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イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

84. 割れる (アル・インシカーク) 【3】

2008年01月31日 | ジュズ・アンマ解説
 そして誓いの対象が述べられます(アラビア語では、誓いの言葉の後にジャワーブ・ル・カサム―誓いの返答―と呼ばれる言葉が続きます):
 「あなたがたは,必ず一層から他層に登るであろう。」つまり、辛い状態(死)と審判の日の恐怖を段階を追って迎えることになるだろう、ということです。この苦悩は現世のものであるとも言われています。つまり、苦境後に訪れる幸福、そして幸福後に訪れる苦境や、病の後に訪れる健康、そして健康の後に訪れる病です。

 これらのアッラーの存在と、かれの唯一性を証明するアーヤの登場後にアッラーは言葉を続けます:
 「それでも,かれらが信じないのはどうした訳か。クルアーンが,かれらに読唱されると,かれらはサジダしようとはしない。いや,信じない者は,(それを)嘘であると言う。だがアッラーは,かれらの胸に隠すことを熟知なされる。」  

 ここの質問形は、その内容が愚かであることを強調します。つまり、なぜ不信仰者たちはアッラーの存在とかれの唯一性を信じないのか!!なぜ死後の甦りを認めないのか!!なぜ、それが神の啓示であることを証明する事柄が載っているクルアーンが読まれると、静かにし、謙遜しようとしないのか!!ということです。「いや,信じない者は,(それを)嘘であると言う。」彼らは頑固にそして高慢に、ムハンマドがアッラーの使徒であることと、クルアーンがアッラーの書であることを嘘とします。「だがアッラーは,かれらの胸に隠すことを熟知なされる。」アッラーは彼らが胸中に隠している嘘だとする主張をご存知であられます。

  アッラーは不信仰者と信仰者の行く末を明らかにすることでこの章を終わらせます。
 「それであなたは,痛烈な懲罰をかれらに伝えなさい。だが信仰して善行に勤しむ者は別である。かれらには絶えることのない報奨があろう。

 つまり、ムハンマドよ、あの不信仰者たちに痛ましい懲罰があることを伝えなさい、ということです。ブシュラー(吉報)は元来、罰ではなく至福において使われますが、ここでは皮肉・嘲笑の意味が込められた形で使われています。反対に信仰し、善行を行った者たちには、絶えることのない報酬がありますが、それは減らされることはなく、それによって見返りを求められることもありません。

84. 割れる (アル・インシカーク) 【2】

2008年01月20日 | ジュズ・アンマ解説
 喜ばしい描写の後に、悪行を行ったことによりアッラーの罰が相応しくなった人たちの様子が出てきます:
 「だが背後に書冊を渡される者に就いては、直に死を求めて叫ぶのだが,燃える炎で焼かれよう。

 人々よ、あなた方のうちで行いの書簡を背後で左手に渡される(軽蔑・屈辱の念が入る)者は、「直に死を求めて叫ぶのだ」つまり、破滅を求めることで助けを求めるだろう、ということです。「燃える炎で焼かれよう」つまり、火の中に入れられ、そこでの熱さと罰は厳しいということです。

 続いてクルアーンは、この不幸者の現世の生活を最悪な結末につなげた本当の原因を解明しながら振り返ります:「本当に彼は,自分の人々の中で歓楽していた。彼は,本当に(主の許に)帰ることなどないであろうと思っていた。いや,主はいつも彼を見通しておられる。

 彼は現世を楽しんでいました。家族の間で幸せで、自分の犯す罪や忘恩に満足していました。「彼は,本当に(主の許に)帰ることなどないであろうと思っていた」つまり彼は主の許に戻ることはなく、死後に清算のために蘇らされることもないと確信していたということです。そのため自分が犯した罪に留意することはありませんでしたが、それは特に報酬を望むことも罰を畏れることも無かったからです。「いや」つまり、事態は彼が思い込んでいるようなものではない、という意味です。彼はいつか主の許に戻るのです。「主はいつもかれを見通しておられる」アッラーは彼が行うどんな罪もすべてご存知である、ということです。

