退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『下等遊民』であること」について

2016-04-21 02:13:31 | Weblog
晴れ。おだやか。

高木秀樹著・青木信二写真「新版 あらすじで読む文楽50選」を読む。

そろそろ「老後の愉しみ」としてこの「世界」もという感じの接触。
「身代わり」というパターンが多用されている印象。

昔NHKで坂本九が「狂言回し」をやっていた「新八犬伝」以来
いわゆる「人形劇」はご無沙汰。

それでも「われこそは玉梓が怨霊」という台詞や
ビートたけしが下ネタで使っていた「『いざとなったら玉を出せ』の歌」も覚えている。

本朝廿四孝」を挙げておく。
同じくたけしの番組での文楽の紹介(映画「Dolls」(’02)ですでに採り上げられていたのだった)。

そのうち生で観ることになるやもしれぬが
いつもの怠惰が顔を出すとついついyoutubeで済ましてしまうかも。

「人間性」を浮き彫りにするのはロボットだと思いがちだけれど
実は大昔から人形があったのだということ。

たとえば海外物なら「サンダーバード」があったりもして。
今さらながらそのことに気付くというわが身の不肖ぶりよ。

どうせなら近松をきちんと読むことも必要か。
「心中天網島」(’69)「曽根崎心中」(’78)「鑓の権三」(’86)といった映画もあり。

「相手を思うがゆえの悲劇」というスタイルをもっと身近なものに。
あるいは「圧倒的な『ルール』」の前に「どうしようもない人々の姿」を。

限られた一生のうちに「素晴らしいもの」に触れられる時間は残念ながら少ない。
せめてあれこれ知っておきたいもの。

おそらくそうした「感動の強度」は人生を左右するはず。
「下等遊民」としての「基本」がそこに。
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