徒然留学日記

30にしてドイツ留学を思い立ち、その後結婚。日々経験したこと、感じたことをつづっています

Ph.D合格

2009-04-28 04:49:09 | 勉強
去年の12月の時点でほぼ決定していたかのようだった私のPh.D。あれから4カ月してやっと合格通知が届いた。1月に学部の会議があったので、それに間に合うように申請すれば滞在許可更新の時に間に合う。

と思い、1月にドイツに戻ってきてから履歴書を書いたり、ドクター論文の概要を書いたり、準備を進めていた。

そんなある日、秘書さんがやってきて、

教授がね、あおさんの成績を心配しているんだけど…

と言い出した。自慢ではないが私のドイツでの成績は良くない。私のプログラムでは、成績は、

A: very good、B: good、C: avarage、D: poor

で、BとCは+と-、Aは-、Dは+がつくことがある。GPAを算出するときはA=4.0、A-=3.7、B+=3.3、B=3.0、…、D=1.0となっていて、私のGPAは2.6だった。B=3.0だから、goodよりも低い。さらには、B-=2.7だから、B-よりも低い。

私の大学でPh.Dを申請するときは、

Goodかそれ以上

が要求される。
教授がこれを心配した。まぁ、修論でAをくれなかったからね…でも、私の成績表を確認したら、

Good

と書かれていたので、『一応Goodって書いてあるし』ということで2月半ばに私の研究室を管轄している

自然科学部

に申請した。
ちょうど同じ時期(私より1週間ほど早く)、同じオフィスのオーストリア人が

2009年夏セメスターにPh.Dを取る

ということで、Ph.Dの申請をした。
そうしたら、1月の次の学部の会議は4月だ、と言っていたにもかかわらず、申請から約1か月後、

彼に合格通知が届いた

それから1週間たっても2週間たっても私には合格通知が来ず、心配になっていたある日、友達が、

あおは学位(学士・修士)が農学だから農学部に申請しないといけないんだよ

と言い出した。農学部のPh.Dに申請し、農学部の教授に主査になってもらい、私の教授が副査になり、私の研究室で研究をし、農学の博士号を取るのがルールだ、と。

そ、そうなの?
不安になり、オーストリア人に相談してみた。彼は、『もし、農学部でなければだめならそう言ってくるから、それまで待ってみたら』とアドバイスくれたので、とりあえず、4月いっぱいは待つことにした。

そうしたら、

自然科学部から合格通知、届いた

よかった。



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Dragon of doom-ルパン三世シリーズ

2009-04-26 15:43:12 | DVD・本
ドイツでもルパン三世作品が売られている。私が知っているのはTVスペシャル5作品+カリオストロの城。どれも大体20ユーロ前後する。

私は昔からルパン三世が大好きで、若いころはルパン三世が理想の男性だったし、金曜ロードショウでルパン三世が放送されると、その日は遊ぶ約束をせずに帰宅し、ルパン三世を見た。

ドイツでルパン三世シリーズを見つけた時、どれを買おうか迷った。全部ほしいけれど、全部見たことあるし、全部買う金銭的余裕はない。

というわけで、1ヶ月くらい迷った末、買ったのは、五ェ門が活躍する

Dragon of doom (燃えよ斬鉄剣)

山田康雄さんがルパン三世を演じた最後の作品。

五ェ門がルパン三世と対立したり、いつもクールな五ェ門がちょっと熱くなったり、不二子がいつもよりさらに色っぽかったりする作品。最後は少し切なかった。

このDVD、音声も字幕もドイツ語あり、せっかくなので、ドイツ語でも見てみた。

意外に意訳されている

ところが多かったし、微妙に違っている(ストーリーには影響なし)ところもあった。

ドイツでルパン三世がどのくらい人気があるのか知らないけれど、5作品もDVD化ってすごいな、と思う。カリオストロの城はスタジオジブリ作品なので、別枠(スタジオジブリ作品はドイツでも人気がある)。

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学会参加の申し込み

2009-04-25 02:54:00 | 勉強
ある日、ライダーチームのリーダーのポスドクから私と、最近Ph.Dを取った人あてにメールが届いた。『○○学会の出張申請をし、その後、申し込みを

明後日までに

するように』と。
その学会が5月にある、ということは知っていたけれど、実際、何日から何日まで、というのは知らなかったし、まさか自分が行くことになるとは思ってもいなく、面食らった。CCで教授と秘書さんが入っていたので、教授から『あおは行かなくていいよ』というメールが来ることを期待して翌日まで待ってみたけれど、誰からの何のアクションもなかった。

出張申請の用紙がどこにあるのか分からなかったので、ポスドクから一緒にメールが届いたインド人に聞きに行ったら、彼が全部記入してプリントアウトしてくれた。そして、『あお、

ホテルは予約してあるんだよね?

この紙、持っているよね?』と、私にホテルのコンファメーションシートを見せてくれた。…そんな話は聞いたことないんですけど。というか、ホテルが私の分も予約されている、って聞いていたらもっと前から心づもりができていたと思うんですけど。

参加費を銀行振り込みにしないといけなかったけれど、学生と一般で料金が違う。私はまだ学生ではないので、ポスドクに確認しに行ったついでにホテルの件も聞いてみた。

ホテルは秘書さんがまとめて取ってくれてあるよ

どうやら秘書さんが

2ヶ月くらい前

に予約してくれてあるらしい。
名前入れずに、ホテルの部屋だけ押さえたの?そして、直前になってまだ何部屋か空いていたから『あおを行かせよう』って話になったの?


日本で学生をしていたとき、私は夏に山で観測をしていた。1人では測器の運搬や観測が厳しいので、教授や研究室の先輩後輩に手伝っていてもらった。観測の度、何泊かは民宿に泊まった。

教授は1人部屋利用(民宿の人の気遣い)

で残りは男女別。
たいてい女性は私1人だった。そんなとき、先輩の1人が、

だから女性で観測は…

というような事を言った。要は、女性が混ざると

もう1部屋余分に押さえる=お金がかかる

ということだった。

学会に関しても、発表する人は研究室から交通費が出るけれど、発表しない人は自腹だった。参加費はどうだったかなぁ。

一方、ドイツでは(私の研究室では)。もちろん

ホテルは全員シングルルーム

だし、発表するしないにかかわらず

参加費、ホテル代は研究室

が出してくれる。さらには、おそらく

食事手当

もつく。本当、会社の出張みたい(さすがに学生には日当は付かないが)。こういうところでも、ドイツと日本では学生の扱いが違うなぁ、と感じる。

以前、1週間ほどDLRへ行った時、ホテル代を立て替えたので、それを精算してもらおうと、書類を出したら、

100ユーロ位多く

戻ってきて面食らった。よくよく話を聞いてみたら、食事手当だったらしい。あぁ、結構精算しなかった出張、あったなぁ、と今更振り返ってみる。


今回、参加費とホテル代を自分で立て替えをすることになり、私の懐具合を心配したポスドクが、

秘書さんに仮払いお願いしたら?

と。私が、『いや、大丈夫ですよ』と言ったら、

全部で500ユーロ位立て替えることになるから、80%でも仮払いしておいたほうがいいと思うよ

と。
私、日本でもそうだったけれど、事務手続きって面倒で、1回で済ませたいと思ってしまう。少額だったら申請しなかったこともある。ましてや、仮払いなんて、後の精算が面倒な気がして無理。というか、そもそも一時的に500ユーロ位口座からなくなっても大丈夫ですってば。

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研究室のチーム分け

2009-04-23 02:30:28 | 勉強
私の研究室は4つのチームに分かれている。そのうち、2つのチームはそれぞれ別の教授が率いていて、私の研究とは全く関係なく、直接話をしたことも数えるくらいしかない。

残りの2つのチームはそれぞれポスドクがリーダー。1つはモデリングチーム。もう1つはライダー(Lider:light detection and ranging )チーム。

どちらも私の研究とは違っている。使っているデータからすると、モデリングチームの使っているデータを多く使っている。しかも、修士論文の英語チェックをしてくれたのはモデリングチームのリーダーのポスドク。でも、私はモデリングはしないし、興味ない。