 続いてクルアーンは、訓戒のために、アッラーの力の偉大さについての話題に移行します: 「わたしは,落日の夕映えによって誓う。夜と,それに帰り集うものにおいて,また満ちたる月にかけて(誓う)。あなたがたは,必ず一層から他層に登るであろう。」  

 これらの事柄で誓いを立てる目的は、地球における創造主とその力の偉大さの解明です。

 落日の夕映えとは、太陽が沈むときに地平線上に現れる赤いものです。一日の終わりを感じさせるこの赤色、そして夜の到来は、私たちを驚くべき自然のしるしについて考察することに誘います。そしてその裏に、これらを創造した神のお力があります。

 地球やさまざまな星が泳ぐ宇宙は、暗く創られています。「夜と,それに帰り集うものにおいて」アッラーは夜と夜の暗闇に集まった星や、休息をとるその他の創造物において誓います。そのためアッラーは凡ての創造物において誓っているようです。そしてアッラーは月において誓います:「また満ちたる月にかけて(誓う)」つまり月が満ちた状態にあることを意味します。この情景は心に安らぎを与え、至高なる創造主の偉大さを感じさせます。

84. 割れる (アル・インシカーク) 【1】

2008年01月18日 | ジュズ・アンマ解説
84. 割れる (アル・インシカーク)

【解説】
 この章は、最後の審判の日が近づくと現れる徴候について言及しながら、人間の行く着くところは彼らの主であり、自らの行いの報いを与えることを説明します。 この章の頭では、大地と天がアッラーに服従することをはじめとした、審判の日に起こる大地の変動について語られます。このことはアッラーのお言葉「従う時」で強調されています。つまり、大地と天がアッラーの命令に従うことは、それらの主であるかれに対して確たる義務であり、それらすべてはかれの手中にある、ということです。こういう始まり方は、読む者の心に畏敬と、アッラーに従順でいようとする気持ちを起こさせます。この気持ちは、天地が主に服従する描写に反映されて起こります。
 
  アッラーはおっしゃれらます:
 「天が裂け割れて,その主(の命)を聞き,従う時,大地が延べ広げられ,その中のものを吐き出して空になり,その主(の御命令)を聞き,従う時。

 「天が裂け割れて」ひびが入り、粉々になる様子です。
 「その主(の命)を聞き,従う時」天は主の命令を聞き、割れるようにという命令に従います。そしてかれに服従することは天の義務です。
 「大地が延べ広げられ」面積が大きくなります。
 「その中のものを吐き出して空になり」大地は中に埋められた死人を生きた状態で放り出します。
 「その主(の御命令)を聞き,従う時」大地は主の命令を聞き、従います。その命令はとは、大地の中にあるもの全てを外側へ放り出すことです。大地にとって主の命令に従うことは、義務なのです。

  そしてクルアーンは、世界を動かす尋常でない神の力の偉大さを描写します。人間が地上における自身の存在の真実について思い直し、自分の最後に行き着く場所は自分の主の許であることを自覚するためです:
 「おお人間よ,本当にあなたは,主の御許へと労苦して努力する者。かれに会うことになるのである。

 意味:おお人間よ、本当にあなたは現世で主のために頑張り、努力する。あなたはやがて、善い行い・悪い行いを持って主に会うことになる。だからこそあなたの行いは、主が満足するものであるべきで、決してかれの怒りを招き、自分の滅亡につながるものであってはいけない。

 続いて、クルアーンは私たちに、主に従い、主の満足を得た人たちの喜ばしい様子を教えてくれます:
 「その時右手にその書冊を渡される者に就いては、かれの計算は直ぐ容易に精算され,かれらは喜んで,自分の人々の許に帰るであろう。

 至高なるアッラーは言います:右手に行いの書を渡されるとことは、吉報の証であります。それは「かれの計算は直ぐ容易に精算され」です。容易な計算が何かというと、全ての行いが目の前に提示されることです。最後の審判の日に信者の行いは広げられますが、その悪いものは赦され、善いものには報酬があります。「かれらは喜んで,自分の人々の許に帰るであろう。」天国で彼らはアッラーから頂いた恩恵に喜んで自分たちの家族のところに戻ります。

83.量を減らす者 (アル・ムタッフィフィーン)【4】

2008年01月08日 | ジュズ・アンマ解説
 続いてアッラーは、無罪者たちが来世で享受する善いものを解明します。
 「本当に敬虔な者は,必ず至福の中におり,かれらは寝床に寄って,見渡すであろう。あなたはかれらの顔に至福の輝きを認めよう。かれらは,封印された純良な酒を注がれる。その封印はジャコウである。これを求め熱望する者に熱望させなさい。それにはタスニームが混ぜられよう。(アッラーに)近い者たち(善行者)は,その泉から飲もう。

 敬虔な者は、人間が知っている以上の、終わることのない至福の中にいるでしょう。彼らは高級な寝床に座り、そこからアッラーから頂いた善いものを眺めます。そして至福のしるしが彼らの顔に表れます。彼らはそこで酔うことのない天国の酒を飲みます。彼らの飲み物の蓋はミスク(麝香)なので、飲み物からミスクの香りが放たれます。「これを求め熱望する者に熱望させなさい。」アッタナーフス(Attanafus競争、ここでは熱望と訳されている)は、誰もが欲しがる高価なものを勝ちとる、という意味がもともとあります。このアーヤが意図しているのは、本来、競い合いというものは永久の楽園の至福を掴むためにあるべきで、けっして現世の一時的な享楽のためにあるべきではない、ということです。そのため、あるべき競争は、来世のために、アッラーへの信仰と善行で成り立ちます。この競争は世の中を正し、成長させます。しかし現世とその消えゆく享楽のための競争だと、決裂と崩壊を招いてしまいます。

 「それ(純良な酒)にはタスニームが混ぜられよう。」その天国の酒に、タスニームと名付けられた天国の泉から作られる天国の住民が飲む高級な飲み物が混ぜられます。アラビア語でタスニームはもともと、高いという意味を持ちます。「(アッラーに)近い者たち(善行者)は,その泉から飲もう。」アッラーから報酬を得た側近者たちが、天国にあるその泉から飲みます。

 続けてアッラーは、善行者たちが現世で罪人たちから受けた害の様子を説明します:
 「当に罪ある者たちは,信仰する者を嘲笑っていた。そしてかれら(信者)の傍を過ぎると,互いに(嘲笑して)目くばせし,家族の許へ帰る時,笑い草にしたものである。かれらはかれら(信者)を見かけると,「本当にこれらの者は迷っています。」と言う。だがかれらは,かれら(信者)の監視者として遣わされた者ではない。

 罪人たちは、信者たちを嘲笑の的にしていました。彼らは信者たちのそばを通ると、行儀悪く仲間の間で目くばせしました。そして自分たちの家族のもとに戻ると、「笑い草にしたものである。」つまり、家に戻る前に信者たちに対して行ったことを面白く思い嬉しがりました。信者たちを目にする度に、彼らを指差しては彼らが迷っていると決め付けました。「だがかれらは,かれら(信者)の監視者として遣わされた者ではない。」つまり、不信仰者たちは自分たち以外の人たちの行いを監視し、彼らの正しさや混迷さを証言するために遣わされているのではない。ということです。この表現は、不信仰者に対する皮肉です。

 続けてアッラーは、不信仰者たちの危害に忍耐するように信者たちに呼びかけますが、なぜなら来世では現世で起こった逆のことが起こるからです。この語りかけで章は終わります:
 「だがこの日は,信仰する者が不信者たちを笑い,かれらは寝床に寄って,見渡すであろう。不信者たちは,その行いの報いを受けたであろうかと。

 クルアーンは虐げられた弱い立場にある信者たちに哀悼の言葉をかけます。不幸な結末は不信仰者たちを終末の日に待っており、信者たちは至福につかるでしょう。彼らは寝床に座り、不信仰者たちに現世で笑われたように彼らを笑います。しかし、つかの間の現世と永遠の来世の違いは大きすぎます。

