日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

経営のトリセツ98~ニュージーランド当局に見る官僚的組織管理の「逆機能」

2011-02-26 | 経営
ご無沙汰の「経営のトリセツ」です。ニュージーランドの大地震の関係から、ひとネタお話してみます。

地震から5日目を迎え、日本から安否確認のために現地に向かった行方不明者家族の皆さんにも疲れの色が濃くなってきたとの報道がされています。時間ばかり過ぎて、収容が進む遺体の身元確認もなぜか全く進んでいません。その原因の一つにあげられているのが、ニュージーランド当局の被災遺体の身元確認手続きが日本と大きく異なっていることです。日本では遺体の身元確認は、まず家族の遺体目視確認によっておこなわれるのが一般的ですが、現地の手続きではまずDNA鑑定をおこないその上でDNAが一致すれば家族が遺体の目視確認ができるというやり方なのだそうです。すなわち、一刻も早く行方不明家族の安否を確認したい立場からすれば、「なんというまどろこしい」「形式にこだわった」「家族の立場を考えてくれない」やり方なのだろうということになるのです。現地では、ニュージーランド当局のそんなやり方に声を荒げる家族もいるとか。本当にお気の毒な状況であるとしか言いようがありません。

ニュージーランドと言う国ですが、私は全銀協時代に郵政民営化問題研究の一環で、この国の行政改革を聞きかじったことがあるのですが、日本に比べコンパクトな人口と第一次産業を中心とした低成長ながら比較的安定した経済状況が、温暖で自然豊かな性格環境とも相まって、実に堅実な行政管理がなされているのです。言ってみれば、劇的な変化に乏しい国勢下、国はしっかりと統制をとった管理がしやすい状況にある訳です。すなわち、組織論で言うところの官僚的管理体制がいき届いた状況にありますが、他方でこの状況は油断すると行き過ぎた管理体制がやや窮屈な状況をも作り出しかねない状況でもあるのです。専門用語にある、官僚的組織管理が力を発揮する組織の「公式化段階」を過ぎて「精巧化段階」に入ると陥りやすい、官僚的管理下にある組織における「官僚制の逆機能」という弊害です。「形式主義」とか「様式主義」とかいうものがそれにあたります。

ニュージーランド当局の対応は、確かにプライバシー保護や遺体錯誤防止の観点からは納得性の得られるやり方なのかもしれませんが、緊急事態における行方不明家族の安否を一刻も早く確認したいという家族の立場を考慮に入れない部分に「官僚制の逆機能」が作用しているように思えるのです。「官僚制の逆機能」の特徴は、その制度が作られた時の目的にのみ着目し、運用における環境要因への配慮という柔軟性を著しく欠く行動に現れます。我々が常日頃、「きまりですから」「前例がないので」などの断り文句に「なんだ、お役所仕事やなぁ」と嘆く“アノ状況”なのです。我が国の常識からすれば今回の件は、大地震による被災者の身元確認という至って特異な緊急事態における、遠く離れた異国から家族の安否確認に訪れた家族への対応としては、かなり問題が多いと言わざるを得ないと思います。企業においても、組織が拡大する過程において「ルール化」「規定化」「予算化」などの「管理的組織管理」は必要不可欠な手法ではありますが決して万能ではありません。それが組織内に定着する状況においては、「官僚制の逆機能」が起きていないか否か経営者は注意を払い適切な対応をはかる必要があるのです。

ところで、このニュージーランドにおける「官僚制の逆機能」状況下、日本国民の利益を守るべき日本政府は何をしているのでしょう。疲労困憊する現地入りした家族の皆さんことを思えば、管内閣がトップ間のホットラインを使うなり外務大臣を派遣するなり、正式外交ルートで同国ルールに照らした際の異例措置対応の申し出を早急におこない、一刻も早い遺体の目視確認を認めさせるべきであると思います。内輪喧嘩にばかり気を取られていないで、すぐにでもこの世界的災害の被災者家族のフォローを国としてしっかり取り組んで欲しいものです。