研究室のウェブサイトを見ると、私は

ライダーチーム

になっていた。
が、ライダーチームの多くはトレーラーで仕事をしているけれど、私はそのトレーラーがどこにあるのかも知らない。さらには、ライダーを触ったこともなければ、ライダーデータを扱ったこともない。でも、投稿論文の時からしっかりと面倒を見てくれて、バイト契約でも研究の面でもいろいろとアドバイスをくれ、私が頼っているのはライダーチームのリーダーのポスドク。

と、とても中途半端な位置づけだった。そもそも私は、『衛星データを使いたい』と言ってこの研究室に来たのに、

衛星データを使っている人はいない

という時点で何か間違っている気がしないでもない。

ある日、教授がチームリーダーに出したメール(物品発注に関するルールなので、チームメンバーも知っておく必要がある)が

ライダーチームのリーダー

から届いた。ようやく、

私はやっぱりライダーチームなんだ

と再確認。ライダーチームのリーダーのポスドクのほうが面倒見がいいし、信頼できるので、研究が両方とも関係ないのなら、ライダーチームのほうがいいので、このチーム分けは満足。

でも、リーダーの面倒見がよすぎるせいか、研究室の半分弱くらいがライダーチームになっていた。確かに、私みたいに「研究上はほぼ関係」な人まで面倒みることになると、人数はどこまでも増えてしまうんだろうな。
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不況と駐在とシッター

2009-04-21 03:07:02 | Weblog
いまだにベビーシッターを続けている。かれこれシッターを始めて3年がたとうとしている。子供が得意でなかった私もずいぶんなれたものだ。

不況の影響で、昨年末から年始にかけて何家族か帰国された。中には予定を早めて、と言う人もいた。なので私は、『子供の数も減り、シッターの依頼も減るかな』と思っていたけれど、

新たに赴任してくる人も多い

しかも、子供たちの年齢がちょっと大きめ(5、6歳)だったり、兄弟がいたりする。私の予想では、

お父さんの年齢が今までの駐在さんよりも少し上

なのではないかと。つまり、2~3人帰国させて1~2人赴任させている、のではないかと思っている(私には何の関係もないけれど)。

とりあえず、この不況にもかかわらずシッターの仕事があるのはありがたい。大学のほうも忙しくなってきたので、いつまでシッターを続けるか分からないけれど、とりあえずゼロでないのはありがたい。
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中華料理レストランのメニュー

2009-04-20 00:35:00 | Weblog
あまり外食することはないけれど、先日、久しぶりに中華レストランに入った。友達が、『前に来た時にお客さんが食べていたあんかけ焼きそばがおいしそうだった』というので、メニューで探した。

友達が麺類のページを見つけたけれど、そこに書かれているのは普通の焼きそばっぽい。私は『あんかけ焼きそば』と言えば、『かた焼きそば』だと思ったので、さらにメニューのページをめくってみた。そうしたら、

再び麺類のページが

そこに『Crisp noodle』とあり、さらに『with sause』とあり、このソースがあんかけに違いない、と確信し、海鮮かた焼きそばをオーダー。と、私が春巻きを好きなので、『前菜』のページにあった春巻きをオーダー。

春巻きには16番と番号が振られていたけれど、かた焼きそばは

C10

と突然『C』が現れていた。この違いはなんだろう、と思い、オーダーした後、再びメニューを見始めた。

メニューが2つにわかれていることを発見

した。豚肉、牛肉、海鮮カテゴリーなどは前半部分にも後半部分にもあったけれど、ラーメンは後半部分にしかない。友達が、『これって、もしかして

前半がドイツ人向け、後半が中国人向け

なんじゃない?』と言い出した。私は知らなかったけれど、中華料理店の多くはメニューが2種類あって、中国人には中国人向けのメニューがあるらしい。友達は、この後半のメニューが中国人向けのメニューなのではないか、と。

で、お店の人に聞いてみた。

ビンゴ

よくよく見てみたら、中国人向けのメニューの最初のページにそんなようなことが書かれていて、メニューに振られている番号についている『C』は中国人向けのメニューを示していた。

オーダーした海鮮かた焼きそば。

すごくおいしかった

私は日本で働いていたとき、かた焼きそばにはまっていた時期があり、気に入っているレストランに毎週のようにランチに通っていたけれど、先日食べたかた焼きそばは日本で食べたものよりもおいしかった。特に麺が。

