退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

盆休み5

2013-08-16 02:22:13 | Weblog
快晴。今日は完全にひきこもり。

下の妹の子どもたちにあれこれ教える。

兄には「勉強なんぞに時間を取られるな」とハッパをかけ
弟には「日本語講座」をひとくさり。

彼らの母親でなくこちらの母親は末娘の計算練習に必死だった模様。
すぐに泣くので今日は厳しくやったとの報告あり。

どうやら「放し飼い」にされた感のある孫たちに対して
こちらの母親=祖母は相当に憤りを感じているらしい。

ただでさえ力の入りやすい性格なのでなんともはや。
上の妹とあれこれ話しているのを寝ながら聞いた内容にも辟易する。

いずれも自らを振り返れば何も言えなくなるような人物であるにもかかわらず
他人に対しては非常に厳しいのが笑えるところ。

もちろん自分も含めた上での話。
何事もそこそこでいいのに。

さて。

日常生活の中で笑いは多くの場合緊張を緩和させるものであると思われるのだけれど
そうではなくむしろ「バカにしている」と受け止められる場所があることを知る。

その背景にはおそらく「攻撃的なからかい」を受けた経験があると思われるのだが
そうした場所における「笑い」はどうやらずいぶん「貧しい」ことになっているらしい。

もっとも3・11の時でさえ敢えて「デマ」を流し
本気で受け止める相手を「バカにする」という「不毛な優越感」を求める者もいたことではある。

その種の「世界」を「主な場所」と思っている人物ならば
コミュニケーションにおいてそうした「ルール」が成立するのも無理はない。

「悪口」ひとつ言うのにも実はそれなりの「技術」がいるということも知らない輩が
いたずらに他人を貶めるためだけの「笑い」をはびこらせるのは繰り返すが「貧しい」。

「芸」を知らない者は「ものまね」をしない方がよい。

そこで「何様が偉そうなことを言う」と反発する前に
「偉そうに」と思う自分のどこに「まともさ」があるのかを思うべし。

「笑うよりない」という「切実」をもっと身近なものに。
人にしか出来ない「表現」をもっと大切にしたいものではある。

そうした「ライン」で互いに何らかの好ましい「交換」があれば幸い。
とはいえそれが「よくあること」ではないのが残念至極。
コメント
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