徒然留学日記

30にしてドイツ留学を思い立ち、その後結婚。日々経験したこと、感じたことをつづっています

冬時間スタート

2006-10-30 04:13:44 | Weblog
この日曜(今日)から冬時間となった。時計の針を1時間戻すので、今日は1時間お得な日だった。日本との時差は8時間になった。

時計の針を1時間戻したので、当然夕方暗くなるのが早くなり、「冬がやってくるんだなぁ」と感じる。だんだん太陽のあたる時間が短くなるんだな・・・

今日が冬時間の初日なので、街はまだ夏時間を示している時計と、冬時間に直された時計とが混在していた。さすがに、電車の駅の時計は冬時間になっていたけれど(動いていない時計もあるが)。明日には全部直されるのでしょう。
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誕生日パーティ

2006-10-29 04:43:24 | Weblog
金曜日にドイツ人の誕生日パーティに行った。私は、彼と知り合ったのは約1ヶ月前のクラスメイトの誕生日パーティ、と思っていた。が、彼と話してみてびっくり。

約2年前から知っている

という。そうだっけ?と思いながら話を続けていたら、彼は2年前、髪の毛が腰まであったという。あぁ、そういう人、パーティで見たこと、あったかも(でも、やっぱり話した記憶はない)。

彼のパーティはパーティルームを借りていたけれど、それほどゲストが多くなく、いい感じだった。来た女性は美人ぞろい。彼の提案で5人くらいで

けまり

をした・・・単語はもちろん違うけれど、内容は「けまり」。でも、難しくて、結局全身を使ってボールで遊んだ。さらに、

Jenga

があり、Jengaでも遊んだ。私は、Jengaは知っていたけれど、遊んだのは初めてで、ドキドキしながら楽しんだ。1回、タワーを崩してしまった。Jengaは面白かったけれど、とても集中したので、疲れた。

いつもは12時くらいに私は引き上げるけれど、今回のパーティは楽しくて2時過ぎまでけまりを楽しんだ。私以外はみんなドイツ語を理解する人たちばかりだったけれど、英語で話してくれ、とても楽しかった。
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ドイツ人とロシア語

2006-10-28 01:49:09 | Weblog
ロシア人とドイツ人4人(ポスドク2人+Ph.D2人)と話をしていたときのこと。ロシア人が着ていたT-シャツにロシア語で文字が書いてあった。ロシア人が、「読めるよね?」とドイツ人に聞いた。一番若いドイツ人が

『バイカル湖』って書いてあるんでしょ、多分

と答えた。ロシア人が

多分??学校でロシア語、習ったでしょ

と突っ込んだ。若いドイツ人は、「習ってないよ。僕はスペイン語を取ったんだ」と答えた。驚いたのは残りのドイツ人3人。

え、必修じゃなかったの?君、若いんだね・・・

さらに、質問は続いた。

いつ、外国語を習い始めたの?

若いドイツ人は

92年かな

と答えた。みんないっせいに

やっぱり若いわ

とため息をついた。

後日、タンデムくんに、ドイツでは大体何歳くらいから外国語を勉強するのか聞いてみた。

11歳くらいかな

日本とそれほど変わらない時期から始めるのね。そして、あの若いPh.Dの学生は20代半ば、ってことか。

歴史的なことが関係あるのか、ドイツではロシア語が必修だった時期があることに驚いた。でも、みんな、英語もうまい・・・密かにずるい、と思っている。
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『さよなら』

2006-10-25 04:46:33 | Weblog
『さよなら』はなんとなく、「もう会えない」感じがする。小学生のときは毎日「先生、さようなら」をやっていたけれど・・・

外国人が良く知っている日本語は「コンニチハ」「ハラキリ」「カミカゼ」「サムライ」(このあたり、偏りが・・・)、そして「サヨナラ」など。別れの挨拶の日本語は「さようなら」で正しいのだけれど、多分、実際にはそれほど使われていないと思う。私の場合だったら、「ばいばい」「またね」をよく使う。「次の約束」がなくても当然また会う、という感じがする。

帰国するクラスメイトが私のところに来て「サヨナラ」と言った。英語では「またいつか、どこかで会えるよ」と言っていたけれど、「サヨナラ」がとても心に響いた。もう、二度と会うことがないような気になった。彼とはハグはしたことなかったけれど、何度も何度もハグをした。それでもしたりないくらいだった。

こういう風に感じるのは私だけなのかしら?
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チンゲン菜

2006-10-24 22:48:37 | 料理
ドイツでも売っていないことはないらしいのだけれど、売っているところを見たことのないチンゲン菜。夏に日本に帰国した人が種子を持ち込んだ(検疫の確認をしたところ「もちろん通ってない」と胸を張っていた・・・いいのか??)。

