退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『貧しさ』を放置することがもたらすものといかにもな『B級映画』」について

2023-02-08 02:38:13 | Weblog
くもり。あたたかい。

橋本治「浮上せよと活字は言う」を久方ぶりの再読。

「コックと泥棒、その妻と愛人」(’89)が懐かしいピーター・グリ-ナウェイ。
「プロスペローの本」(’91)を詳細に渉って読み解く冒頭に始まり。

結局のところ「商売」にしか興味がなかった人々の無責任さよ。
「好ましい作品を安価に届けること」もせず。

人々は「外見」にしか拘らず。
流行やファッションに身を委ねるのみ。

現在いたずらにスポーツ選手たちの優れた結果ばかりがニュースになるのは何故か。
曰く「他に何もないから」。

「廃墟」も「廃人=ゾンビ」も各地に溢れ。
辛うじて「字は読める」としてもその意味がわからない人々が増え。

「闇バイト」や「迷惑行為」をしないと「生きて行けない人々」がいることを忘れずに。
前者は経済的あるいは人間関系資本、後者は楽しさにそれぞれ「困窮」していて。

その「現実」を「災害」だと見なした上で。
「貧しさの中でも楽しく生きられること」を知って「新たな現実」にしたいもの。

ミッチ・グールド「バトル・ドローン」(’18)を観る。

冒頭からそのチープさが際立ち。
「ストリート・オブ・ファイヤー」(’84)のマイケル・パレの現在よ。

ライカーのルイス・マンディロアがどうにか作品を支えている趣き。
「ドローン」も何とも地味で。

ヴァルのナターシャ・マルテは悪くなく。
ダックスのジェイソン・アールズの「サイコっぷり」も同様に。

シロウのダン・サウスワースが「ニンジャ」だったりするのは「わが国の文化の名残り」。
「熊」みたいなオレッグ・タクタロフは「総合格闘技家」らしく。

物語は「罠にハメられた仲間たちの戦い」。
キャラクターの個性はそこそこに。

いかにもな「B級作品」。
珍しく誰も死なないのがミソか。
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