徒然留学日記

30にしてドイツ留学を思い立ち、その後結婚。日々経験したこと、感じたことをつづっています

レストランでランチ

2011-04-30 00:41:17 | Weblog
大学のキャンパス内に

市内でもっとも良い(そして高い)レストラン

の1つ、と言われているレストランがある。そのレストランは今はミシュランの星1つだけれど、かつては2つついたこともあるという。私はもちろん行ったことはなかったけれど、そのレストランが大学関係者を優待割引する、という日があったので、研究室の同僚と行ってきた。お値段は

15ユーロ

と、表参道で働いていたときのランチよりも若干高め。どんな料理を食べられるのだろう、とわくわくしながら当日を迎えた。レストランに行ってみると、3,40名ほど集まっていた(そしてタイアップしていると思われるビール醸造所のビールが振る舞われていた)。

ポスドクも私も3コース、と勝手に想像していたけれど、実際は

メインミールだけ

だったのでちょっとがっかり。でもやっぱりおいしかった。
食べたのは、ビールで煮込んだ豚肉と、ニンジンとクヌーデル。1皿だけだったし、クヌーデルは思っていたよりも小さかったので、空腹だった私は『足りるかしら…』と心配したけれど、やっぱりお腹一杯になった。

食後、コーヒーのオーダーを聞きに来たけれど、コーヒーは有料だった。私はポスドクにカプチーノをおごってもらった。


さて、このレストランは1700年代にとある公爵が住んでいた建物を利用している。この公爵は市内に別のお城を建て、さらに、3軒目のお城を建て始め、完成を見ずに亡くなったらしい。

レストランとして利用される前は、

学食

としてその建物を使っていたらしい。なんてぜいたくな…

レストランは何年か前に数百万をかけてリフォームをしたらしいけれど、レストランは大学の付属物なので、大学の予算からリフォーム代を出したので、ものすごく大きな議論があったらしい。そう思うと、年に何回か、大学関係者を優待するのは当然かも。

レストランの内装は、バロック様式で、柱や彫刻、シャンデリアなど、とても素敵だった。壁にろうそくが置いてあり、それを実際に使っているようで、ろうそくの上側の壁はすすけていて、私はそれも素敵だと思ったけれど、一緒に行ったドイツ人たちには不評だった。

内装はバロック様式だけれど、テーブルとイスはとてもモダンだった。皮張りのテーブルとイス(黒)で、ソファーは赤だったけれど、まぁ、居心地はいいし、ありかな、という感じ。

ランチに15ユーロはちょっと高いけれど、年に1~2回くらいならまた行きたいと思う。


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引っ越しをする-契約編

2011-04-29 00:23:58 | 2人暮らし
今回のアパート入居に当たっては、きちんと契約をした。個人で契約をする人たちを手伝う機関のようなものがあるらしく、新しい大家さんはそこから『普通の契約書』をもらってきた。

結構興味深かった。

10月から4月までは室温を20度以上に保つ、とか、5(10)年に1回壁(ドア)を塗るとか、夜9時以降は家の玄関のカギをかける、とか。

私はいつまでドイツに住むか分からないので、契約者としてサインをするつもりはなかったけれど、ソクチくんが『一緒にサインしようよ』というので、サインをしてしまった。

私たちの大家さんは良心的な人で、通常家賃の3か月分の保証金を2カ月分にしてくれたり、『あれしてもいいですか、これしてもいいですか』と聞くとたいていOKを出してくれる。彼らは庭があるけれど、あまり使っていないようで、

使いたければ使っていいよ

と言ってくれる。まだ何も決めていないけれど、おそらくは

食べられるもの

を植えると思う。私はあまりガーデニングは好きではないけれど、ソクチくんが何とかしてくれることを期待している。


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引っ越しをする-退去を伝える編

2011-04-28 02:17:14 | 2人暮らし
ドイツでは通常、アパートを退去する丸3か月前にオーナーに退去することを伝えなくてはいけない。が、私は特に契約をしていなかったし、常々『退去は次の学生を見つけやすい3月か8月か9月にしてね』と言われていたので、同居人(大家さん)にはアパートが見つかってから退去することを伝えることにしていた。

アパートが見つかったのは2月下旬。入居は4月なので、3月いっぱいまでその部屋に住めば、退去まで1ヶ月以上あるし、私にも好都合、と思っていた。

が、大家さんに伝えたら、

3月分の家賃を支払ってもらうけど、15日に出て行ってね

と言われた。あり得ない。全力で抗議するも、『法律に書かれているし、今までの子はみんなそうして言ったわよ』と言われるし、迫力に押されて負けてしまう、と思った私は、ソクチくんと研究室の同僚に相談し、彼女の言うことはもちろん違法であることを知り、ソクチくんに直接彼女と話してもらうことにした。

ある日の夕方、ドイツ人が退去の件で話に来る、と大家さんに伝えたところ、態度が一変し、『15日分までの家賃でいいから、15日に出て行って』と言われた。私は単なる質問として、『じゃあ、4月15日分まで家賃を支払ったら3月いっぱいまで居ていい?』と聞いたら、『いいよ』と答えた。

一晩考えた末、やっぱり住まないのに家賃を支払うのはばかばかしい、と思い、大家さんに『3月15日分まで支払って、3月15日に出て行く』と伝えたら、大家さんは『4月15日分まで家賃を支払って3月いっぱいで出て行く』と思っていたので、カチンと来たようで、『今度の火曜日に次の人の募集をかけるから、いつ見学に来てもいいように部屋を片付けておいてね』と言ってきた。

大家さんも、ドイツで生活するのに同居人が必要なのは私も理解しているので、『わかった。でも、見学する人が来るときは前もって教えて』と言ったら、

私を信用できないの?