 「不信者たちは,その行いの報いを受けたであろうかと。」このアッラーの言葉の解説の前に、少し説明が必要です。ここの疑問詞は不信仰者に対するとがめ、非難と彼らに対する罰の報告を意味します。つまり、不信仰者たちは現世で信仰者たちに行っていた嘲笑行為に対する報いを受け、それが合法となった、という意味です。報いとは何でしょうか?実にそれは、地獄の火です。報い(サワーブ、thawaabアラビア語では報酬という意味に近い)という表現が使われたのは、彼らに対する非難、嘲笑のためです。なぜなら通常、報いというものは、追従の報酬であるからです。これに似た表現がクルアーンにあります:「彼らに痛ましい懲罰の吉報を伝えなさい。」吉報は元来、喜ばしい知らせのことを言い、罰のこととは言いません。

83. 量を減らす者 (アル・ムタッフィフィーン)【3】

2008年01月05日 | ジュズ・アンマ解説
 続けてアッラーは来世における罪人たちの行く末を説明します。
 「いや,本当にかれらは,その日,主(の御光)から締め出される。次にかれらは,地獄できっと焼かれよう。そこで,かれらに,「これが,あなたがたが嘘であると言ってきたことである。」と告げられるであろう。

 文頭に、カッラー(Kallaa)と読む強めの意味を持つ否定詞が来ます。彼らの行っている悪行に恐れを感じさせるためです。彼らは審判の日、アッラーの尊い御顔を見ることが出来ず、魂の純粋な者にしか許されないこの幸せが禁じられます。彼らとアッラーの間にある(視覚の)隔たりは取り除かれます。彼ら敬虔な人たちについてアッラーは「その日,或る者たちの顔は輝き,かれらの主を,仰ぎ見る。」(復活章22節)とおっしゃっています。

 主と彼らの間に隔たりがあること自体、彼らに対するこれ以上にない罰でしょう。そして彼らの終わりは、不幸で苦しいものです。「次にかれらは,地獄できっと焼かれよう。」彼らは火の中に入り、苦しむのだ、という意味です。そして彼らに罪を与えることを任されている天使たちに叱責を持って「これが,あなたがたが嘘であると言ってきたことである。」と言われるでしょう。つまり、この罰があなたたちが現世で嘘だとしてきたものである、という意味です。

 罪人たちの罰の次に、無罪人たちの来世の行く末をアッラーが解明します。
 「これに引き替え敬虔な者の記録は,イッリッイーンの中に(保管して)ある。イッリッイーンが何であるかを,あなたに理解させるものは何か。(そこには完全に)書かれた一つの記録(があり),(主の)側近者たちが,それを立証する。」  最後の日を嘘とする人たちが怖がらせるためと、敬虔な者とはアッラーの命令を守り全ての善い行いをする人であることを知らしめるため、強い意味をもつ否定詞カッラー(Kallaa)がここでも使われます。彼らの行いは書簡に記されています。この書簡はアッラーの許にある「イッリーイーン」の中にあります。「イッリーイーン」(高いという意味が語源)という言葉は、幸福と崇高さとレベルの高さを感じさせます。それと同時に、「スィッジーン」は狭さと暗さを感じさせます。

 「イッリッイーンが何であるかを,あなたに理解させるものは何か。」この事実は人間の感覚と知識を超越した事柄です。そしてそれは実に「書かれた一つの記録」です。つまり、審判の日における無罪者の火からの安全と天国という勝利が書かれているということです。「(主の)側近者たちが,それを立証する。」そこに書かれた行いなどをアッラーの側近である天使たちが立証し、その記録を守護します。

83.量を減らす者 (アル・ムタッフィフィーン)【2】

2007年12月26日 | ジュズ・アンマ解説
 アッラーは続けておっしゃいます:
 「断じていけない。罰ある者の記録は,スィッジーンの中に(保管して)ある。スィッジーンが何であるかを,あなたに理解させるものは何か。(そこには完全に)書かれた一つの記録(がある)。

