしょうか。

先生:真実については預言者(アッラーの祝福と平安あれ)が簡潔かつ修辞力に満ちた言葉で言われました:
≪後悔は悔悟である。≫(アッ=ティルミズィーとアハマドがイブン・マスウードより伝承)

しかしこのハディースを解説した学者たちは次のように言っています:
“自分を後悔に導いたきっかけは何なのか”という知識が必要であり、またこの後悔に基づいた行為が必要である。“知”が“後悔”に先行し、“行為”と続く、ということである。そのために学者の中のトップたちは悔悟を“知”と“状態”と“行為”とするのです。

悔悟が“知”であることについて。罪であると知らない罪からどのように人は悔悟するのでしょうか。あなたがアラビア語を勉強していると仮定しましょう。あなたは例文が読まれるのを聞きそこに間違いがあることに気付きますがアラビア語を学んでいなければおそらくこの間違いにはあなたは気付かなかったでしょう。そのため人は制限なく罪を犯してしまう可能性があるのです。なぜならシャリーアを学ばず、アッラーの道しるべを知らないからです。自分は何もしていないと思っています。だからこそあなたはアッラーの道しるべを知っている必要があるのです。

司会:人は無知であることを言い訳にできるのでしょうか?

先生:いいえ。なぜならアッラーは無知であることを清算し給うからです。人が信仰をもって従順で顧みるのに少し魔が刺してしまった場合は:
「おまえたちの主は御自身の上に慈悲を書き留め給うた。すなわち、おまえたちのうち無知から悪をなし、その後悔いて戻り、(行いを)正した者に彼はよく赦し給う慈悲深い御方。」(家畜章54節)
と仰せです。

あなたがアッラーの御命令と禁止に従おうと希求しながらアッラーへの道を辿っている時、無知のために油断して軽微な違反をなしてしまった場合、アッラーの御慈悲はこの罪にも達するのです。

「おまえたちの主は御自身の上に慈悲を書き留め給うた。すなわち、おまえたちのうち無知から悪をなし、その後悔いて戻り、(行いを)正した者に彼はよく赦し給う慈悲深い御方。」(家畜章54節)

つまり、信仰者は主の道しるべを知らずに己の罪から悔悟することはない、ということです。聖法の詳細をあなたが知る時、罪も解明されるべきです。アッラーの道しるべはとても詳細です。しかし今日のムスリムたちはそれを儀式的崇拝行為に簡素化してしまいました。宗教は統合された道しるべです。人間の己との関係、己の身体との関係、己の妻や子供との、定住時および移動時の、現世を行き来する際の、己の健康時と病気時、結婚前と結婚後、お金を稼ぐこととそれを消費することにおいての関係を解明するものです。アッラーの道しるべは細かいです。アッラーの道はそこから何も消去されることはありませんし、追加されることもありません。まことにそれはアッラーの御許からのものなのです。

「今日、われはおまえたちにおまえたちの宗教を完成させた。」(食卓章3節)

あなたを罪から救ったり罪からの悔悟させる“知”のことを学者たちは“最低限知っておくべき知識”と呼びました。私はこの真実を裏づけてくれる以下の例をたびたび引用します。

パラシュートを付けた男が飛行機から飛ぼうとしていると仮定しましょう。彼はその形が楕円形なのか丸いのか、正方形なのか長方形なのか知らないかもしれません。またその素材について知らないかもしれませんし、紐がいくつ付いているか、紐の素材が何なのか、紐な何色か、など数百以上の情報を知らないかもしれません。ただ、それを知らなければ落ちて死に至る情報が一つだけあります。それはパラシュートの開き方です。パラシュートの開き方は必ず持っておかなければならない知識です。宗教は広大ですが、数ある情報の中であらゆるムスリムが知っておかなければならないことがいくつかあるのです。それを知らずにいると知らないうちに罪に陥ってしまいます。

結婚した人は結婚にまつわる規則や夫の権利と妻の権利やすべきことやすべきでないことやしても良いことやしてはならないことが何かを知るべきです。子どもが生まれたらどのように育てるか、子どもを育てる者の報奨は一体どのようなものなのか、なども知っておくべきです。結婚に関しては結婚と離婚の規則と子育てについて知っておくべきです。

商売したいと思う人は商売の規則を知るべきです。法学に関する知識なしに市場に入る人は望んでも望まなくても利息を貪ってしまいます。結婚と離婚と子育ての規則を知り、合法な儲けを得る規則や消費の規則を知ることは必須です。旅行には旅行の規則があります。あなたはあなたが必要とする分野の宗教的規則を学ばなければなりません。これを必要最低限知っておくべきことと呼びます。知っておかなければ全く知らないうちに間違いを犯してしまうことになります。そのため信仰者の悔悟は、彼がアッラーの道しるべを知らないことには締結しないのです。アッラーについて知ることと、彼の道しるべを知ることは同じではありません。例をあげましょう。

ある人があなたに家を買うための金を貸してほしいと申し出たとします。あなたは彼に二年後に同じ額を返してもらう保証を求めました。またあなたには家に対してある金額を求める権利もあります。しかし家に対して金額を得ることは100%利息です。代わってこの人と一緒に家を買うとします。あなたは家の1/4を所有します。この人がこの家で得た利益をあなたに渡すとき、あなたが家を買う時に出したお金が家の価格によって増減する条件で合法になります。もしこの家をあなたが売りたいと思うときは、お金を儲けるときの規則がたくさんあります。お金を消費するときの規則もたくさんあります。非合法なものを消費する人は悪魔の兄弟ですし、合法であっても浪費は嫌われます。お金儲け、お金の消費、結婚、子育て、旅行に関する規定を知っていなければ私たちはとても多くの罪に陥ってしまうのです。あなたは聖法を知らない限り自分が罪人であることも知ることができません。ですから悔悟は“知”で始まるのです。何人ものマスジドで学んだムスリムが先生の話すさまざまな規則について聴いて知らないうちに感じることもなくたくさんある違反行為に陥ってしまったなあと思っていることでしょう。つまり私たちは悔悟について話すにはまずアッラーの道しるべについて知ることから始めなければなりません。アッラーの道しるべを知ることは私たちが知らないうちに犯してしまう間違いの覆いをめくってくれます。医学的な例を挙げます:自分の血圧が高いということを知らない限り高血圧を治療することはできません。また高血圧を知るにはあなたの血圧を測る道具も必要になります。これは簡単な例です。

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