退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「サーカスあるいは言語」について

2016-01-19 03:27:46 | Weblog
雨のち晴れ。やや風強し。

ジェイミー・バートレット「闇ネットの住人たち」を読む。

副題に「デジタル裏社会の内幕」とあるように
いろいろな世界が繰り広げられている模様。

承認欲求、表社会より優れたサービス、反権威、ビットコイン、ポルノなど。
ある種の「サーカス」のようなものだと思えばいいのか。

個人的にはあれこれめんどくさそうなので
ちょいと「見物」するくらいで十分。

「誰とでも簡単につながれるテクノロジー」が生み出すさまざまなかたち。
ダンテ「神曲」の現代版だとしておく。

いずれも「自分好みの特定の情報」に濃厚に接しているのがポイント。
繰り返すが「褒められたい人に褒められたい」と思うのだけれど。

ある時期以降「友だち」が「質より量」として意味を持つようになった。
「貨幣」同様信じられるものが「数」になったらしい。

「数字で測ることの出来ないもの」についてあらためて考えてみたいもの。
「わかりやすさの罠」とでも言っておこう。

おそらくはわれわれの「読解力」が試されている。
「『本』としての世界」をもっと複雑に味わいたいもの。

最後に「言語能力」が浮上する。
「進化の源」を無視するのは「滅びへの道」。

もちろんコミュニケーションのかたちは言語に限らないとはいえ
われわれはそれに頼るよりないのだから。

どんな主義主張であれそれらは言語を通じて行われる。
「言葉にならない」という言葉の意味を知ろう。
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