退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「冗長性」について

2012-12-13 02:53:46 | Weblog
晴れ。日中は暖かいが夜に冷える。

青木直史「冗長性から見た情報技術―やさしく理解する原理と仕組み」を読む。

久方ぶりのブルーバックス。
ちょいと新しいことは教えてもらったけれど面白いかというと微妙。

「仕組み」をあれこれ説明してくれるのはありがたいこと。
ただし繰り返すがそこに「センス・オブ・ワンダー」がほしいところ。

「丁寧な説明」には痛み入るのみ。
そこにもう少し「甘味」をまぶしてくれたらというのは読者の勝手か。

「仕組みそのもの」が解き明かされることに魅力を感じられないのだとすれば
こちらが「文系」ですまん。

ミステリーに例えるなら「結末」はむしろ「退屈」に感じてしまうもの。
なぜなら「理にかないすぎること」は「無味乾燥」であったりするから。

タイトルにひっかけるならば
敢えて「冗長性」に別の意味を持たせるくらいがちょうどいいはず。

さて。

「わからないこと」があるのは「健全」で
だからこそそこに「謎解き」の気持ちも生まれるのが「自然」。

すでに「わかっていること」に大した魅力はないだろう。
それを求める気持ちはおそらくは「不安」が生み出すもの。

ならば何ゆえそれほどの「不安」があるのか。

おそらくそれは学校によって育まれた「正解幻想」のせい。
「世界」は「答えのある問題」のように単純ではないというのに。

科学的発見の数々が実は「誤謬と偶然」によるものであることを知っておくべきか。
所詮「正しさ」は「束の間のもの」だったり。

今も膨張しつつある「世界」の「謎」について
われわれが持っている「武器」は「仮説と検証」。

おまけにその「限界」が
「われわれが理解可能もしくは納得できる範囲」にあるのだとすれば。

あらゆる「理論」と「解釈」が飛び回れるほど
われわれは「自由」であっていい。

がしかし。

「かりそめの正しさ」に同意できるための「知恵と経験」は必須。
だからこそわれわれはそれぞれにこうして今もさまよっているのだとしよう。
コメント
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