 断じていけない:量を減らす者たちの甦りを否定する姿勢、彼らの悪行が清算されることを否定する姿を厳しく批判します。クルアーンは彼らを、フッジャール(Fujjar)と表現します。罪ある者、という意味です。つまり、忘恩不信と罪業に浸る者のことです。彼らの行いが記録されている書簡はスィッジーン(スィジンという監獄が語源)の中に保管されています。これは彼らの地位の低さのため、大地の一番奥深いところにあるといわれています。
  「スィッジーンが何であるかを,あなたに理解させるものは何か。」:スィッジーンの恐ろしさと、それについて知るものはいないことを示唆します。
  「(そこには完全に)書かれた一つの記録(がある)。」:そこに彼らの所業が記されます。他人がそれを見ると、その持ち主が善い行いをしていなかったことが分かる証拠になるでしょう。

  続いて、報復の日をうそとする人たちにアッラーは警告をします。
 「災いなるかな,その日,嘘であると言って来た者たちよ,審判の日を,嘘であると言って来た者たちこそは。これを嘘であると言って来た者は,反逆者,罪人に外ならない。わが印が,かれらに読誦された時,かれらは,「昔の物語だ。」と言った。

 アッラーは清算と報復の日を信じない人たちに罰があることを警告します。この日を否定するのは、恩恵不信と迷いにおいて度を越した人や、罪業を過度に行う人以外にいません。
 「わが印が,かれらに読誦された時,」:彼らにクルアーンの節が読み上げられると、彼らはそれを「昔の物語だ。」と言いました。伝説というものは、昔の人たちが記した、根拠はなく信憑性もない話です。

  アッラーは続けて、彼らが導きを拒否する秘密を解明します。
 「断じてそうではない。思うにかれらの行った(悪)事が,その心の錆となったのである。
  断じてそうではない:彼ら罪深い人たちが、クルアーンのことを昔話だとするのがどれだけ重大であるかを表現するため、強い否定形が使われています。
 「かれらの行った(悪)事が,その心の錆となったのである」:彼らの感覚と心に覆いがされたという意味です。
 「かれらの行った(悪)事」:彼らの悪行が、心の中で錆となってしまいました。悪事に慣れた心には、分厚い覆いがされ、アッラーの御光からさえぎられてしまいます。そのため、真実、善、慈悲の感覚が失われてしまいます。このことについて預言者(平安と祝福がありますように)は言っています:《信者が一つ罪を犯すと、心に黒いしみが付く。悔悟し、罪を止め、赦しを求めれば、心は輝くでしょう。罪が大きくなると、(しみも)増える。それこそが、アッラーがかれの本の中で言われた「錆」である。》(イブン・マージャとアフマドより):「断じてそうではない。思うにかれらの行った(悪)事が,その心の錆となったのである。

83.量を減らす者 (アル・ムタッフィフィーン)【1】

2007年12月22日 | ジュズ・アンマ解説
 83.量を減らす者 (アル・ムタッフィフィーン)

 【解説】 
 この章の一番大きな目的は、計量上の騙しの排斥です。生の後に死が訪れて、人々は生きていた頃の行いの清算を受けます。無罪の人たちの報いは至福の天国で、破廉恥な人たちの報いは地獄の火でしょう。

 預言者(平安と祝福がありますように)がアル・マディーナにやって来たころの町の人々は、秤を正しく扱わずに計量していたと伝えられています。そこでアッラーは次の御言葉を啓示されました:「災いなるかな,量を減らす者こそは」言葉は次の節に続きます。この後、人々の秤に対する姿勢は改善しました。

 至高なるアッラーは、秤などの計量器を遊ぶように扱う人たちを警告します。

 「災いなるかな,量を減らす者こそは。かれらは人から計って受け取る時は,十分に取り,相手にわたす)量や重さを計るときは,少なく計量する者たちである。

 アッラーは、重さを少なくする人は破滅し、罰を受けるだろうと警告します。彼ら量を減らす者たちは自分が買う側になると、十分な量を受け取りますが、売る側になると量や重さを減らします。

