退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「異なる視界もしくは世界」について

2011-02-04 03:53:05 | Weblog
晴れ。夜風の冷たさが心地よい。

しばしば本切れになるのは「怠惰」なせいだけれど
金井美恵子「目白雑録(ひびのあれこれ)」を読み返して楽しむ。

文庫版では姉久美子の装丁の好ましさがいくぶん損なわれている。
映画におけるスクリーンのサイズ同様「適度な大きさ」というものがあるということで。

たとえばレコードのジャケットとCDのそれとの「差」のようなもの。
もっともTVで放映される映画の中には、CMによるカットのせいで案外よくなる場合も。

吉田喜重が小津安二郎を評した本にあるように
どんな対象にせよ人の目は「落ち着きなく動くもの」。

「同じものを見ている」事実はあったとして
それぞれが「受け止める」ものは違うのが実は「当然」なのであって。

目という感覚器官の働きも違えば
それを「情報」としてまとめる脳の働きも違う。

そうした「差異」を「リアル」に生きると
人はおそらく「興味深い存在」になるはず。

その「差異」の「際限のなさ」を思うとき
偶然「同じもの」を「発見」した喜びはいや増すもので。

もちろん「差異」の大きさに唖然として
自分の「当然」を見ることの出来ない他人を「バカ」という「楽しみ」もある。

ただしそこには「芸」がなければならないので
「分際」をわきまえない人々がするとただただ「貧しい」ことになってしまう。

ひとつのことを充実させるためには
それなりの「蓄積」はどうしても必要になるというのが味気ない「真実」。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする