今日は過去にも何度かUPしています、朝日新聞夕刊の「ぷらっと沿線紀行」から№68の記事を紹介します。
3週間前の10月4日付けの「JR関西線 島ヶ原駅」編なのですが、奈良出身の私、この関西線には奈良駅から先、名古屋方面は一度も乗ったことがなかったので、悔いもあってこの新聞記事はファイリングしてました。
この「島ヶ原駅」はJR関西線の前身「関西鉄道」の湊町(現JR難波)~名古屋を結んだ路線のほぼ中間点に明治30年に開業された駅で、三重県島ヶ原村(現伊賀市)にあるのですが、当時は全世帯の3分の1に国鉄マンがいて、「鉄道村」という異名もあったそうです。
明治40年の国有化後も家業のように鉄道の仕事が受け継がれていったそうで、昭和29年には239世帯で、253人の職員がいたとか・・旧村域に現在も50人前後の現役がいるそうです。
かつては長編成の列車が止まったホームが183メートルもあっても、平日の昼間はこの記事を書いた記者だけだったそうす。(今はこの駅に止まるのは2両編成が最長となったそうで・・・)
(左)「鉄道村」へと続くレールを走るディーゼルカー。「電化」から取り残された区間を頑張って走ってますね。(京都府 加茂駅~三重県 亀山まで未電化)
国鉄時代の「切符の出札箱」や、駅で使っていた「火鉢」等の元国鉄マン達が手元に保管する懐かしい品々を開業当時の駅に展示して関西線で見に来てもらおうと案を練ったり、「電化を進める会」を結成したり、元国鉄マンの方たちを中心に「鉄道村」を元気にしようと頑張っておられます。
そして、私が更に興味をもった記事が・・・
見難い写真ですみません。三重県亀山市の「加太(かぶと)駅」と、伊賀市の「柘植(つげ)駅」の間にある加太トンネル(930m)では、1970年代初めまで「幕引きさん」と呼ばれる人(左)がいて、蒸気機関車がトンネル内に入ると鉄棒に張った布幕(右、幅4m高さ5m)を入り口に下ろす仕事をされていたそうです。
「加太越え」という難所で、柘植駅に向かって1㌔ごとに25m上る急な坂を、蒸気機関車はh20㌔前後しか出せないのでトンネル内に煙が充満して乗客、乗務員を巻き込んでしまうことから考案されたそうで、走り去る列車との間の気圧を下げて煙を後ろに流す仕組みだったようです。
冬の夜は寒さで機関車のパワーが上がらず登坂に失敗して煙に巻かれながらズルズルと後退して幕を突き破って戻ってきてしまったこともあったとか・・・
島ヶ原は周辺諸国の大名が参勤交代に使った大和街道の「宿場町」だったこともあって、旧本陣、関所跡、奈良東大寺の別院として創建された「観菩提寺」、松尾芭蕉がしりもちをついたと伝わる「芭蕉のしりもち坂」等名所が多く、郷づくり公社が運営する「温泉施設」もあるそうで、この記事を書かれた記者が島ヶ原駅で出合ったその「施設」を利用して戻られた方は、「青春18切符の旅」で、駅の看板を見て下車されたという、21歳の大阪の方でした。
ガソリンの高騰や環境への関心のせいか、JR西日本の今年の夏の利用客は例年並に落ち着いたようで、この関西線の未電化区間でも帰省客や観光客で、満員の日もあったそうです。
21歳のこの方もおっしゃってた「鉄道の時代」が来たのかも知れませんね。
この記事を書きながら、鉄道を利用して旅三昧をしていた、若かりし頃の思い出にちょっと浸ってしまいました~。
/P>
/P>
/P>
/P>
秋の旅行記・毎回楽しみにしていたのに途中でコメント途切れてしまい申し訳ありませんでした
我流ツアー~今回は自由にまた違った気分で観賞出来ましたね
今回も沢山の写真と、わかりやすい解説で充分に堪能できました。
ピカソの「ゲルニカ」から始まって、モネが日本の「美」に傾倒していた説明と
モネの奥様「カミーユさん」の絵画、ミレー・ルノアール・マネの作品、更にルノアールの3枚の絵そしてゴッホコーナーの数々の作品
美術に理解力のない私でも、これだけ写真を見せられてさすがにうっとりしてしまいました。
最後にpekoさんがお求めになった「ミッデルハルニスの並木道」
きっと良い思い出と大切な家の飾りになりますね
松山市道後温泉~全国に知れ渡る有名な温泉ですが
