◎虚空蔵菩薩のマントラ
(2009-11-12)
京都大学のあたりの地名が百万遍である。百万遍とは、虚空蔵菩薩求聞持法のことである。一日一万遍で、百日やるから百万遍である。
虚空蔵菩薩求聞持法は、結願の日を日蝕か月蝕の日に当てる。(西洋魔術で春分、秋分を重視するのと似ているが、死の世界を扱う技術では、もともとこうしたサポートを用いるのだろう。)日蝕は数年に一回、月蝕は年2回くらいのものだから、覚鑁(かくばん)が9回虚空蔵菩薩求聞持法をこなすには5年くらいはかかるので、22~29歳の頃は、ほとんどそればかりに日を費やしていたのだろう。
覚鑁(かくばん)の行状記によれば、虚空蔵菩薩求聞持法成就の時、地上に乳が湧きだし、たちまち悉地を成じ、これから身通を得て、願うところは意のままとなった。どういう悉地(シッディ)かはよくわからないが、マントラ・シッディの延長にそれがあるのか、延長ではなく、ジャンプがあるのかもわからない。ただ、超能力が発現して、すべて思うままになったことを述べている。
ここは空海以来久々に虚空蔵菩薩求聞持法の成就を見た人が出たということ。
ただそれが虚空蔵菩薩のマントラでないとできないのか、南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経のマントラでは同じことにならないのか。という素朴な疑問は残る。それぞれのマントラにそれぞれ別のシッディがあるのか、それともあるマントラ・シッディを契機に、その人によって連れて行かれる場所は違うのか。
これについては、結局メソッドと結果の不定性という法則に戻っていくような気がする。
