徒然留学日記

30にしてドイツ留学を思い立ち、その後結婚。日々経験したこと、感じたことをつづっています

日本料理を食べる

2007-03-31 02:51:29 | 料理
最近知り合った駐在さんに「和食を食べに行きませんか?」と誘われた。もちろんOKした。よっぽどのことがないと食べに行かないから。前回食べたのは1年以上前(回転寿司を除く)。

ただ、私たちが住んでいる街の和食屋さんはおいしいけれど高い、ということで、ちょっと離れた街まで遠征に行った。そこは、味は「そこそこ」だけれど、私たちが住んでいる街の和食屋さんよりは安いと言う。

行った和食屋さんは、オーナーは韓国人だそうだけれど、お店のインテリアはこれでもか、というくらい「和」。雛人形も飾ってあった。板前さんはアジア系だけれど日本人ではないそう。ウェイトレスさんたちは日本人だった。お客さんは日本人でない人が多かった。私たちの住む街の和食屋さんは板前さんもウェイトレスさんたちもお客さんたちもほぼ日本人。

テーブルに置かれている醤油は「韓国醤油」らしい。でも、お願いすれば日本の醤油も出してくれる。

食べたのは焼き魚(鮭)、焼き鳥、もちろん刺身。刺身はサーモンはおいしかったけれど、たこは「・・・」と言う感じだった。そのほかはとてもおいしかった。特に焼き鳥が今まで食べたことないくらいおいしかった。

緊張のお会計。やっぱり和食をお腹いっぱい食べたから、1人あたり40ユーロくらいかかった。まぁ、そんなに頻繁に食べるものでもないし、おいしかったので満足。
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ワークショップ

2007-03-28 18:22:42 | 勉強
私の研究室がホストになっているプロジェクトのワークショップが月・火と開催された。私はこのワークショップの参加が3回目となった。毎回「これが最後」と思っているけれど。

前回までは参加者は50~60人だったけれど、今回は100人近くになっていた。驚き。

当日のコーヒーブレイクや月曜日のバンケットなどの準備と後片付けを手伝う。さすがに3回目となると、もう、だいたい流れが分かり、いちいちコーディネータに聞かなくてもある程度まではできるようになった。

月曜日はワークショップが終わった後、レセプション、30分程度のコンサート、バンケット、という流れ。レセプションでゼクトをグラスに注いで、空になったグラスを集めたりしていた。

突然中国語で話しかけられた。「ニイハオ」とかならすぐに反応できるけれど、なんだかちゃんとした文章ぽかったので、ドイツ語なのか、なまっている英語なのかすぐに理解できなかった・・・ようやく、その彼(ドイツ人)が私が中国人ではない、と言うことに気がついたけれど、そんなに中国人風なのかしら、私。

今回のワークショップは100人近く集まったため、若い人も多く、彼らと仲良くなれた。バンケットはいつも研究室の人とかたまって食べていたけれど、今回はその仲良くなった若者の1人が「あおもこっちで食べようよ」と誘ってくれ、そちらに混ざることができた。

翌火曜日はまた若者の1人が、「僕、今日、教授と軽くミーティングをした後のみに行くんだけれど、あおも予定がないならおいでよ」と言ってくれ、参加。行って見たらそのほかの若者&私の研究室の人たちもいて、みんなで楽しくお酒を飲み、その後夕食をとった。

いつもはドイツ語ばかりでちょっとうんざり気味だったけれど、今回はまぁ、ドイツ語を話す人もいたけれど、そうでない人もいて、楽しかった。

「次」はないであろう人たちばかりなので、本当に一期一会だな、と思った。
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滞在延長

2007-03-25 05:17:47 | 勉強
年末に教授に「あおは、マスターとったらどうするか決めているの?Ph.Dには興味ないの?論文投稿をしてみない?興味があるのなら、半年くらいお金のサポートはするよ」と言われていた。

私の英語力を知っているはずなのに、本当にどこまでもポジティブな教授だな、と話半分で聞いていた。

1月末。修論は教授のチェックを待たずに提出してしまった。当然教授は静かに激怒。正直、「これでここで働く、と言うチョイスはなくなったな」と思っていた。が、2月のミーティングで

修論は再提出して欲しいけれど、お金のサポートの話はまだ考えているから

と言われた。でも、ここの研究室、とてもドメスティックな環境で、私がEU国民でなく、学生ビザで滞在している、ということがすっかり抜け落ちているようだった。ビザはとりあえず今年の10月末まであるから、問題なし。2月の中旬に夏セメスターの登録を終了させないといけなかったので、万が一のことを考えて登録しておいた。

これが大正解。2月末になってようやく契約の話が具体的になり、3月中旬から8月まで学生のバイトとして契約をしてもらえることになった。私のスーパーバイザーが大量の書類(10枚以上)を持ってきてくれたけれど、

この書類、全部ドイツ語で書かれているんだけれど、あお、誰か助けてくれる人、いない?今週、僕、忙しいの。来週だったら聞いてくれていいけれど

と言われた。えー。そんなのあり?と思いながら、たまたまドイツで働いている日本人の人に会う機会があったので、彼女に手伝ってもらえたのと、別の研究室の秘書さんに聞きながら(彼女がほとんど記入してくれた・・・)契約書を埋めた。翌週、自分のところの秘書さんのところに持っていったら、1枚の書類を見ながら、