友達と『さすが「C」メニューだね』と言い合った。
今後、中華料理レストランに行く時には、メニューを気をつけてみよう、と思った。ちなみに、当然ながら、デザートとドリンクはメニューは分かれていなかった。
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ライプチッヒ旅行-旅行への情熱

2009-04-19 17:09:19 | 旅行



今回一緒に旅行に行ったのは中国人の女の子。初めて日本人以外の人と少人数で泊まりの旅行をした。その結果、

自分を見つめなおすことができた

私は今まで、『旅行は一緒に行く人と過ごす時間が重要で、観光はガイドブックに載っているものを見られれば満足(旅行に対して淡白)』、と思っていたけれど、今回、

私って結構観光に積極的だわ

と思った。

中国人の友達は、

街をぶらぶらと歩いて面白そうなものを見ればいいんじゃない?

と言う人だったけれど、その彼女の意見に対し、私は、

押さえるべきものは押さえたい。そのうえでぶらぶらするのはOK

と感じた。なので私は、ガイドブックを見て、これとこれは見たい(見るべき)と主張したけれど、彼女はガイドブックは持っていないし、下調べもしていなかった(『ライプチッヒがドイツで2番目に大きい都市だから自転車に乗ろうよ』と主張したくらい)。

私は博物館、美術館にとりわけ興味があるわけではなく、ここでも、『有名どころだけ押さえられれば満足』なタイプだけれど、彼女は『芸術に興味があるから、美術館、博物館に行きたい』と主張。でも、どの美術館で何を見られるのか、という事前チェックは一切なし。

なので、私が見たい絵画をコレクションしている美術館(もちろん、有名どころ)に行ったりしたけれど、最終的に、

彼女がブチ切れてしまった

『自分ばかり譲っていて、あおは何も譲ってくれなかった』と。彼女は『ただ街をあおと一緒にぶらぶらして、面白そうなところに入ってみる』という旅行を期待していたけれど、私は『あの教会見に行こうよ!(彼女は『建築に興味がある』と言っていたけれど、教会には興味がないと後で判明)』『あの美術館に行こうよ!』と、主張しすぎた、らしい。さらには、『興味のある分野が違うから、別行動しようよ』と言ったこともNGだったらしい。

私も、自分がこんなに旅行に対して情熱があったなんて驚いた。

写真はライプチッヒ中央駅で見つけたイースター用と思われる飾り。
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ライプチッヒ旅行-イースターマルクト編

2009-04-18 17:53:14 | 旅行



ライプチッヒの旧市庁舎の前の広場にイースターのマルクトが立っていた。写真のマルクトの案内によると、マルクトが立つのは6日間だけ。それなのに、

金曜は閉まっていた

もちろん、金曜は祭日なので閉まっていてもおかしくないけれど、6日間しかないマルクトの期間で、閉めるんだ、と思った。日曜(12日)は開いていたけれど、月曜(13日)は未確認。でも、マルクト最終日だから開いていたんだろうな。

中世あたり(Histrische)をテーマにしていて、売り子さんたちの多くがそんな感じの衣装を着ている。そして、

売られているものはさまざま

中世っぽい衣装だったり、パワーストーン(私はここでローズクォーツを購入)、アクセサリ、ガラス製品などさまざま。もちろん、ソーセージやアイスクリームも売られていた。





写真の手前がイースターのマルクト、奥が旧市庁舎(戦争で破壊されたので、戦後再建)。旧市庁舎の建物がとても素敵で、何枚も写真を撮ってしまった。

どこの街のマルクトでもたいてい、子供用に小さなアトラクションが用意されているけれど、ライプチッヒでは、手動の小さい観覧車のほか、

登って遊べる小さな海賊船



パワーストーン探し

(サラサラの砂の中にいくつものパワーストーンがあり、スコップで砂とパワーストーンを茶漉しに入れてふるい、パワーストーンを取る)

があった。
小さいマルクトなので、見て回るのに時間はかからなかったけれど、イースターマルクトは初めて見たのでうれしかった。
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ライプチッヒ旅行-ドレスデン編