と言ってきた。『いや、信用しているけど、私の部屋、鍵がないし』と言ったら、『家族には必要ない』と言われ、さらに、

3月分の家賃いらないから2月いっぱいで出て行け!

と言われた。その日は25日くらい。2月いっぱいで荷物をまとめて出て行くのは物理的に無理でしょう…

その後、落ち着いた大家さんと話をし、結局、

家賃は15日まで、退去は15日、見学者は16日以降にやってくる

ということになった。
とても常識的な決定だと思うけれど、ここにたどり着くまでにとても大変な思いをした。





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引っ越しをする-フラット探し編

2011-04-27 00:05:53 | 2人暮らし
ソクチくんと同居することになり、フラットを探すことになった。最初は、新聞の情報を見てオーナー、または不動産屋に連絡する、ということを考えていたけれど、あまり効率よくないし、

客寄せ物件(しかも実在しないらしい)を載せている不動産屋

があることを知り、私たちは逆に、新聞に広告を出すことにした。2紙に掲載され、6行ほどで60ユーロ位でそれほど高くない。私たちは電話番号とメールアドレスを載せた。

週末に最初の広告が掲載された。どのくらいの反応があるのか、全く見当がつかなかったけれど、メールで5,6件、電話で2,3件あれば上出来ではないか、と思っていた。

が、実際は、

メールは1件のみ、電話は10数件

だった(2紙合計では、メールは1件、電話は40件弱)。私ならメールのやり取りのほうが楽だし、便利、と思うけれど、貸したい人は早く確実に借りる人を見つけたいから電話なのだろうか。

私たちの広告には、私たちの職業、借りたいフラットの大きさ、家賃、場所を記入したけれど、場所に関しては

市外のフラット

を貸したい人からも連絡があった。さすがに市外はないでしょう…

私たちは連絡をいただいたフラットのうち、3件のフラットが私たちにちょうどよさそうだったので、見せてもらいに行ってきた。広告が出たのが土曜日、見学に行ったのは

その週の日曜日と月曜日

という素早さ。

1件目はUバーンの駅からそこそこ近いし、ソクチくんの職場にもUバーンで30分弱だし、私の大学にも同じくらいの時間で行ける。フラット自体はちょっと狭いけれど、全部の部屋に窓があるし、テラスはあるし、何と言っても明るい。私もソクチくんも結構気に行った。

2件目は、1件目のフラットの隣村のフラット。とても広く、ソクチくんはここも気に行ったけれど、難点はUバーンの駅から遠いこと。私の大学へはすぐそばのバス停から1本で行けるから問題ないけれど、ソクチくんはUバーンの駅まで1キロほど歩かないといけない。

3件目は、Sバーンのすぐそばの屋根のすぐ下のフラット。広いけれど、屋根が斜めなので、ソクチくんにはちょっと不便だし、床がカーペットなのがいまいち。

ということで、私たちは1件目の物件に決定した。1件目のオーナーに連絡したのが月曜日の夜。予想外に早く決まってびっくり。

ちなみに、私が外国人ということで、断られるかな、と心配していたけれど、そんなことはなく、特に3件目のオーナーは私たちにぜひ入ってもらいたい、とのことだった。


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イースター

2011-04-26 00:25:48 | Weblog
今年はイースターが4月下旬と、いつもよりも遅かった。2月、3月と祭日がなかったので、本当に待ちに待った祭日。私の研究室では木曜日から人が減り始め、金曜のお昼過ぎには遠方に実家のあるドイツ人はほぼいなくなった。

ドイツに住んで7年目になるけれど、今回、初めて

Karfreitag(聖金曜日)には音を出すことも、ディスコも禁止されている

ということを知った。

キリストが十字架にかけられた日を悲しむために、静かに過ごすことになっているらしい(でもイースター休暇中の旅行はOK)。

普段の日曜日でも洗濯はダメ(隣近所の住人によってはOKなこともある)、金槌の音もダメ、店は開かない(最近は州によって毎週OKだったり、3カ月に1回OKだったりする)とか、いろいろと制限が多いドイツだけれど、まさかここまでとは、という感じ。

さらに、イースターを象徴するウサギと卵。今年、『イースターバニーが12個卵を産んで、そのうち3つは庭のイスの下…』という文章を見つけた。

ウサギって卵を産むの?

