晴れ。まだ冷える。
午前中に野暮用をこなして昼寝後図書館へ。
メドがついたので日曜の早起きもあと少し。
高橋源一郎「非常時の言葉 震災の後で」を読む。
久方ぶりに「インテリげんちゃん」のエッセイ。
著者が批評家・加藤典洋を好む理由が今ひとつわからない。
もっとも石牟礼道子「苦海浄土」やジャン・ジュネの「世界」を
再認識させてくれたことはありがたいのだけれど。
残念ながら彼の小説の「良き読者」ではない。
ただ「心に刺さらない言葉」が横行している事実の指摘は「良きこと」だと思う。
「他人もしくは自分の赤ん坊」を「考える土台」とすれば
あらゆることが違って見えるのは確かだろう。
とても読みやすい文章で書かれているのは「伝わること」に対する著者の思い。
ただもっと「自分」が全面に出てもいいと思うのだがそうならないのは「含羞」のせいか。
さて。
「大人」になりきれない「子ども」がするのは
いたずらに「大人ぶること」。
なぜなら彼もしくは彼女は自分が「大人」でないことを知っているから。
あまりに「明快」すぎてバカバカしくなるとはいえ
自分の「欠如」をカバーしようとするのは「人の常」。
ある意味で人はみな「セカイ系」なのだから
そうした「前提」を超えてつながることがあれば幸い。
「思いがけないこと」を体験しよう。
その時「世界」はあらたな顔を見せて
自分を縛っていた「秩序のはかなさ」を知ることになる。
午前中に野暮用をこなして昼寝後図書館へ。
メドがついたので日曜の早起きもあと少し。
高橋源一郎「非常時の言葉 震災の後で」を読む。
久方ぶりに「インテリげんちゃん」のエッセイ。
著者が批評家・加藤典洋を好む理由が今ひとつわからない。
もっとも石牟礼道子「苦海浄土」やジャン・ジュネの「世界」を
再認識させてくれたことはありがたいのだけれど。
残念ながら彼の小説の「良き読者」ではない。
ただ「心に刺さらない言葉」が横行している事実の指摘は「良きこと」だと思う。
「他人もしくは自分の赤ん坊」を「考える土台」とすれば
あらゆることが違って見えるのは確かだろう。
とても読みやすい文章で書かれているのは「伝わること」に対する著者の思い。
ただもっと「自分」が全面に出てもいいと思うのだがそうならないのは「含羞」のせいか。
さて。
「大人」になりきれない「子ども」がするのは
いたずらに「大人ぶること」。
なぜなら彼もしくは彼女は自分が「大人」でないことを知っているから。
あまりに「明快」すぎてバカバカしくなるとはいえ
自分の「欠如」をカバーしようとするのは「人の常」。
ある意味で人はみな「セカイ系」なのだから
そうした「前提」を超えてつながることがあれば幸い。
「思いがけないこと」を体験しよう。
その時「世界」はあらたな顔を見せて
自分を縛っていた「秩序のはかなさ」を知ることになる。