行った事もないし、この写真を見ていつの日か行ってみたい
気分になりました。夢のまた夢ですね。
それだけにとっても有り難い記事でした
ホテルのエントランスも至れり尽くせりで
さすがにレベルの違うサービス精神で感心しました。
夕食も飾り・器も素敵で、お品書きを見ても超豪華で皆さんの会話も冗談にしか聞こえませんでしたよ
今治~~倉敷編~いよいよ最終回ですか、今回も沢山の写真楽しめました
サンライズ糸山でのサイクリングの様子・しまなみ海道から尾道までのドライブ・
尾道ラーメン・倉敷美観地区の建物の見事さ
今回のPEKOさんの旅行記、お陰様で充分に楽しく拝見できました。
ご苦労様でした
今回の朝日新聞の記事「ぽっぽや村はあきらめない」も普通は何気なく読んで「ああそうか」程度の印象しか残りませんが
pekoさんのように一歩踏み込んで読んでみると又違った世界が見えて興味が持てるもんですね。
島ヶ原駅の話も合理化ばかりに走る経営からすれば、頑張って欲しい
エールを送りたいですね
加太トンネルのお話も同じことが感じられます。
pekoさんおっしゃるように、ガソリンの高騰や環境への取り組みで「鉄道」
に対する考え方ガ変ってくるかもしれませんね
近鉄の従業員さんたちも、近隣の農業の人が
努めて居るって聞いたことが有りましたね~
だから近鉄だけは「都市交組合」に
参加して居ないと聞きましたが??
その辺の人たちは、鉄道関係の勤めが
結構、多かった事は違いないですね・・・
確かに現在は近隣なら電車より車社会だよね
少し遠方なら飛行機・新幹線==
時間に追われて気ぜわしい生活・・・
が学生時代(大昔)蒸気機関車で大阪→青森→青函連絡船~函館→苫小牧と
二日掛けて、堅い椅子で煙で真っ黒に成り
行ったものですね~~でも楽しい思いでです
此の記事を見て、ゆっくりの列車の旅に
憧れますね~~でも逆行する様に
「リニアモーターカー」で、東京・大阪間を
一時間台で行ける様に成るて・・・
さてさてどちらが良いのやら
名古屋~大阪間の東海道線が充実する前は
中京圏~関西圏を結ぶ立派な幹線でした。
183Mのプラットホームや無人と化した立派な
木造駅舎など 幹線当時の遺構が・・・
加茂~亀山間には たくさん残っています。
そんな長いホームには字余り的な・・・・
短い編成の気動車が のんびりと走る関西本線
・・ちょっとした鉄旅にはお奨めですよ!
和歌山からなら大回り乗車で 和歌山線・関西線・草津線・東海道線・阪和線・・・
一日 楽しんで¥180 安上がり!!!!
リーダーが調子悪くて
遠回りしてきました。
幕引きさんは、大変な仕事ですね。
確かに、トンネルでトラブルが起こる
といったことは、聞いたことがありました。
なるほど、この人たちが活躍すれば、
解消されるわけですね。
若いころから、車がすきで
あまり列車でりょこうしたことが
なくて、あまりpekoさんのように
実感がなくて申し訳ないのですが、
たまに列車にのると、旅愁と
いったものを感じますね。
お忙しい中来て頂いて有難うございます。
いつも、過去ログまでも感想を頂いて恐縮しております。
「
「道後温泉」そちらからはちょっと遠い旅になってしまいますが、機会があったら是非一度お出かけください。豪華に見えてリーズナブルなホテルのプランででした。
此処お勧めです。(ネットで予約は更に割り引きありましたし・・)
未電化線の電化運動のほうは今は足踏み状態のようですが、島ヶ原駅「博物館」の方だけでもなんとか「開館」できるといいですね
何時か出来るといいんですが、そう思ってるうちに年取って体がゆうことを利かなくなるでしょうし。
1時間で東京まで行けるとなったら多分行くでしょうね。
首都圏だけOKだとばかり思ってましたよ~
180円、正確にはJRまでの往復賃を入れて1040円で一日鉄旅できるということですね。
でも、相当体力と努力が必要でしょうね
heijiさんは、お若い頃から派でしたか~~
列車のデッキで「峠の釜飯」食べたり、民宿の部屋朝食のお櫃のごはんをおにぎりにしてその日のお昼代を浮かせたりして「青春」していた頃が懐かしいですね~。「あの頃はよかったな~」なんて言葉がつい出てきます。