退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「爆睡と歴史と現実」について

2015-11-23 02:07:48 | Weblog
『晴れ。今日もおだやか。

今宵もクインビー。

かけつけ三杯あたりで知り合いの夫婦が来る。
マスターの就職話はお預け。

わずかに残るボトルを空けてその後バーボン三杯。

なぜかいつもより酒が回る。
客は知り合いの夫婦のみだが楽しく話して帰宅。

楠原佑介「この地名が危ない」を古本屋で買って読む。』と書いて昨日は爆睡。

地名に残された「災害の爪痕」をしっかり覚えておこうと。
「歴史」についての「認識のあり方」についてあらためてふむふむ。

晴れ。またまたおだやか。

森炎・青島美幸「昭和に火をつけた男 青島幸男とその時代」を読む。

おそらく「年表」を見ながらだと思われる記述はいかにも「無味乾燥」。
「家族のあたたかさ」は感じられたものの。

晩年の植木等が言っていたように「お父さんに失礼」な内容。
残念ながら娘は「父親の姿」をきちんと「再現」できていないような。

当時の関係者が健在だったりするのだから
せめてその人たちの「証言」をもう少し取り入れてもらいたかったところ。

さて。

仕事関係で出かけたせいもあって「残念な叔母」と母親とで会食。
今日は以前と比べればまだマシだったか。

「残念ぶり」の「根の深さ」を思いつつ
「特定の環境」が人に与える影響の大きさについて考えさせられる。

帰宅後マル激を観る。

右も左も「沖縄の犠牲」によって成り立っていること。
さらにそこには現政権のあからさまな「差別感情」があるということ。

内地のマスコミが「選択の可能性」を国民に知らせていないことなど。
やはり「頭の悪さ」は「罪」なのだ。

そして自らの「どうでもいいもの」を「守る」ために
絶えずそれ以外の人々の「大切なもの」が奪われるという「構図」よ。

どうやら問題は「共通認識がどこにあるのか」というあたり。
いたずらな「価値判断」を下す前に「事実あるいは現実」を見据えたいもの。

見解の違いなどむしろどうでもよく。
ここでも「望ましい解決策」をいかに生み出すかという「健全な競争」がない。
コメント
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