
プラハではカレル橋とプラハ城、ロレッタ教会、旧市街広場などを歩いて回った。地図で見ると「広いかな」と思ったけれど、実際はそれほど大きくなく、建物も素晴らしいものが多く、苦にならなかった。
カレル橋には多くのお店が出ているし、観光名所だし、で、すごいたくさんの人がいた。
プラハ城はあるガイドブックによると、「衛兵はイケメンぞろい」と書いてあったので期待満々で行った。もちろん、隣に並んで写真を撮ってきた。満足。衛兵の交代式は毎時あるそうだが、正午のものはファンファーレを伴うちょっと大きなもの、というのでそれも見てきた。写真はプラハ城にある聖ビート教会の塔から撮ったもの。階段は280数段あり、きつかったが、とてもきれいだった。
カフカが住んでいたことがある家がある「黄金の小路(お土産屋さん通り)」にも行ってきたが、どのお店も小さい。入り口も小さいし、部屋の中もかなり狭い。狭い所は苦手なので、通りを通るだけで終了。
プラハは2泊したが、賞味1日しか観光する時間がなく、大体こんな感じで終了。
春江一也さんの「プラハの春」を読んだことがありますか?事実を基にしたフィクションですが、実際に起こった「プラハの春」を知ることができます(春江さんはプラハの春のとき、大使館員としてプラハに滞在)。私は5年ほど前、仕事で春江さんご本人にお会いしたことがありますが、春江さんは「その後、プラハを訪れたことはない」と少し悲しそうな目でおっしゃっていました。
今は観光客でにぎわっているプラハですが、40年ほど前、たくさんの戦車がこの通りを埋め尽くしたのか、ヤン・パラフはここで自殺をしたのか、などと思うことが多かったプラハでした。
カレル橋には多くのお店が出ているし、観光名所だし、で、すごいたくさんの人がいた。
プラハ城はあるガイドブックによると、「衛兵はイケメンぞろい」と書いてあったので期待満々で行った。もちろん、隣に並んで写真を撮ってきた。満足。衛兵の交代式は毎時あるそうだが、正午のものはファンファーレを伴うちょっと大きなもの、というのでそれも見てきた。写真はプラハ城にある聖ビート教会の塔から撮ったもの。階段は280数段あり、きつかったが、とてもきれいだった。
カフカが住んでいたことがある家がある「黄金の小路(お土産屋さん通り)」にも行ってきたが、どのお店も小さい。入り口も小さいし、部屋の中もかなり狭い。狭い所は苦手なので、通りを通るだけで終了。
プラハは2泊したが、賞味1日しか観光する時間がなく、大体こんな感じで終了。
春江一也さんの「プラハの春」を読んだことがありますか?事実を基にしたフィクションですが、実際に起こった「プラハの春」を知ることができます(春江さんはプラハの春のとき、大使館員としてプラハに滞在)。私は5年ほど前、仕事で春江さんご本人にお会いしたことがありますが、春江さんは「その後、プラハを訪れたことはない」と少し悲しそうな目でおっしゃっていました。
今は観光客でにぎわっているプラハですが、40年ほど前、たくさんの戦車がこの通りを埋め尽くしたのか、ヤン・パラフはここで自殺をしたのか、などと思うことが多かったプラハでした。
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