徒然留学日記

30にしてドイツ留学を思い立ち、その後結婚。日々経験したこと、感じたことをつづっています

イタリア旅行-おまけ その2

2006-03-31 02:56:50 | 旅行
イタリアは横断歩道、歩行者用の信号機が少なかったように思う。特にローマ。たとえ、横断歩道があったとしても、

交差点で横断歩道が3つしかないってどういうこと?

3つ作るのなら、4つ作ればいいのに、というのはいけない発想なのかしら?対角線に道路を渡りたくて1つ目の横断歩道を渡ったところで、次、渡るべき横断歩道がないことに気が付いたこと、数知れず。現地の人は横断歩道がなくても渡っていたけれど、私はとてもムリだったので、引き返し、別の横断歩道を渡った。

ドイツでは、横断歩道があるときは車は「必ず」止まって歩行者を横断させなくてはいけない。イタリアでは、

いつでもどこでも車が優先

のようだった。歩行者用の信号が青で私たちが横断歩道を渡っているのに、私たちのすぐそばを右折する車が本当に多かった。両親もこれにはびっくりしていた。

道路を横切ろうとして、車が止まってくれるのを待つ、というのは無駄だった。間違いなく止まってくれない。思い切って歩き出し、それもちょっと強引に歩かないと絶対に道路を渡ることはできない、と思った。

安全なのは、現地の人と一緒に渡ること。でも、彼らは歩くのが早く、着いていくのが大変だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタリア旅行-おまけ その1

2006-03-30 05:44:54 | 旅行
今回の旅行は良く歩いた。都市間の移動は電車だったけれど、市内観光はほとんど徒歩。父はフィレンツェあたりで「ひざが痛い」と言いだし(でも、「痛い」といったのはこのときだけ)、母はローマ観光初日で「腰が痛い」と言いだした。

私も「真実の口」から帰る頃には腰が痛くなり、母同様、歩くたびに腰が痛かった(くしゃみをしても痛かった)。なので、「メトロで帰ろう」と提案してみたものの、父が、

1. 街中を歩いて帰りたい
2. メトロの駅まで遠い

と言い、結局歩いて帰ることになった。バス、という選択肢もあったけれど、バスマップは持っていないし、バス停も良く分からないのでやめた(小心者の私)。ホテルまで結局45分くらいかかった。

一晩寝たらみんな、多かれ少なかれ回復したようで、翌日、元気にポンペイへ行った。最後のほうで母と私は腰痛を再発。ローマに戻って夕食を終えかけたとき、

胃痛が…(私)

普段、胃腸の丈夫な私。そんな私が胃痛。しかも、歩くたびに痛い。しかし、一晩寝てまた回復。心配なので、今まで「満腹」まで食べていたのを「八分目」くらいにまでセーブ。セーブしていたのにもかかわらず、今度は

口内炎

ができた。痛くてあまり食べられないけれどおなかはすく。痛いのを無視して食べたら(量は少なめ)、ドイツに戻ってくる日の朝、

舌の先が荒れた(これも痛い)

そして、ドイツに戻ってきて

咳が出る

そして、今に至る…(咳が止まりません)

ジムに通って体力づくりをしているのに(していたはずだったのに)、不十分だった様です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタリア旅行-ヴァチカン市国編

2006-03-30 04:29:48 | 旅行
ローマ3日目はヴァチカン市国へ。

ヴァチカン市国ではとりあえず、博物館とサン・ピエトロ寺院(Basilica di San Pietro)を目指した。

メトロを利用してヴァチカン市国の近くの駅まで行ったのだけれど、朝の通勤時間帯にかかったので

ものすごい人

だった。ラッシュの山手線(上野~秋葉原)という感じだった。これでは、スリにあっても気が付かないでしょう。

博物館には既に行列が出来上がっていた。30分くらい、雨の中を外で待った。朝から疲れていた私たちは、コンクラーベが行われたシスティーナ礼拝堂(Cappella Sistina)で「アダムの創造」と「最後の審判」だけ見ればいいよ、と話していた。