と思い、ソクチくんに聞いてみた。
『うーん。それはまだ

議論中

なんだよね』とのことだった。ソクチくんによると、いくつか説があり、
・イースターバニーは特別なウサギで色つきの卵を産む
・イースターバニーが鶏から卵を取り、色をつける(卵を盗むの?)
・イースターバニーと鶏には特別な契約があり、色つきの卵を鶏から譲ってもらう
などだった。
まぁ、こんなことに難癖をつける私も大人げないとは思うけれど、面白い。


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国際カップルの壁

2011-04-15 00:00:54 | Weblog

クラスメイトだった仏教の女性とイスラム教の男性は付き合ってかれこれ6年を超えた。彼女は予定通り2年でドイツを去り、その後はずっと遠距離恋愛が続いている。年に何度か彼は彼女に会いに行っているし、電話は頻繁にしているようだし、結婚は時間の問題だと思われていた。が、

宗教の壁

を超えられないらしい。イスラム教の彼が結婚できるのは、同じ神を信仰している人(イスラム教、ユダヤ教、クリスチャンなど)だけらしく、仏教徒とは結婚できないらしい。

ドイツにいたときは、彼女は『改宗をする』と言っていたけれど、母国に帰り、考えが変わったらしい。

別の友達カップルは、女性がクリスチャン、男性がヒンドゥー教。こちらはどちらも改宗することなく(うまくすり抜ける方法があるらしい)、結婚に向かっている。

が、彼らはいずれ生まれるであろう2人の子供の宗教を心配している。ベストなのは、彼ら2人がそれぞれ自分のバックグラウンドを子供に伝え、子供が18歳になったときに自分で宗教を選ぶこと、らしい。

私はどうだろうか。私は典型的な日本人で、特定の宗教を意識しているわけではないけれど、私の生活、思考はやっぱり

仏教と神道

に影響されている部分がとても多いと思う。例えば今後、改宗する必要が出てきたとして、私はその宗教を信仰できるだろうか、と考えると、根本的には無理かも、と思う。やっぱり、無意識のうちに仏教と神道に影響されると思う。

そう考えると、仏教徒で結婚のために改宗を求められている彼女が改宗をためらうのも納得がいく。
彼女たちが彼女たちらしい結論を見つけるといいな、と思う。

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東日本大震災について-その4

2011-04-02 00:22:07 | 日本
インターネットが発達している現在、ドイツと日本で情報の差、というのは、(重大なこと・ドイツに影響を与えそうなことに関しては)量的にも時間的にもほとんどないと思う。

プルトニウムが土壌から検出された、というニュースを日本語で読んだ1時間後に出会ったドイツ人の友達もそのニュースを知っていたし、東電が何度か計算間違いを短時間で繰り返したときは、私よりも早くそのニュースを知っていた。

そういうドイツに影響を与えそうなニュースがすぐに伝わるのはもちろんだけれど、『え、これも伝わっちゃうの?』と思うようなことも半日~1日後くらいに伝わることが多い。

例えば、とある大臣が東京都の消防隊員に恫喝したとか。ドイツ人の同僚に『その大臣が消防隊員を解雇できるの?』と聞かれた。恥ずかしい・・・
ただ、石原都知事が官邸に抗議に行った、というところは同僚が読み落としたのか、伝えられていなかったのか、彼は知らなかったので、私が付け加えておいた。

また、ある日の朝のラジオのニュースでは、福島第一原発に残っている作業員の方が既に信じられないくらいの過労な上、1日に2食の簡単な食事と1.5リットルの水しか口にしていないことが放送されていた。

最近は原発事故がトップニュースでないとは言え、毎日報道されている。早く明るいニュースを聞きたいものです。


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東日本大震災について-その3

2011-04-01 00:03:32 | 日本
原発事故後、同僚や友達と原発事故について話すことが多くなり、そこで感じるのが、彼らと関東周辺に住んでいる私の友達の反応の違い。ヨーロッパに住んでいる人たちのほうが今回の原発事故に対して反応が大きいように思うし、ドイツに住んでいる日本人の友達も同じことを言っていた。

ヨーロッパではチェルノブイリの記憶が生々しい(ドイツで野生のキノコを食べられるようになったのはここ数年の話らしい)せいか、原発事故の話になると必ずチェルノブイリと比較されたけれど、日本の友達は、『チェルノブイリまでにはならないから大丈夫だよ』と言っていた。


先週、研究室の気象観測所で放射性物質が観測された。もちろん、人体には影響のないレベルだけれど、原発事故直後、海外のどこかの研究所が発表した『放射性物質拡散予測』でドイツに到達するとされた日と一致。気象の研究ってこういうところでも役に立つのね、と思った。

この予測図はドイツの一般的なニュースのサイトで見つけた。私は日本のサイトを探したわけではないので見逃しただけかもしれないけれど、事故後、毎日ニュースチェックをしているにもかかわらず、私は日本のサイトでこういう放射性物質拡散予測図を見たことがない。

ドイツメディアがただ過剰反応していて私があおられているだけなのか、日本メディアが事実を過小評価しているのか、正直、私には判断が付かないけれど、何ヶ月か後には『あの時は私があおられていたのね』と思えるといいな、と思う。


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