晴れ。夜風の冷たさが心地よい。
しばしば本切れになるのは「怠惰」なせいだけれど
金井美恵子「目白雑録(ひびのあれこれ)」を読み返して楽しむ。
文庫版では姉久美子の装丁の好ましさがいくぶん損なわれている。
映画におけるスクリーンのサイズ同様「適度な大きさ」というものがあるということで。
たとえばレコードのジャケットとCDのそれとの「差」のようなもの。
もっともTVで放映される映画の中には、CMによるカットのせいで案外よくなる場合も。
吉田喜重が小津安二郎を評した本にあるように
どんな対象にせよ人の目は「落ち着きなく動くもの」。
「同じものを見ている」事実はあったとして
それぞれが「受け止める」ものは違うのが実は「当然」なのであって。
目という感覚器官の働きも違えば
それを「情報」としてまとめる脳の働きも違う。
そうした「差異」を「リアル」に生きると
人はおそらく「興味深い存在」になるはず。
その「差異」の「際限のなさ」を思うとき
偶然「同じもの」を「発見」した喜びはいや増すもので。
もちろん「差異」の大きさに唖然として
自分の「当然」を見ることの出来ない他人を「バカ」という「楽しみ」もある。
ただしそこには「芸」がなければならないので
「分際」をわきまえない人々がするとただただ「貧しい」ことになってしまう。
ひとつのことを充実させるためには
それなりの「蓄積」はどうしても必要になるというのが味気ない「真実」。
しばしば本切れになるのは「怠惰」なせいだけれど
金井美恵子「目白雑録(ひびのあれこれ)」を読み返して楽しむ。
文庫版では姉久美子の装丁の好ましさがいくぶん損なわれている。
映画におけるスクリーンのサイズ同様「適度な大きさ」というものがあるということで。
たとえばレコードのジャケットとCDのそれとの「差」のようなもの。
もっともTVで放映される映画の中には、CMによるカットのせいで案外よくなる場合も。
吉田喜重が小津安二郎を評した本にあるように
どんな対象にせよ人の目は「落ち着きなく動くもの」。
「同じものを見ている」事実はあったとして
それぞれが「受け止める」ものは違うのが実は「当然」なのであって。
目という感覚器官の働きも違えば
それを「情報」としてまとめる脳の働きも違う。
そうした「差異」を「リアル」に生きると
人はおそらく「興味深い存在」になるはず。
その「差異」の「際限のなさ」を思うとき
偶然「同じもの」を「発見」した喜びはいや増すもので。
もちろん「差異」の大きさに唖然として
自分の「当然」を見ることの出来ない他人を「バカ」という「楽しみ」もある。
ただしそこには「芸」がなければならないので
「分際」をわきまえない人々がするとただただ「貧しい」ことになってしまう。
ひとつのことを充実させるためには
それなりの「蓄積」はどうしても必要になるというのが味気ない「真実」。