中に入って、「システィーナ礼拝堂」の矢印に従って歩いた。が、

歩いても歩いても到着しない

それもそのはず。宮殿の一番裏にある、という。おかげでエジプトのもの、動物の間、ラファエロの間、大きなタペストリーなどなど見ることができた。

システィーナ礼拝堂の絵は修復作業がされたらしくとても色鮮やかになっていた。礼拝堂へは祭壇の横から入ったため、「最後の審判」が最初はどこにあるのか分からなかった…

お昼はこの博物館内のセルフサービスのカフェテリアで。安くておいしかった。

私たちが博物館を出たとき、外で並んでいる人はほとんどいなかった…

次は、サン・ピエトロ寺院へ。ここでも大行列。荷物チェックをする前は寺院の中を見る人も、クーポラへ登る人も一緒に並ぶので、大混雑していた。こんなことなら、先にサン・ピエトロ寺院に来て、それから博物館でもよかったかも。

そして、私たちはクーポラへ。エレベータを使っても、そこからさらに300段以上の階段があった。が、途中、寺院の中を上から見ることができ、やっぱり登ってよかった、と実感。クーポラからの眺めはよかった。

クーポラから戻るときは、エレベータに乗る前に休憩。寺院の屋根の上だけれど、結構広く、小さなお店があってアイスやジュースを売っていた。この日は、朝は雨が降っていたけれど、その後、晴れて蒸し暑くなり、私たちはアイスを食べた。

クーポラの出口は寺院の中。中はとても豪華だった。見知らぬ中東系と思われる男性も「きれいだねぇ」としみじみと言っていた。

陽の光が寺院の内部に差し込み、とても荘厳な感じの寺院だった(写真)。

ヴァチカン市国では博物館内とサン・ピエトロ広場の2ヶ所のお手洗いに行った。博物館は無料なのは分かるけれど、広場のお手洗いも無料(「チップは受け取りません」と張り紙)だったのには驚いた。そして、とても清潔。

オレンジと紺(?黒?)と赤の目立つ制服を着た衛兵さん(とても若い!!)の写真を撮り、ヴァチカン観光を終了。

予定ではサンタンジェロ城(Castel Sant'Angelo)にも行く予定だったけれど、疲れたし、お土産も見たい、ということで、ローマへ戻った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタリア旅行-ポンペイ編

2006-03-29 02:39:56 | 旅行
ローマ2日目はポンペイへ。ナポリからさらに私鉄を乗り継いで到着。前日、ローマの遺跡めぐりで疲れた母と私は正直、ポンペイには期待していなかった。ざっと見て、ナポリで海岸に行ってみよう、などと話していた。

オーディオガイドは日本語はない、というので借りず、インフォメーションでマップと見所の説明をした小さな冊子を頂き、見学へ。この冊子、英語だけれど、重宝し、オーディガイドがなくても十分だった。

街は家や道路がきれいに並んでいた。インフォメーションで頂いたマップと冊子、それに遺跡自体に番号と名前が書かれ、照らし合わせながら見学することができた。マップに載っていない見所には、遺跡の前にちょっとした看板が出ていて、それに説明も載っていた。

モザイクや絵などが今も十分きれいに見ることができた。「悲劇詩人の家の『猛犬注意』」のモザイクが有名だけど、他にもイヌのモザイクがきれいに残っている家があった。また、広場には水がめなど、生活に必要だったものが展示されていた。

大都市だったらしく、神殿、浴場は複数あり、劇場、円形闘技場、運動場も大きいものがあった。

4時間くらい遺跡の中をうろうろしたけれど、まだまだ時間が足りないくらいだった(とてもナポリでうろうろする時間はなかった)。

帰り、電車のホームに行くとき、打刻機を見かけた。「ナポリで電車に乗ったときは自動改札に切符を通した。帰りは自動改札じゃないからやっぱり刻印は必要?」と考えて打刻機で打刻した。車内検札はなかったけれど、ナポリでホームから出るとき、駅員さんが1枚ずつきっちりチェックした。打刻しておいてよかった。

まったく期待していなかったポンペイだったけれど、とてもよかった。街が残っており、当時の生活を想像できたのも楽しかった一因のように思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタリア旅行-ローマ編