種をばら撒くわけでもないし、売るわけでもなく、自分たちで食べるために、学校のグリーンハウスの使っていない場所を借りて育てるだけなので、まぁいいか、というところに落ち着いた。

30日で育つ

というとおり、早々と芽が出た。が、やはり寒いのか、なかなか「食べよう」と思う大きさにはならなかった。しかし。とうとう収穫の日がやってきた。

とりあえず3株だけ収穫した。おいしそうに育った。

何の料理に使う、とかあまり考えていなかったので、そのほかの野菜とひき肉と炒めて食べた。・・・味付けが濃かったのか、チンゲン菜の味が少なかった。残念。

チンゲン菜のほかにも持ち込まれた野菜がまだある(虫に先を越されたのもある・・・)ので、楽しみ。
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卒業式-パーティ

2006-10-22 03:39:01 | Weblog
セレモニーが終わって、みんな徐々にパーティ会場へ移動し始めた。夜9時半くらい。会場に入ると既に音楽がなっていた。が、踊っている人はまばら。

そんな中、壁に写真が映し出されていた。

私たちの2年間の写真

だった。これはCD-ROMにして、インターナショナルのマスタープログラムの学生全員に配布された。写真は懐かしいものが多く(みんなが一緒に行動していたのは最初の半年くらい)、見入ってしまった。2004年の10月に行われたエクスカーション、授業でプレゼンすることがあったけれど、そのプレゼンしているときの写真、パーティの様子、などなど、本当にたくさんあった。

踊りながら、セレモニーで学位記を受け取った人に「いつまでいるのか」を聞きまくった。たいてい、2週間から1ヶ月くらいで帰国するようだった。

踊っていたら、クラスメイトの男の子の1人が、

あお、これで僕、帰るから。明日、帰国するんだ

と言いに来た。とても驚いた。私は「一時帰国」でまたすぐに戻ってくると思い、「いつ帰ってくるの?」と聞いた。

戻ってこないよ

私は、彼はPh.Dとしてドイツに残るものだとばかり思っていた。「またいつかどこかで会えるよ」と言い残して彼は帰っていった。E-mailでのやりとりは続くだろうけれど、実際会うことは難しいと思う。

どんどんさびしくなってしまう。
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卒業式-セレモニー

2006-10-21 17:53:34 | Weblog
金曜日に卒業式があった。農学のディプロマの学生と、マスターの学生を対象に。私のほかにも、3分の2の学生がまだ修論を書き終えていないけれど、この卒業式には問題なく参加できる(まったく関係のない人でも)。

卒業式は夕方6時からスタート。最初は10人くらいの男女混声合唱。アカペラで、きれいだった。

次は学長のお話。やっぱり長いですね。これは日本も変わらないかも。しかも、ドイツ語だったので、ところどころしか分からなかった。

そして、学部長の話。彼は英語でスピーチをした。面白かったのは、「私は3つのことに感謝したい」と始め、

1. まずは、あなたたちの両親。両親がいなければあなたたちはここにはいなかった

2. この大学で学ぶ、という幸運

3. お金

と言ったこと。確かに、お金の問題をいつも抱えている人は多かった。彼のスピーチはそこそこ長かったけれど、理解できたし、面白かったのでよかった。

そして、学位記(?)授与。卒業式当日までに修論を書いた人がステージで学長から授与してもらえる。卒業式当日に提出した人もいた。口頭試問も終了し、成績ももらっていると、学校のスタンプが押された学位記になり、さらに、成績証明も一緒にもらえる。

最後はまた男女混声合唱、で終了。

たまたまクラスで一番賢い人の隣に座ったので、彼の学位記を見せてもらった。

ほとんどA。たまにB+、で、GPA(Grade Point Average)は3.7(全部Aだと4.0)

人間ではないような。修論ももちろんA。彼は、修論はある世界的な食品メーカーで書き、そこで1年間の労働契約も勝ち取った。そして、何年か後には、自国にあるその食品メーカーで働きたい、という。なんて立派な人生計画なのでしょう。

卒業式終了後は、軽く飲食。サンドウィッチやタコスなどがあった。いろいろな宗教の人がいるので、食べ物には必ず「チキン」「ビーフ」と書かれていた。「ポーク」はなかった。

そして、セレモニーが終わり、パーティへ移動・・・
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エクセル

2006-10-19 16:13:16 | Weblog
先月末、クラスメートから突然電話がかかってきた。

大至急話をしたい

と。彼は私の仲のいいクラスメートの1人ではあるけれど、こんなに「緊急」の電話は初めてだった。その頃、私は、引越しやワークショップで忙しかったので、その日、話の内容を聞いて、会う日時をアレンジした。

彼は、私にエクセルの使い方を習いたい、と言った。どうやら、彼のスーパーバイザーが、彼に、「あおがエクセルを良く使える」と言ったらしい。私はエクセルのエキスパートではないけれど、多分、標準のオフィスワーカーよりは慣れていると思う。

後日、彼に会った。私は、「ピポットテーブルの作り方とか、教えればいいのだろう」くらいに思っていたのに、彼はまず、

彼のデータの説明

から始めた。「まぁ、いいや」と思って聞いていた。で、次に彼が言い出したのは、

こういうことを知りたいんだけど、どういう表を作ったらいいの?

