マイリビングダイアりぃ

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♪線路は続くよ~~(JR関西線)

2008-10-25 | カルチャー 見聞

今日は過去にも何度かUPしています、朝日新聞夕刊の「ぷらっと沿線紀行」から№68の記事を紹介します。



3週間前の10月4日付けの「JR関西線 島ヶ原駅」編なのですが、奈良出身の私、この関西線には奈良駅から先、名古屋方面は一度も乗ったことがなかったので、悔いもあってこの新聞記事はファイリングしてました。


この「島ヶ原駅」はJR関西線の前身「関西鉄道」の湊町(現JR難波)~名古屋を結んだ路線のほぼ中間点に明治30年に開業された駅で、三重県島ヶ原村(現伊賀市)にあるのですが、当時は全世帯の3分の1に国鉄マンがいて、「鉄道村」という異名もあったそうです。


明治40年の国有化後も家業のように鉄道の仕事が受け継がれていったそうで、昭和29年には239世帯で、253人の職員がいたとか・・旧村域に現在も50人前後の現役がいるそうです。


かつては長編成の列車が止まったホームが183メートルもあっても、平日の昼間はこの記事を書いた記者だけだったそうす。(今はこの駅に止まるのは2両編成が最長となったそうで・・・)


  


(左)「鉄道村」へと続くレールを走るディーゼルカー。「電化」から取り残された区間を頑張って走ってますね。(京都府 加茂駅~三重県 亀山まで未電化)


国鉄時代の「切符の出札箱」や、駅で使っていた「火鉢」等の元国鉄マン達が手元に保管する懐かしい品々を開業当時の駅に展示して関西線で見に来てもらおうと案を練ったり、「電化を進める会」を結成したり、元国鉄マンの方たちを中心に「鉄道村」を元気にしようと頑張っておられます。


そして、私が更に興味をもった記事が・・・


見難い写真ですみません。三重県亀山市の「加太(かぶと)駅」と、伊賀市の「柘植(つげ)駅」の間にある加太トンネル(930m)では、1970年代初めまで「幕引きさん」と呼ばれる人(左)がいて、蒸気機関車がトンネル内に入ると鉄棒に張った布幕(右、幅4m高さ5m)を入り口に下ろす仕事をされていたそうです。


「加太越え」という難所で、柘植駅に向かって1㌔ごとに25m上る急な坂を、蒸気機関車はh20㌔前後しか出せないのでトンネル内に煙が充満して乗客、乗務員を巻き込んでしまうことから考案されたそうで、走り去る列車との間の気圧を下げて煙を後ろに流す仕組みだったようです。


冬の夜は寒さで機関車のパワーが上がらず登坂に失敗して煙に巻かれながらズルズルと後退して幕を突き破って戻ってきてしまったこともあったとか・・・


島ヶ原は周辺諸国の大名が参勤交代に使った大和街道の「宿場町」だったこともあって、旧本陣、関所跡、奈良東大寺の別院として創建された「観菩提寺」、松尾芭蕉がしりもちをついたと伝わる「芭蕉のしりもち坂」等名所が多く、郷づくり公社が運営する「温泉施設」もあるそうで、この記事を書かれた記者が島ヶ原駅で出合ったその「施設」を利用して戻られた方は、「青春18切符の旅」で、駅の看板を見て下車されたという、21歳の大阪の方でした。


ガソリンの高騰や環境への関心のせいか、JR西日本の今年の夏の利用客は例年並に落ち着いたようで、この関西線の未電化区間でも帰省客や観光客で、満員の日もあったそうです。


21歳のこの方もおっしゃってた「鉄道の時代」が来たのかも知れませんね。


この記事を書きながら、鉄道を利用して旅三昧をしていた、若かりし頃の思い出にちょっと浸ってしまいました~。


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コメント (8)
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