日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「70年代洋楽ロードの歩き方32」~ハードロック 4

2011-02-06 | 洋楽
リフ系かつ達者なリードギターとシャウト系のボーカリストという組み合わせを基本としてブリティッシュ・ハードロックは形作られました。70年代型ハードロックの成立を第二期ディープ・パープルを基準として捉えてみると、70年代ロック音楽がどのようなバリエーションを見せていったかが分かり易くなります。

パープルは、ギターにリッチー・ブラックモア、ボーカルにイアン・ギランを配し、アートロック時代には中心的役割を果たしていたキーボードのジョン・ロードがしっかりと脇を固めたバンドでした。同時期にこの形に良く似たスタイルをとっていたのが、ユーライア・ヒープ(=写真)と言うバンドでした。ボーカルのデビッド・バイロン、ギターのケン・ヘンズレー、キーボードのミック・ボックスという三方向にバランスのとれたトライアングルは、まさしく70年代ハードロックの典型的パターンでありましたが、曲によってギターが前面に出てよりハードな一面を見せながらも、キーボードが前面に出る場面ではややプログレッシブ・ロック寄りのアプローチがうかがえたりもするバンドでした。彼らの代表曲「対自核」や「安息の日々」など70年代ハードロックの古典的ナンバーを送りだす一方で、キーボードが前面で活躍する大作「7月の朝」のようなプログレ的名曲も残しています。

他方、第二期パープルと同時期の英国で70年代ハードロック的アプローチで登場したブラック・サバスは、トニー・アイオミのギターとオジー・オズボーンのボーカルのコンビを前面にたて、重量感あふれるギターサウンドを核にしたよりハードなサウンド構成で、その名の通り黒魔術をイメージさせるおどろおどろしさを強調したハードロックを展開しました。この路線はすなわち、後にヘビーメタルと言われるジャンルにつながる流れをつくった訳です。「黒い安息日」「パラノイド」「血まみれの安息日」などはその代表的なナンバーで、そこにあるのはディープ・パープルのようなある意味“能天気”な音楽ではなく、オカルト的70年代カルチャーとロックを結びつけた点で革命的なバンドであったと言ってもいいのかもしれません(残念ながら日本では、レコード会社のプッシュの弱さとルックスの点でリアルタイムでは全くブレイクしませんでした)。

このように誕生間もない70年代型ハードロックは、ディープ・パープルを中央に置いて、よりキーボードサウンドに傾斜したユーライア・ヒープから先にはプログレッシブ・ロックが位置し、よりギターサウンドに傾斜したブラック・サバスの先にはヘビーメタルが位置するといった系譜が徐々に出来上がって来るのです。その一方で、60年代末期にハードロックの発火点となったバンドであるレッド・ツェッペリンは、ブルーズ、トラッド・フォークといったルーツ音楽への回帰を踏まえつつ、上記のストレートなハードロック・バンドたちとは一線を画する動きに入っていきます。この動きはまた、成長期のハードロック界に新たな“ロック美学”のあり方を形づくらせていくことにもなるのです。

★70年代ハードロックを知る名盤
�「対自核/ユーライア・ヒープ」
�「黒い安息日/ブラック・サバス」
�「レッド・ツェッペリンⅢ」