えっと、そういうことを考えるのはあなたの仕事なのでは?私は、表を作る手伝いはできるけれど、考えることはできない、と彼に伝えた。

彼は、エクセル、というより、PCそのものを使ったことがほとんどなく、ピポットテーブルを作るのも一苦労だった。さらに、その表の読み方も分からず、私が1から説明した。2時間くらいで切り上げ、「また何かあったら連絡して」ということにした。

その後。また彼からヘルプメールが来た。今度はグラフの作り方を教えて欲しい、という。さらに、回帰直線も書きたい、と。今回は、彼のスーパーバイザーがアドバイスしたメモを持っていたので、どれとどれをグラフにしたいのか、分かったので、作り方を教えた。たった1つのグラフを作るのに、1時間半もかかった・・・でも、他にも同じようなグラフを作るようだったので、「後はできるよね」と言って私は立ち去った。

が、翌日の夕方、また手伝うことになった。今回は

「手伝う」というより私の分析か?

という感じだった。確かに、スーパーバイザーが、「これとこれを見て」とアドバイスしていたので、それに沿って表やグラフを作ったけれど、彼はあまり数字に強くないらしく、平均値を見ればいいのか、標準偏差を見ればいいのか、総数を見ればいいのか、ぴんと来ていないようだったので、私が一度彼に、「どれを見る?」と聞き、ちょっとずれているな、と思ったら、「これも加えよう」と言って、加えた。

彼は提出日まであと10日ほど、ということであせっていた。で、私が彼に、「私が表とか作ってもいいけれど、せっかくだから自分でやってみない?」と聞いたら、

もう時間がないから、あおがやったほうが早いからやって

と言われた。4時間かけて彼の修士論文の表とグラフ、ほとんど作った・・・自分の修論もままなっていないのに。こういう機会にエクセルの使い方とか、学べるのに、本当に私がやってしまってよかったのだろうか。
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新学期

2006-10-17 05:54:42 | Weblog
新学期が始まった。約2ヶ月間、夏休みで閑散としていたのが、一気に学生でごった返すようになった。

私の研究室が入っている建物にはいわゆる「大講義室」がいくつかある。そこで授業があったらしく、講義室に入りきれないくらいの学生が集まっていた。さらに、講義室の外には大学のサークルのような、何かの機関を紹介するようなブースがいくつも設置され、にぎやかだった。が、

昼過ぎには撤収されていた

講義も、午後はやっていないようだった。さすがドイツ。朝早く、夜も早い。

メンザ(学食)も、12時半くらいに行ったけれど、大繁盛だった。休み中は、研究室の人たち10人くらいで行っても、みんな同じテーブルに座れていたのに、今日は、2つに分かれた(最初は3つに分かれそうだった)。

今日は日中は日が差し、暖かかったので、外で日向ぼっこしている人も多く、「活気ある大学」という感じがした(ただ人が多いだけ?)。
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ジム延長

2006-10-16 03:32:11 | ジム・サウナ
去年から始めたジムの契約が10月上旬で終了となった。帰国するまで続けたいけれど、契約のタイプ(1年一括払い)が変わるので、8月くらいから受付スタッフに聞きまくっていた(人によって言うことが違うから)。私としては、もう、すぐにでも延長したかった。あるスタッフは、

支払い方法を変えるのなら、書類を書いてもらわないと

と言い、別のスタッフは、

10月に入ってからで十分だよ。支払い方法が変わるのも問題なし

と言っていた。結局、期限が切れる1週間前に受付に行った。

今日は土曜日で、事務関係の人、休みだから、平日に来て。電話でアポイントメントとってくれればいいから

と言われた。翌週、ジムにいけるかどうか分からなかったので、ジムから帰る前に、良く見かけるスタッフに話してみた。

あぁ、じゃぁ、今から更新しましょう

と言ってもらえた。さらに、「別のスタッフが担当するから」と言われ、待っていたら、

さっき、『来週来て』と言ったスタッフがやってきた・・・

さすがドイツ。

3ヶ月だけ延長したい、と伝えたところ、

うーん、本来は1年契約なのよね。でも、今回はOKにしてあげる。でも、次更新するときは1年じゃないとダメだからね

と言われた。結局、来年1月上旬まで。いったい自分がいつまでドイツにいるのか見当もつかないので、まぁ、妥当なところかな。

ちゃんと延長で来て良かった。
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