2006-03-28 02:15:40 | 旅行
フィレンツェから朝9時過ぎに到着し、ホテルに荷物を置かせてもらい、ローマ観光へ。まずはコロッセオ(Colosseo・写真)。大勢の人が並んでいたけれど、思ったより時間がかからず入場。

日本語のオーディオガイドを借り(借りるときはパスポートまたはクレジットカードを預ける!!)、中に入った。オーディオガイドのポイントは6ヶ所。マップをもらっていたので、それを見ながらポイントに行ってオーディオガイドを聞くのだけれど、

ポイントがよく分からない・・・

コロッセオの建物に番号が書いてあるわけでもなく、マップと見比べながら、「この辺じゃない?人も多いし」という感じでオーディオガイドを聞いた。

次はカラカラ浴場(Terme di Caracalla)へ。ここは、何の説明もなく、ガイドブックを頼りに「想像」した。床のモザイクはちゃんと模様として残っている部分があった。このあたりで、母と私は「遺跡はもういいよ・・・」という気分に。

それでも遺跡に興味のある父をないがしろにするわけには行かないので、予定通り次はパラティーノの丘(Monte Palatine)へ。ここもまた、建物に説明がついていないどころか、名前もついていなかった。

結局、ガイドブックのマップと見比べながら歩いた。ガイドブックに「これが見所」というものがかいてあったので、それを見ながら歩いたけれど、建物に名前が付いていないから、本当にあっているのかどうかは不明。

そして、「真実の口」のあるサンタ・マリア・イン・コスメディン教会(Santa Maria in Cosmedin)へ。やっぱり人がたくさん並んでいたけれど私たちも並び、写真を撮った。私たちの前に並んでいたイギリス人カップルは、「口」の中に手を入れて1枚、「口」から手を出したとき手を袖に隠し、驚いた顔で1枚撮っていた。

ここの教会は、お土産屋さんと祭壇のある部屋が同じ大きさだった・・・そしてお土産屋さんの男性が「コンニチハー」と元気に声をかけてきた・・・

面白かったのが、「寄付」を求める箱に書かれていた言葉。日本語では

真実の口の保存にご協力を

みたいな感じで書かれていたが、ドイツ語では、

教会の保全のために

と書かれていた。やはり、日本人の場合、「教会」というよりも「真実の口」としたほうが寄付が集まりやすいのかしら。私たちもささやかではあったけれど、少しだけ協力させてもらいました。

ここで1日目が終了。続きは3日目、ヴァチカンの観光をしてから。

はじめはスペイン広場(Piazza di Spagna)へ。お目当てはもちろんスペイン階段。私も母も「ローマの休日」は大好きな映画の1つ。しかし、恐ろしいくらいの人が既に座っていた。それでも座る場所を見つけ、写真撮影。階段の後ろの教会が工事中だったのが残念。

ローマ最後の観光はトレヴィの泉(Fontana di Trevi)。泉は緑色でとてもきれいだった。ここもやはり大量の人がいた。私はこの泉がこんなに大きいだなんて思ってもいなかったので驚いた。

本当はフォロ・ロマーノ(Foro Romano)にも行く予定だったけれど、初日のコロッセオ・パラティーノの丘・カラカラ浴場で遺跡は十分、だった私と母で反対し、お土産を買いに。

私たちはお土産はたいていスーパーで買うので、今回もスーパーへ。そこは、チョコレートの量り売りをやっていて、私が「これは何?」と聞いたら3人分、試食させてくれた。おいしかった。

ローマ観光も無事終了。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタリア旅行-電車編

2006-03-27 01:34:00 | 旅行
ミラノ~ヴェネツィア~フィレンツェ~ローマはEuro Star(ES)を使った。1等はドリンクとスナックのサービスつき。といっても、ジュースは2種類ほど、アルコールは

バーに行ってくれ

という感じで、いまひとつ。でも、スナックは

甘いのとしょっぱいのとどちらがいい?

と聞いてくれ、甘いのはビスコッティ、しょっぱいのはスナックを出してくれた。私たちは全部甘いものを頂いた。そして、やはりどれもおいしかった。

電車はとてもきれいだったし、お手洗いも男女別れていて快適だった。

あるとき、電車が動き出した、と思ったら突然止まった。何事かと思ったら、どうやら

間違って乗った人を降ろした

ようだった。なんて親切な。

「イタリアの電車は遅れがち」と何かで読んだことがあるけれど、ESに関しては時間どおりだった。もしかしたら一番優遇される電車なのかもしれないけれど、数回乗って、どれも時刻ぴったりだったから驚いた。

ローマから空港に行く電車もESではなかったけれど、時刻表どおりだった。

ドイツの電車よりも正確だったかも。そういえば、フランクフルトから戻ってくるとき、早速電車が遅れていた・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタリア旅行-フィレンツェ編

2006-03-27 01:18:34 | 旅行
ピサから午後3時過ぎに戻ってきた後フィレンツェ観光。ドゥオーモ(Duomo)のクーポラに登った。ここは、クーポラと鐘楼に登ることができたが、同じような位置、同じような高さ、両方ともエレベータはなし、ということで、クーポラに登った。写真はドゥオーモ。

登る途中で、ドゥオーモの上のほうから下を眺めることができた。中の床がやはりきれい。天井に描かれたフレスコ画もはっきりと見ることができた。

登る途中、屋根が丸っぽくなっていて、「お、ここはクーポラの屋根を登っているんだな」と分かるのも面白かった。階段はとても登りやすかった。

クーポラに登った後、洗礼堂に行ってみたけれど、既に終わっていた。残念。夕食にはまだ時間が早かったので、ヴェッキオ橋(Ponte Vecchio)に行ってみた。

ここの橋の両側には宝石や貴金属を売るお店が並んでいて、恐ろしいくらいの人・人・人。商品のお値段は結構したので、「ウィンドウショッピング」だけ楽しんだ。

翌朝、ローマに向かう前に、駅前にあるサンタ・マリア・ノヴェッラ(Santa Maria Novella)教会の外観だけ見に行った。いろいろな色が使われていてとても美しい外観だった。奥行きは100mほどあるそうで、ぐるっと1周するのに思いのほか時間がかかった。

フィレンツェ自体の観光は、到着した日の夕方と、翌日、ピサから戻ってきた後だけだったから、「十分」とは言えないけれども、「不足」というほどでもなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタリア旅行-ピサ編

2006-03-26 01:50:13 | 旅行
フィレンツェに宿泊し、電車でピサへ。やっぱりてくてく歩きながら斜塔(Torre Pendente)へ向かった。ガイドブックを参考に、まず、斜塔に登るチケットを購入(登る時間は指定されている)。

登るまでに1時間くらいあったのでまず、洗礼堂(Battistero)へ。中には目立つものは洗礼盤と説教壇だけ。どちらも背が高く、中の様子がまったく見えなかったので、2階へ。2階は本当に何もなく、洗礼堂の中を上から見る、というだけのものだった。あっという間に洗礼堂の見学は終了。

ドゥオーモ(Duomo)は見学に時間がかかるかも、ということで斜塔に登ってから見学することにした。時間があったので、「お約束」の「斜塔を支えるポーズ」を親子3人、順番に写真に撮った。

方向によっては、「え、傾いてないじゃん」と感じたけれど、やはり、傾いていた。

登るときは荷物を持ってあがれない(階段はとても狭い)ので、ちょっと遠くにあるクロークに預けなくてはならない。普通のロッカーで、ちゃんと見張っている人はいるけれど、不安な私たち。降りてきて荷物を引き取ったあと、速攻で確認しました。もちろん、なくなっているものはなし。

斜塔の屋上はやはり傾いていて、なんとなくバランスがおかしくなった。そういうのにとても敏感な母は手すりにつかまっていないと立っていられない状態だった。

斜塔って、「鐘楼」だったのね

鐘がいくつもついていました。

その後、ドゥオーモを見てピサの観光は終了。ドゥオーモの中は白と黒の縞模様となっており、シックでよかった。

こんな感じでピサ観光が終了。斜塔が思っていたよりも傾いていたのに驚いた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタリア旅行-食事編