あら、この書類は教授があおさんに仕事内容を説明して、その上で教授とあおさんのサインが必要だわ。あとであおさんのオフィスに行くように教授に伝えておくわ

と言われ、その日の午後、おとなしくオフィスで待っていたけれど、案の定教授は来なかった。そして、先日。

あおさん、はい、これ。契約書のコピーね

と秘書さんが契約済みの書類のコピー渡してくれた。ちなみに、教授と私のサインが必要な書類に私はサインをしていない。

さて、ここの研究室でもらえるお金はおそらく500ユーロ弱。最初は550ユーロって聞いていたのに。学生ビザで働ける時間はもう少しあるはず。と言うわけで、前にバイトをさせてもらっていた教授に直談判してみた。「もし可能だったら、10時間か20時間ほど、働かせてもらえないかしら」と。教授の返事は、「うーん。今ね、Ph.Dの学生はみんな自分でバイトさんを抱えているから、必要かどうかわからないけれど、来週のミーティングで議題に出してみるよ。とりあえずあおは経験があるから、その点に関しては他の候補者よりは優先されるし」と言われた。その後、その教授とは会っていないけれど、そこのPh.Dの学生が、

またあおと一緒に働けるよ

と言ってくれたので、多分、何時間かそこでバイトをさせてもらえるのではないかと思う。私の皮算用では、最大で1ヶ月に稼げるお金が600ユーロ弱とみた。かなりぎりぎりのライン・・・まぁ、0よりはいいか。ベビーシッターもたまにはあるかもしれないし。

これで、私のドイツ滞在は8月(帰国は9月かな)までとなった。いやー。当初は2年計画だったのに、無職生活3年が決定しました。
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引越し

2007-03-24 07:24:12 | Weblog
お世話になっていた同居人が日本で就職先を見つけたため、私も引っ越すこととなった。彼の帰国は去年の夏くらいからほぼ決まっていたので、とりわけあせることもなかった。

2月くらいになって部屋を探し始めた。できたら家具付で。2月の下旬までに友達伝いに2部屋見つかった。1部屋は家具付、でも学校からは遠い。もう1部屋は家具なし、でも学校からは近い(電車には乗らないといけないけれど)。

結局、家具付の部屋にした。2人でキッチンやシャワーをシェアだったし、部屋もとてもきれいだったから。もう1部屋は4人でシェア、いずれも学生、ということでちょっと大変かな、とも思ったし。

今回の引越しには車が必要だった。もちろん、電車で荷物を運ぶのもありだったけれど、全部は無理。車を持っている友達なんていないよ・・・と思っていたけれど、最近知り合った日本人が気軽にOKしてくれた。彼に、「車にダンボール、何箱くらい乗りますか?」と事前に聞いたところ、「4箱かな」という返事をもらった。

そっか。意外に乗らないものね、と思い、彼に、「2往復とか3往復するのは・・・きついですよね?」と聞いたら、やっぱり「きつい」と即答された。えーーん。どうしよう。

そこで気づいたのが、前、BBQをしたときに車を出してくれた研究室のロシア人。彼は、前回(9月)に私が部屋を探したときも親身になって探してくれ、今回も「私、また引っ越さないといけないの」といったら「部屋探すの手伝う?」と聞いてくれた(結局手伝ってもらわなかったけれど)。

「部屋、見つかったの」というメールと一緒に「もしよかったら手伝ってもらえないかしら」とそのロシア人に聞いてみた。「言ってくれればもちろん手伝うよ」と返事が戻ってきた。これで、車、2台出してもらえることになった。ほっ。

引越し当日。私の段ボール箱は大小あわせて8個ほど+スーツケース+ボストンバッグ+棚+その他もろもろとなった。最初に日本人の人の車に乗せさせてもらった。

え。こんなに入るの?残りは棚とその他もろもろくらいじゃない

ってことになってしまった。私は研究室の人の車に乗せてもらって新しい部屋に行ったけれど、道中、彼が、

車、本当に2台必要だったの?

と聞いてきた・・・そうだよね、そう思うよね。私も思っていたし。

が、新しい部屋について荷物を運び入れるとき、結構な荷物が出てきて、研究室の彼が「あぁ、あおが2台必要だ、って思ったわけが分かったよ」といわれた。ほっ。怒られなくて良かった。

日本人の人と「ダンボール4箱」の謎について話した。私は「ゆうパック大」のダンボール4箱だと思ったけれど、彼は、「ゆうパック大」のダンボール約2箱分をダンボール1箱とカウントしたらしい。ミスコミュニケーションだった。

しかし、男性の力って、やっぱりすごいな、と思った。私が「重い!!」と持ち上げられないスーツケース(推定約20kg)を片手に、ダンボール小を2つくらい同時に持ててしまう。おかげであっという間に引越しが終わった。

後日、研究室のロシア人と話をした。「もう荷解きは全部終わったの?」から始まり、「あおさ、すごい上手にパッキングしてあったよね。箱から物が飛び出ていなかったもん」「ダンボール、全部日本のだったね」などとコメントをもらった。なんとなく恥ずかしかった。

とりあえず、新しい部屋で快適な1週間を過ごしている。
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1人部屋

2007-03-02 22:30:35 | Weblog
私のオフィスは机は3つあるのに1人で使っている。私のところの教授は、「3人以上常時人がいるのは研究の環境としてよくない」という方針。私のオフィスはたまに来るゲストが何週間か使うくらい。気楽でいい反面、研究室の人とのコミュニケーションに欠ける。

前回の研究室のミーティング(ドイツ語)で、「新しいディプロマの学生が2人やってくる」というような話題になった(と思う)。突然、英語で「あおの部屋は空いている机あるの?」と聞かれた。ぼーっとしていて話についていけず、何回か聞きなおした(相当簡単な英語だから、相手も表現を変える、ということが無理だった)。

「2つ、空いてますよ」と答えた。誰か、来るのかな、と思っていたら、

あ、僕のところも空いてますよ

と余計なことを言う人が…(でも、彼のところ、すでに2人いるような気がしないでもない)

そのディプロマの学生2人が何の研究をするのかは知らないけれど、結局私のところには来ないことになった。なぜ??
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