 量と重さを減らすことは、イスラームにおいて大きな罪です。では、強奪や横取り、スリなどはどうなるのでしょうか。そして、騙し、裏切りなどで人々の糧を不正に貪ることはどうでしょうか。これら全ての罪は、アッラーが量を減らす者に対して行った警告である、来世における厳しい罰が課されるに値します。

 人々の財産を不正に消費する悪人についてアッラーは仰っています:

 「これらの者は,甦ることを考えないのか,偉大なる日に。その日,(凡ての)人間は,万有の主の御前に立つのではないか。

 ここで、疑問詞と感嘆詞が使われています。量を減らす者が清算を受けないと思い込んで、このように間違った行動をする様子に驚嘆しているためです。彼が正しくない行いをする理由は何でしょうか。それは、彼が甦りや来世の清算があるとは思っていないからです。ですが、量を減らす人たちは一度も自分たちが恐ろしい日である最後の日、全ての人が世界の主とかれの裁きのために墓場から起き出す日に甦るのでは、と気に留まったことは無いのでしょうか。主はこの日、人間が行った全ての大小の行いの清算をされますが、量や重さを減らしていたことも、人々の財産を不正に貪ったことも清算されるでしょう。

82. 裂ける (アル・インフィタール)【3】

2007年12月14日 | ジュズ・アンマ解説
 そしてクルアーンは、天使が書き留めたものに基づいた人間のクライマックスについて明らかにします。

 「敬虔な者は,必ず至福の中にいる。罪ある者は,きっと火の中にいて,審判の日,かれらはそこで焼かれ,そこから,逃れられない。

  彼ら敬虔な者たちは、天国でアッラーに与えられたものに浴します。彼らこそアッラーのご命令に従ってきた者たちです。アッラーにお仕えすることは、すべての善と高徳な行いを含み、個人と社会にも益をもたらします。代わって罪業者は、多神教徒でアッラーのご命令に反し、すべての悪を合法とする人たちのこといい、彼らに相応しい報酬は地獄です。

 「審判の日,かれらはそこで焼かれ,」報いの日、彼らにこの日は熱く当たります。
 「そこから,逃れられない。」彼らは地獄から出ることはありません。

  最後にクルアーンは、人間の頭脳が最後の審判の詳細を把握出来ないことを、その日の偉大さを強調しながら明言します。

 「審判の日が何であるかを,あなたに理解させるものは何か。一体審判の日が何であるのかを,あなたに理解させるものは何か。

 この部分は、報酬の日の恐ろしさは、人間の想像以上であり、かつ人間の知っている範囲外であることを説明します。 その日、人間は他人に何か益になるものを与えることが出来ず、誰かが自分を害から守ってくれることもありません。すべての人間はアッラーの手中に納まるのです。

 「その日,どの魂も外の魂のために(役立つ)何のカも持たない。命令は,その日アッラーのもの。

  命令はアッラーお一人のものになります。その日、いろいろな王権、党首、主張は消え去ります。王権はお一人であられるアッラーのみに属します。

82. 裂ける (アル・インフィタール)【2】

2007年12月09日 | ジュズ・アンマ解説
 続けてクルアーンは、不信仰者たちの反抗と彼らの主への不服従の原因を解明します。

 彼らが報復の日(最後の審判の意)を嘘であるとすることが原因であるとアッラーは仰っています:
 「いや,あなたがたは審判を嘘であると言う」不信仰者よ、アッラーの恩恵を不信仰と悪行で返していることを恐ろしく思え!それ以上にあなたたちは審判を嘘であると言う。清算の日を嘘であると言うことは、世界を征服しようとするすべての悪の原因です。もし人間がこの日が来ると信じるなら、自分の行いの一つ一つを見張るようになり、そして自分を清算するようになるでしょう。そうすることによって悪と、主が満足しないすべてのことから遠ざかることが実現します。