2006-03-25 13:40:38 | 旅行
旅行の楽しみの1つはやはり食事。写真はミラノで食べた「ミラノ風カツレツ」。

知らなかったけれど、イタリアではパスタやリゾットなどの「第1の皿」と肉や魚料理の「第2の皿」がある。どちらもそれほど高くなく、量もドイツと比べてみると少なめ。

何をどう頼んだのかは分からないけれど、近くに座ったイタリア人らしき人たちを見ていると、男性も女性も3皿くらいは頼んでいた。

私たちはたいてい、サラダと第1、第2の皿からあわせて3~5皿頼んだ。パンもサーブされるので、それを食べながら食事すると、満腹になった。

ドイツ料理は、1皿がやけに大きく、飽きることもしばしばあるけれど、基本的に「おいしい」と思って食べた。が、

イタリア料理は何を食べてもおいしい!!

魚介類も新鮮みたいで、臭みはないし、パスタもリゾットも文句なくおいしい。パンもとてもとてもおいしかった。普段、「パンはあまり好きではない」と言っている母までが「おいしい」と大絶賛。

ヴァチカンでは時間がなかったので美術館の中のカフェテリア(セルフサービス)で食べたけれど、ここでの食事もとてもおいしかった(しかも高くない)。

海外旅行に行って、その土地以外の食事をするなんて邪道、と思っていた私だけれど、今回はローマで中華料理を食べた。本当はラーメンを食べたかったけれど、なかったのでタンメンにした。

やはりおいしい。そのほか、春巻きや餃子、麻婆豆腐などを頼んだけれど、どれも文句なくおいしかった。

食事に関しては文句のない旅行だった。本当に何を食べてもおいしかったから驚いた。ホテルのパンまでおいしかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタリア旅行-ヴェネツィア編

2006-03-25 12:22:47 | 旅行
ローマから電車で夕方に到着。観光客でにぎわっていて、夜でも比較的安心して散策ができた。私たちは夕食のレストランへ歩いて向かいながら散策。

ヴェネツィアングラスや仮面のお店などがずらっと並んでいて、ウィンドウショッピングも楽しめた。

翌日は朝から観光。ヴァポレットに乗り、サン・マルコ広場(Piazza San Marco)へ。写真はヴァポレットから撮ったリアルト橋(Ponte di Rialto)。まずは鐘楼に登った。うーん。正直、ドイツの町並みのほうが私は好き。土の違いだと思うけれど、屋根の色がドイツのほうがきれいだと思う。

次はサン・マルコ寺院(Basilica di San Marco)へ。天井や壁にモザイク画があり、どれもとてもきれいだった。祭壇の後ろにあるパラ・ドーロ(Pala d'Oro)には宝石がたくさん使われていてこちらもきれいだった。

そしてドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale)へ。ここには絵画のほかに、盾や槍、鉄砲などが展示されており、父が時間を掛けて見学をし始めたので、母と私は少し先で椅子に座って父を待つことにした。

しかし、待っても待っても父は来ない。それほど大きな展示室ではないからじっくり見たとしても15分以上はかからないはず。そして次の展示室へ行くには私たちがいるところを通らなければならない。

何かあった??と思い、展示室を逆送したけれど、父の姿は見えない。仕方ないので私たちは出口に向かうことにした。もう、見学どころではなかった。とても大きな油絵の見学も満足にできず、出口に走る私たち。

地下の牢獄へ向かうときに仁王立ちしている父がいた。本来なら、牢獄を見学してから出ないと父の場所にはいけなかったけれど、ちょっとテープをくぐり、無事合流。

半分くらいしか見学できなかったけれど(地下の牢獄も見学できなかった)合流できてよかった。その後は歩いて駅まで戻る予定だったけれど、ショッピングもしたいし、ということで再びヴァポレットで駅に戻った。

母と私はそれぞれ、ヴェネツィアングラスのクリスマスツリーと時計を購入。思ったほど高くなかった。

ヴェネツィアはとてもいい街だった。運河は緑色でとてもきれいで、なぜかゴミはそれほど浮かんでいなかった。また来たい、どうせなら住みたい、と思うような街だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする