富士山登山には全く興味がないと以前書いたことがあるが、どうも富士山に登る人は、物見遊山以外の目的で来る人が多いようなのだ。聖なる山を目指す、謂わば最近起きたスペインの高速鉄道事故の近くのサンティアゴ デ コンポステーラを目指すような人に共通な動機があるようだ。日本で言えば、四国巡礼か。それは再生のため。例えば、人生を変えたい、自分自身を見つめ直したい、何か自信を得たい、などなどが具体的な理由となるが、一言で言えばそういうことだろう。
世界に同じようなものがあることからすると、これは人間特有の心性に拠るものと考えて良さそうだ。具体的な山、寺、神社、教会を巡る行為は、その肉体の疲労(修業的要素)と共に心にある変化をもたらす。これも一つの再生装置と言えるのではないか。そのためには、より神聖さを感じさせる演出が必要となる。富士山の場合は、美しさと共に日本で一番高い(より神に近い)という事実だ。そして、同じように感じる人が多いというのも重要。支持する人の数が多いだけで、それは大したことになるのが人間の社会。そして歴史が古くなればもう殆ど絶対的なものとなる。
個人的には富士山は遠慮するが、サンティアゴ デ コンポステーラにはちょっと興味がある。