2009-04-17 00:55:01 | 旅行



旅行2日目はザクセン州の州都、ドレスデンへ。ライプチッヒからドレスデンまでは普通列車で1時間40分くらい。チケットはザクセン州内の普通列車の1日乗り放題チケットを購入した。1枚(30ユーロ)で5人まで有効ととてもお得。

ドレスデンもそれほど大きくない街なので、歩いた。本当はエルベ川を渡って新市街まで行きたかったけれど、友達がかなり疲れていて行けなかったのが残念。

写真はドレスデンのハイライトと思われるZwinger(ツヴィンガー宮殿)。この中庭に入るだけなら無料だけれど、いくつかの博物館があり、私たちはAlte Meister(アルテマイスター絵画館)に入った。

入場料10ユーロ

と、ドイツにしては高めかなぁ、と思う。
が、ギャラリーは3フロアあり、フェルメールやレンブラントなども展示されていて、見るものが多かった。

私はラファエロの『システィーナのマドンナ』は外せない、と思っていたので、見られて満足。ポストカードと天使の部分がしおりになったものを買って満足。

その後は街をふらふらと。




写真はFrauenkrche(フラウエン教会)。戦争で焼け落ち、長い間そのままになっていたけれど、再建された。この教会、中がとても豪華だった。

ドレスデン城のコレクションも見たかったけれど、友達が相当疲れていたので断念。外壁のマイセンタイルに描かれた壁画だけ見てきた。

ドレスデンは戦争で焼けてしまったけれど、再建されつつあり、とても素敵な街だった。

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ライプチッヒ旅行-ライプチッヒ編

2009-04-16 02:37:54 | 旅行



たまたまライプチッヒ出身の研究室の同僚がイースターに帰省していて、『もしよかったら案内してあげるよ』と言ってくれたので、初日、案内してもらった。

最初は徒歩で街をぐるっと案内してくれた。ライプチッヒは印刷で有名な街で、ドイツで発行されたすべての本が保管されている図書館があるらしい(ドイツにはそういう図書館が2つあり、もう1つはフランクフルトにある)。ライプチッヒで一番高いと思われる建物はCity-Building(142m)で、

本を広げた形

をイメージしている。

そのほか、ライプチッヒはPassageが有名らしく、いくつかPassageがあった。そのうちの1つは壁にかわいらしい絵が描かれていてとても印象的だった。そして、オペラハウスや教会などを外からざっくりとみて、市内ツアーは終了。小さい町なので、それほど時間もかからなかった。

教会はバッハゆかりのThomas churchと、月曜の平和集会が1989年の東西ドイツ統一のデモにつながったNikolai churchがある。写真はNikolai churchの内部。外観からは想像できないかわいらしさ。
同僚の話では、ゴルバチョフ元ソビエト連邦大統領が旧東ドイツに軍隊を送らないと決断したから、血を流さずにドイツ統一ができた、という。
1989年、ドイツが統一されたのは私の記憶にもあるし、当時、ゴルバチョフ元大統領がいたことも覚えている。でも、彼のそういう活躍は全く知らなかった。




その後、同僚が『これもライプチッヒの歴史の一部だから』と、車で街から少し離れたところにあるVoelkerschlachtdenkmal(写真)に連れて行ってくれた。

1813年の10月にライプチッヒ近くであった『国民の戦い(the Battle of the Nations)』の記念碑。

せっかくだから登ってみたけれど、街から離れているから、景色はそれほどきれいではなかったので残念。
登る方法は、階段かエレベータ。もちろん私たちは階段を選んだ。約500段。結構きつく、膝が笑った。


最終日、フライトまでに時間があったので再び街をふらふらし、Zeitgeschichtliches Forum Leipzig(現代史博物館)に入った。入場料無料の博物館だったけれど、とても興味深かった。

この博物館は主に第2次世界大戦から東西ドイツ時代、ドイツ統一までが順を追って物や写真、フィルムで展示されている。解説はすべてドイツ語だけれど、受付で英語翻訳を貸してもらえた。

ライプチッヒ大学の教会は今、再建されている(復元ではなく、大学生のデザイン)けれど、それが破壊された時の映像もあった。

Thomas church向かいのBach-Museum(バッハ博物館)はあいにく工事中で、1部屋分の展示(無料)しか見られず、残念だった。

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