 続いてクルアーンは、周りに存在するアッラーの繊細なる監視について人間を振り向かせます:
 「本当にあなたがたの上には2人の看守(天使)がいるが、かれらは気高い記録者で、あなたがたの所行を知っている」 人々よ、あなた方の上には行いを数えては記録する天使がいることに留意しなさい、という意味です。それぞれの人間に天使が付いていて、右側には善行を書き留める天使、反対側には悪行を書き留める天使がいます。
 「かれらは気高い記録者」アッラーによって気高くされた彼らはあなたたちの行いを書き留めます。
 「あなたがたの所行を知っている」彼らはあなたたちの善行と悪行を知っていて、その上それらを数え上げます。そのため人間は自分が監視も行いに対する清算もなく、遊びやなんとなくという感覚で創造されたと考えるべきではないのです。

82. 裂ける (アル・インフィタール)【1】

2007年12月06日 | ジュズ・アンマ解説

久しぶりになってしまいました。すみません。
ハッジが目の前までやって来ました。私は今年も行けそうにないですが、ぜひ近いうちに行けるといいなぁと思っています。これを読んでいるハッジに行くご予定の方は、ぜひ私にもドゥアをお願いします!
あ、そうそう。ハッジに行かない人は、断食などスンナの行いがいくつかあるので、自分の復習をかねて、次回まとめてみよう…と思います。インシャーアッラー。



82. 裂ける (アル・インフィタール)

 この章は、清算の日についてや、その日に起こる恐ろしい大地の変動の様子、その直後にある人間の行いに対する良い報いと罰が与えられる様子を解説します。それらは、主の権利に怠慢で、報いの日を否定する者たちに対する叱責の中に見られます。

 アッラーは、この章を審判の日の様子の描写で始めます。
 「天が,微塵に裂ける時,諸星が散らされる時,諸大洋が溢れ出される時,墓場があばかれる時,それぞれの魂は,既にしたことと,後に残したことを知る」

  アッラーは仰っています:「天が,微塵に裂ける時」つまり、裂けちぎれる様子です。今までの地球の規則が終わり、大地そのものに大きな変化が起こることが、この節の意味しているところです。
 「諸星が散らされる時」天から星が落ちる様子です。諸星が天体の法則から離れることを意味します。
 「諸大洋が溢れ出される時」真水と塩水が混ざる様子です。山々や大地に大きな変化があると、このようなことが起こるのかもしれません(アッラーのみがご存知)。
 「墓場があばかれる時」墓場が掘り返され、死人が生き返った状態でそこから出てきます。
 これらすべての変動があるとき、「それぞれの魂は,既にしたことと,後に残したことを知る」つまり、それぞれの魂は行ったアッラーへの服従と、履行出来なかったアッラーの権利と服従について知ることになります。

  そしてクルアーンは、アッラーの権利をきちんと履行しない人たちに、アッラーの彼らに対する恩恵を思い出させながら語りかけます。
 「人間よ,何があなたを恵み深い主から惑わせ(背かせ)たのか」何があなたを現世で主を背かせ、かれに対する義務を怠たらせたのか?そしてあなたは罪に走ったのか?かれこそは、表現できないほどのものをかれの寛大さからあなたにお授けくださった主であられます。
 「かれはあなたを創造し,形を与え,(均整のとれた体に)整え」かれはあなたを無から存在させ、この完璧な姿をお与えになり、体の各部分は生き物としてちょうどよく均衡に配置されています。
 「かれの御心の儘に,形態をあなたに与えられた御方である」その形態は、長すぎずそして短すぎません。アッラーはそのような行き過ぎた形態からあなたを遠ざけられました。

  人間の創造の均衡さは、その体の構造、頭脳の構造に現れていますし、大地の管理者に相応しい人間としての精神の構造にも、創造の均衡さが現れています。他にも人間の身体構造の完璧さとその神秘さを示唆するもの(消化器、循環器、呼吸器など)はたくさんあります。医学生はそれらを長年かけて研究していきます。